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2013年09月01日

『冬の渚』(拙著)後記

後記
 紀行文を書き始めてから四年が過ぎた。どうやら四巻となり、冬まで辿り着くことができた。春は雲を追い、夏は海を眺め、秋の風に吹かれ、冬はまた海のある浜辺にきてしまった。
紀行文の最後を『冬の渚』としたのには理由がある。二十四歳の冬、数学者の岡潔博士にお会いする機会があり、それ以来人生の師として今日まで生きてきた。余りにも師は高い峰であるために、頂きは見えてはいない。ただ登ろうという気持だけは忘れてはいない。
その岡先生に、作家の井上靖は
「岡さん。良い詩を教えてさしあげましょう」
と言って、示したのが三好達治の詩であった。
「日本よ、海の中には母がいる。フランスよ、母の中には海がある」
と簡略して、岡先生は、著書の中に引用されているが、フランスに留学され、日本を愛した先生にとって忘れ難い詩であったに違いない。ちなみにフランス語では、母も、海もメールである。
蛇足かも知れないが、三好達治のこの詩は、短いので全文紹介したい。
郷愁
蝶(てふ)のような私(わたし)の郷愁(きょうしゅう)!::。蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角(まちかど)に海を見る::。私は壁に海を聴(き)く::。私は本を閉(と)じる。私は壁に凭(もた)れる。隣りの部屋で二時が打つ。
「海、遠い海よ!と私は紙にしたためる。―海よ、僕らの使う文字(もんじ)では、お前の中(なか)に母がゐる。そして母(はは)よ、仏蘭(フランス)西人(じん)の言葉では、あなたの中(なか)に海がある。」
海は人類にとっては故郷のような場所である。母の胎内も海の成分に似ている。海と陸地の境が渚である。海に発生したとされる生物が、海から陸に進出する時、多くの時間辛い進化の過程があった事を想像する。故郷を去ることにより、人々は自分を鍛えつつも、やがて母性に似た懐かしいその場所に戻ろうとする。
生後間もなく母と死別し、城を出て王子の身分を棄てた釈迦は、晩年北へ旅に出る。北は、母親の眠る故郷の地であった。涅槃に入った時、釈迦の頭は北に向き、西方見つめていた。良寛は、母の死後故郷に帰り、世俗とはかけ離れた中で仏の道を歩んだ。出雲崎の良寛堂にある、良寛像は、母の生地である佐渡島を見つめていた。直ぐ前は、浜辺である。
紀行の最後の地は、日本海が良いと思っていた。ならば、まだ一度も訪ねていない日本三景の一つ、天橋立が良いかと思っていたが、良寛の故郷越後で良かったかも知れない。冬の渚ではなかったが、タイトルの主旨からは離れていない。
弥彦山 佐渡の島影 秋津飛ぶ


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Posted by okina-ogi at 09:19│Comments(0)日常・雑感
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