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2013年10月18日

『白萩』(拙著)イタリア紀行Ⅲ

 
『白萩』(拙著)イタリア紀行Ⅲ
 ヴァザーリよりも前に、メディチ家が庇護した芸術家がいた。ミケランジェロである。この旅で何を一番に見たかったかと言えば、「ピエタ像」である。ミケランジェロのピエタは、代表的なものが四作品あるとされている。最も有名なものは、ヴァチカンにあるピエタ像で、二〇代の作品である。非常に写実的に刻まれていて、ひと固まりの大理石からどうしてこのような姿に創作できるのかという、ミケランジェロの天才にただ驚くばかりである。三〇数年の人生の果てに十字架に架けられたキリストを膝に抱く、マリアが若く表現されているのが特徴であるが、ミケランジェロはあえてそうしたらしい。聖霊により身ごもったとされるマリアは、乙女の姿のままであってよいという彼の発想によるのであるが、六歳で母親と死別したことも無関係ではあるまい。
『白萩』(拙著)イタリア紀行Ⅲ
 キリストの愛か母親の愛かなどと自問することは愚かなことであるが、ピエタ像からは強烈に慈愛というものを感じさせられるのである。最晩年に制作された、「ロンダリーニのピエタ」は、ミラノのスフォルツァ城博物館に収蔵されているが、細部にわたって彫られてはいない。マリアはキリストの背後にあるが、死したキリストに背負われているようにも見える。このピエタを制作したとき、ミケランジェロは視力を失い手探りで刻んだという。しかし、マリアとキリストのこの構図は晩年のミケランジェロの心境をよく表しているとも言える。この像の実物を今回見たわけではなく、解説書の写真で見たのである。
 『白萩』(拙著)イタリア紀行Ⅲ
 ミケランジェロは長命で、中世にあって九〇歳近くまで生きたことも驚きである。システィーナ礼拝堂の創世記などを描いた天井画や最後の審判の祭壇画は、ほとんど一人での作業から生まれたという。気難しい性格の人物だったというミケランジェロの評価もあるが、建築家でもあったというからやはり天才と呼んでよいのだろう。ミケランジロは、レオナルド・ダヴィンチ、ラファエロとともにイタリアのルネッサンスを代表する巨匠である。サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会に設置されているモーセの像を見ることができたが、力強さと威厳がある。この教会には、聖ペテロを繋いだとされる鎖があったが、不思議とこちらには関心が向かなかった。
『白萩』(拙著)イタリア紀行Ⅲ
『白萩』(拙著)イタリア紀行Ⅲ 
 ペテロは、キリストの十二弟子の中で、年長者であって、しかもキリストに愛された人物であったとされる。従順な人であったが、時には岩のように固い意志も持ち合わせた人物でもあった。聖書から憶測すると、キリストよりも年上で、しかも妻帯していたらしい。ペテロがローマで逆さ十字に架けられて殉教したのは、ローマ皇帝ネロの時代だとされている。ローマに大火があり、その原因はキリスト教徒によるものとされた。この時、キリスト教徒の多くが罪を着せられて処刑されるのだが、パウロも斬首された。ペテロは、ローマから逃れ、アッピア街道を歩いていたのだが、思いとどまりローマに戻り、その結果捕えられて死ぬのである。西暦六十年代というから、ペテロは既に七十に近い老人であったことになる。伝承としてだが、なぜローマにペテロが戻ったかといえば、彼の前にキリストが現れ、ペテロが師に尋ねるとキリストは
「私は、もう一度十字架にかかろうと思う」
とペテロに言ったからだとされている。彼は、本来の岩のような心の人になって、イエスの教えを伝え、神の道へと導いた人々とともに天国への階段を上ることを決意したのである。生ある限り布教しよう、命がほしいと思われても良い、生きて師の教えを伝えるのが自分の使命だと考えていたペテロも、キリストのこの言葉は、決定的であった。
 『白萩』(拙著)イタリア紀行Ⅲ
 ペテロは、実際にアッピア街道でキリストを見たわけではないだろう。自分の心の中に、キリストを見たのであり、その言葉を聞いていたのである。キリストが十字架に架けられ、お前はキリストの仲間かと問われても否定したことや、多くの仲間の殉教にも、情を寄せながらも、傍観するような行動をとってきた。しかし、着実にキリストの教えを広めていった。だから、ペテロは今日にあっても、宗教権力とも言うべき、ローマ法王庁の始祖なのであろう。政治家的宗教者という表現は、正しくないと思うが、ペテロにはその資格があるのかもしれない。キリストの死は、若かった。ペテロの死は老年だったと言っておこう
『白萩』(拙著)イタリア紀行Ⅲ


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Posted by okina-ogi at 09:08│Comments(0)旅行記
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