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2013年11月12日

走水神社の景観(2013年11月)

 走水神社の景観
 十一月初旬、かねてから計画していた鎌倉周辺の旅が実現した。江の島に宿をとり、翌日、鎌倉を散策し、三浦半島を廻り散会するという内容である。毎年、「春雨忌」という数学者故岡潔先生を偲ぶ会が奈良で開催されているが、そこに集う有志が集まった。いつも、関西の方が、「春雨忌」を企画し御案内いただいているので、是非関東にもお出でいただきたいと申し上げたところ十二名の参加を得て実現した。関西から五名、山口県から二名、関東から五名というのがその内訳である。
 江の島の宿は、古くから旅館を営む「岩本楼」で、ローマ風呂と洞窟風呂が味がある。海岸に近く、寄せる波の音を聴きながら、話が弾んだ。朝早く起きて、島を巡る人もいれば、島内にある神社を参拝する人もいる。充分に天然温泉に浸かり、日頃の疲れを癒す人というふうに各自気儘に過ごすことができた。幸運にも天気が良く、富士山が見えたと関西から来た人が喜んでいた。
 人生には師が必要だと思う。自分の好きな人生を生きれば良いという人もいるだろうが、船旅に羅針盤が欠かせないように、人生という旅にも方向を過たず、航行の知恵を与えてくれる師があればと思うのである。十二人にとって共通の師が岡潔先生なのである。しかし、その中の御一人は、御令嬢である。幹事役を買って出たのは、没後三十年以上に渡り、御自宅を提供し、寝食の世話もし、我々を導いてくださったことへのお礼の気持ちが強かった。
 岡潔先生の孫にあたる御子息が、東京駅の近くにある中央郵便局の中にある東大博物館に勤務されていて、見学案内してもらえるというので、集合場所は、東京駅にし、昼食と東京見物もできた。日頃、奈良と東京に離れ離れに生活している母子の再会もできた。現在の中央郵便局の建物は、広場側を残し、改築した。東大博物館は、二階と三階にあって、かえって古い建物とマッチし、さらに工夫して展示されている。生物研究者である御子息の説明も分かり易かった。
 旅のメインは、江の島、鎌倉ではあるが、横須賀に近い東京湾に面した海岸近くにある神社である。日本で最初に建設された観音埼灯台にも近いが、観光客が大勢訪ねる場所でもない。神社の名前は、走水神社である。
走水神社の景観(2013年11月)
 さぬさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
この歌の作者が、我々をこの地に呼び寄せたと言っても良い。
古事記に記された、日本武尊の妃である弟橘媛の歌である。日本武尊が対岸の上総に軍船で渡ろうとした時、海上が荒れて危機を迎えた時、海神を鎮めるために、入水して犠牲になったのが、弟橘媛である。岡先生は、この弟橘媛の行為は、何にも増して尊いと言っている。そのことを、参加者全員が知っている。皇后陛下も幼い時に読んだこの話を公の場で語られたことがあった。最近は、この神社がパワースポットとして、観光客に足を運ばせているようだが、現世利益の目的で訪ねたわけではない。十人以上のグループの参拝に、神社の人らしき人が説明役になって、神社の由来などを話してくれた。神官は常住していないというから、氏子の方だったのだろう。参拝者の中には、神職の人もいたのだが、じっと耳を傾けていた。解説に口をはさむようなことをしないところが偉い。
少し高台に昇り、海を眺めると対岸が見える。昨日から暦の上では冬になっていて、陽はかなり西に傾いているが、湾を航行する船が多く見える。説明がなければ意識しなかった人工島も見える。弟橘媛を思いつつ、時を超えた心の眼は「二十四の瞳」の奥にある。弟橘媛の歌は、大きく石碑に刻まれ我々と同じように海を見ている。この碑の建立に尽力したのは、明治の将軍達で、東郷平八郎の名もあった。
今回の小旅行に携えた本がある。評伝岡潔(虹の章)全二冊で、その本の記述で知ったのだが、岡先生と俳人山口誓子は、第三高等学校の同級生だという。第一高等学校と第三高等学校の野球の試合があり、岡先生と山口誓子は、応援団の中にあり、その思い出を共に随想に書いている。大正一〇年一月の試合と言うから、今日では考えられない季節である。試合は、第三高等学校が見事に逆転勝ちした。その立役者が、センターを守っていた、島田叡である。内務官僚として、終戦近くにあって、誰もが就任を希望しなかった沖縄県知事になり、最後まで職責を果たし、殉職した人物である。遺体も発見されておらず、行方不明のままになった。
岡先生が、人生の羅針盤としての教えの一つに
「他人を先にして自分を後にせよ」というのがある。同期生の中にもそうした人物がいたことを走水神社で思い浮かべた。同じく同期生の山口誓子の句に
海に出て木枯らし帰るところなし
という名句がある。好きな句の一つである。
特攻隊の人々を思っての作句らしい。「浜茄子や今日も沖には未来あり」も秀句だと思うが、走水神社から海を見ていると誓子の句に惹かれるところがある。


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Posted by okina-ogi at 08:56│Comments(0)旅行記
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