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2013年09月18日

『翁草』(拙著)元日の松島

元日の松島
 『翁草』(拙著)元日の松島
 日本三景の一つ松島は、元旦に訪れるにはふさわしい場所である。自然が長い年月に創りあげた景観は、絶景というしかない。この地を訪れた松尾芭蕉は、感嘆のあまりか、句を作っていない。
松島やああ松島や松島や
というのは、季語もなく川柳のようである。芭蕉の句ではもちろんない。同行者の曽良の句が、芭蕉の気分を伝えている。
松島や鶴に身を借れほととぎす
季節は、五月、立夏を過ぎていた。ほととぎすは夏の季語である。
『翁草』(拙著)元日の松島
 JR東日本の正月パスを利用しての北への元日も五年目となった。一人旅は、二回目。成人後の娘を誘ったが、簡単に断られてしまった。
「元日から人の殺されたような場所や、ミイラがあるようなところは行く気にはならないよ」
殺された人というのは、義経のことで、中尊寺行きが当初の予定だった。東北新幹線「はやて」の指定席は、大宮から一関まで買ってあった。この娘の一言で、仙台を起点にして松島近辺に変更することにした。正月パスは、JR東日本営業範囲内では、元日に限り指定席も含め、乗り放題一万二千円なのである。NHK大河ドラマ「義経」の余韻のあるところで、義経に思いを馳せてみようとも思ったのだが、季節を変えてまた訪ねることにしよう。今年の年賀状に記した句は
この年を 御旨のままと 麦を踏む
というのであるが、「御旨」とか「麦」などと書けば、クリスチャンかと思われるかもしれないが、信仰がもてるほどの謙虚な人間ではないから、キリストでも釈迦でも尊敬する人誰でも良いのであって「御旨」は、特定の人の心のことではない。浮気性ということではないが、人の言葉に耳を傾けて、踏まれる麦にもなってみましょうというほどの心境でこの年を過ごしてみたいということなのである。最初の「御旨のまま」は娘の気持ということになってしまった。
 二〇〇六年の年賀状の候補にした句に
冬の田や 車窓に手文字 書いてみる
車窓から見える北国の冬の田は、雪に埋れていたりもするが、それを和紙に見立てて、書初めをする。新幹線の窓に書いた手文字が窓に残るわけではないのだが、旅先での新年の儀式のようになった。昨年は、「無常」と書いてみた。山形の上山を過ぎたあたりだった。行く先が立石寺、俗称は山寺で、芭蕉の『奥の細道』に出てくる寺である。昨年から、少し旅先を芭蕉ゆかりの地にしたいという意識が働いている。「無常」というのは仏教の言葉であるが、万物は変化して留まるところがないということを、芭蕉は実感として持っていたと思うのである。ただ、そうした人生の中で、「消えざるものは、ただ誠」ということ知っていた。この誠は、言葉で表現するのがむずかしい。歴史上の人物、とりわけ西行法師は芭蕉の旅心をかきたてた人である。そこには懐かしさの心情もある。不死なものもあるのだろう。芭蕉から教えられるものは多い。
キリストの十字架に至る生き様は、時代が変わっても人の心に復活して消えない。歴史に名を残さなくとも、その行いが身近な人の心に忘れ去らないであることを実感する。昨年は、職場の優秀な同僚の死に出会った。約三年身近で働き、実に正義感の強い、しかも倫理観もあり、何よりもユーモアのある保健師であった。父親の喪中ハガキは、平成十二年の暮れに出したが
人の世は無常と言うがその日々を真心尽す人に幸あれ
彼女へささげたい歌でもあるが、この短歌にある真心が「消えざるもの」である。
人生の師である、数学者岡潔先生は消えざるものを「真情」と言った。それを身に沁みてわかるということは、大変なことである。齢を重ねるに従い、肉体的な喪失感や社会的立場の喪失感に執着し、心のにごりや孤独にさいなまれ、「無常」が「無情」としか思えなくなることもある。人生は心の向上が目的だと岡先生は、教えてくださっているのだが、暮れに起こった、酒田市近郊の脱線事故のようにレールから外れそうこともある。今年は、儀式化して「車窓に手文字」したのではなく頭の中に書いてみた。また、説明しなければいけないので、その文字は伏せておきたい。
『翁草』(拙著)元日の松島
 今回の元日の日帰り旅行は、遠距離初詣と松島巡りの観光という結果になってしまった。ひとり旅には、ふさわしくない内容だと思っている。塩竈神社が陸奥の国の一宮であっても、近くの神社でも別段かまわない。神様は、いたって寛容である。
子供たちへの罪滅ぼしということもあって、お土産は忘れなかったが、いろいろお世話になった人へのお年賀も買うことにした。郵送代はかかっても当地の名物を、正月に味わってもらうことができる。仙台の名物といえば、牛タンである。BSE問題で、アメリカからの輸入が出来なかったこともあり、いつもの年よりも高価になっているが、それは問題ではない。感謝の気持ちを形にすることも大事である。来年の元日旅行ができたら、旅先からの年賀は続けたいと思った。
初詣、観光ついでに温泉につかる計画も立てた。松島海岸駅から車で五分の距離に古くからの湯治場がある。湯の原温泉、霊泉亭である。自炊素泊まりもできる。松島船巡りの間飲んだ日本酒のほろ酔い加減もあったが、すっかり体を温め、正月気分になれた。そして、松島は、島に松が生えているので松島なんだなあ、とあたりまえのようなことを湯船につかりながら思ったりもした。
温泉の帰りは、さいたま市から、正月パスで来たという中年夫妻とタクシーを相乗りすることになり、料金は半額になった。松島海岸駅前で別れ、ご夫婦は、あの店でと指差しながら牡蠣を食べて八時過ぎ過ぎの新幹線で帰るのだという。きっとお酒も付けて。そう、風呂に入ってからお酒を飲むのが正しい。年をとれば尚更である。
芭蕉の足跡を訪ねるのならば塩釜に近い多賀城市に行く必要がるし、そのとき中尊寺もセットにしても良い。充分、一泊はしなければならない。土、日キップというのがあってこちらは一万八千円也である。五十代の人なら会員になれば、半額になるらしい。民営化の効果なのだろう。


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Posted by okina-ogi at 07:25│Comments(0)旅行記
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