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2013年11月19日

『白萩』(拙著)諏訪湖素描

諏訪湖素描
 ここ数年、信州諏訪湖が魅力的な場所に感じてきた。これまでに、諏訪湖を訪れたことは、数多い。しかし、いずれも通過点であり、宿泊もしたこともなければ、ゆっくり足を留めたこともない。五年ほど前、伊那を五月の連休に友人を訪ねた時の帰り、片倉館というレトロな建物で温泉に浸かったことがあった。七年に一度という諏訪大社の御柱祭という大祭の日であったが、風雨の激しいことしか覚えていない。
 昨年は、高遠に、明治の教育家、井沢修二の生家を訪ねた途中、琵琶湖周航の歌の作詞者である小口太郎の像と碑があるというので、天竜川の水門近くの湖畔に立ち寄った。いずれも青葉の美しい季節で、諏訪湖がすっかり好きになってしまった。観光案内の地図を広げたり、インターネットの地図で調べていると、美術館や記念館が多いことに気づいた。諏訪大社の下社に近い場所に島木赤彦記念館があることを知った。アララギ派の歌人としてその名を知ることはあっても、関心を寄せることはなかった。俳句にはご縁があって、まがりなりにも句作は続けているが、短歌は鑑賞することはあっても創作する素養がない。作れば道歌のようになり、言葉の少ない俳句が性に合っている。
 近代俳句や短歌の源流は正岡子規に始まるとされている。それは、写生という観点を強調したことによる。自然界の様相を個人の主観が選び、そこに共感する心情を限られた言葉に移す。思いの丈を述べるのは俳句、短歌ではないというのである。俳句について言えば、若い時に師事した先生の考えがそうであったので、なるべくその流儀でやってきたつもりである。先生は、「さいかち」という同人誌に所属され
「俳句は、人生のアルバム作りのようなものです」
と言い、写真を撮るようなつもりでやってきたが、乱写はできない。フィルムに限りがあるという訳ではなく、感動がなければ良い俳句にならないと釘をさされていたからである。
 短歌も、それほど俳句と事情は異なっていないだろうと思う。他人が鑑賞する時、背景に作者の感動がなければ、空しく言葉だけが目に映るだけである。さらに言えば、技巧というか、言葉の巧みさだけでは、人の心は動かず、作者の真情が、自我から解き放たれているように感じられるような場合に秀歌といわれ、多くの人々に記憶されるものとなるような気がするのである。したがって、有名歌人の短歌だけが素晴らしいという訳ではなく、無名歌人、こん言い方も失礼で、昭和天皇が雑草という名の植物はないと仰せになられたような意味で、短歌を志した人の歌には、その人の頂点にあるような歌があるものである。
 
 島木赤彦記念館は、下諏訪町の町制百年を記念して、平成五年に建設された。諏訪湖博物館でもある。館内には、諏訪湖の生活や、自然の営みを伺い知る展示物が並べてある。島木赤彦のコーナーがあり、その活動の流れがわかるようになっている。入口近くに、アララギ派の系図があって、島木赤彦の位置は、正岡子規の孫にあたっている。父親にあたるのが、伊藤左千夫であり、その兄弟には、農民文学の先駆けともいうべき小説『土』の作者、長塚節がいる。長塚節については、後に触れたい。島木赤彦の兄弟には、斉藤茂吉、中村憲吉、土屋文明、古泉千樫、釋迢空などがいる。島木赤彦から見た系図だから、子規の直系のように書かれているが、確かに赤彦の弟子達の裾野は広い。伊藤左千夫の死後も『阿羅々木』の編集を担当したのが島木赤彦であり、歌論として〝理論武装〟もしている。アララギ派を全国に広めた功績は大きい。
 
 島木赤彦は、明治九年に上諏訪角間の地で生まれた。下級ではあるが、士族である。父親は、漢学や、国学の素養があり、赤彦の文学の土壌は、父親によって作られたと言ってもよい。しかし、村人からは謹言実直で神様のように慕われた、父親とはかけ離れて、赤彦の幼少期は、悪童そのものであった。友達の家に、泥まみれになった素足のままで上がり込み、勝手に飯を食べ一日ゴロゴロしたこともあったらしい。しかも、弟を友人に押しつけ、魚とりに興じていたという証言も残っている。このあたりでは、人の言に耳を貸さず、身勝手で行儀作法もない人間を〝ごた〟と呼ぶ。友人の父親に殴られたこともあった。島木赤彦は、ペンネームで、本名は塚原俊彦といった。祖先を辿ると、武田信玄の家臣だったという。また母方には、諏訪大社の建築に関わった名宮大工がいて、芸術家の血が彼の中に流れているという指摘をする人もいる。
 長野尋常師範学校に入学し、教師を目指すことになるが、本人は軍人志望であった。父親の反対があったのである。在学中に久保田家に婿養子となり、久保田姓となるが、妻は一子を残し若くして世を去り、妹が妻となり久保田家を継ぐことになる。教員になっても文学に対する熱意は失うことはなかった。正岡子規亡きあと、その遺志を継いだ、伊藤左千夫が編集する「馬酔木」に投稿しながら、「比牟呂」という文学雑誌を編集し、伊藤左千夫や長塚節らと交友を深めるようになる。三十三歳で校長となり、三十六歳で郡視学となり、信濃教育界での活躍もあったが、伊藤左千夫の死後は、アララギの編集や作歌に専念するようになる。
 島木赤彦の代表的な短歌を三首揚げる。
高槻の木末にありて頬白のさへつる春となりにけるかも
湖の氷はとけてなほさむし三日月の影波にうつろふ
信濃路はいつ春ならん夕づく日入りてしまらく黄なる空のいろ
高槻の歌は、志貴皇子の
岩走る垂水の上の早蕨の萌え出づる春となりにけるかも
を基調にしている。
斉藤茂吉や土屋文明もそうであったように、島木赤彦も万葉の世界に惹かれ、生涯研究し続けた。
 赤彦は諏訪湖を愛した。湖の歌は、非常に繊細な描写である。三日月の儚い光が、いまだ冬の寒さから抜けきれないでいる湖面の波に揺れているというのである。最後の歌は、晩年のものであり、浄土信仰のような宗教観が感じられるのである。島木赤彦は、胃癌のために五十歳で亡くなった。
 社会教育家で『権威』の著者である後藤静香は、歌人島木赤彦を次のような詩で評している。
 赤彦
眼鏡をかけて石をきる
眼もとをすえて石をきる
汗をながして石をきる
のみより強い腕さきで
かっちん かっちん 石をきる
 努力の人にも
 やがてこの世の日がくれる
火花が見えるのみのさき
のみの手もとは暗くても
かっちん かっちん 石をきる
島木赤彦は、求道的な歌人であったとも言える。『歌道小見』という著書がある。島木赤彦と同じ諏訪の出身である、岩波茂雄の創設した岩波書店から出版された。
 
 正岡子規に二十一歳で入門し、その歌の才能を高く評価された人物が、長塚節である。茨城県の豪農の家に生まれたが、農民の貧しさを描いた『土』は、文豪夏目漱石から支持された。小林多喜二の『蟹工船』とともに、格差社会の叫ばれる今日、再び人々の話題にのぼるようになった。長編ではないが、地味な印象が残る小説である。長塚節の人生も地味と言えば地味かもしれない。生涯独身で、よく旅をした。ほとんど全国をまわり、紀行も書いている。短歌だけでなく散文にも長けていた。咽頭結核のため三十五歳で亡くなっている。旅先であった九州の病院での客死となった。自らの死を冷静に見つめて詠った「鍼の如く」の一連の歌は、長塚節の歌境の到達点とされている。
 垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども
 短夜の浅きがほどになく蛙ちからなくしてやみにけらしも
恋と病気に絶望しかけている時に帰郷し一時の平安があった。しかし、
 単衣きてこころほがらかになりにけり夏は必ず我れ死なざらむ
と死の近いことを自覚する。
 長塚節には黒田てる子という結婚を意識した女性がいたが、病気を理由に諦め、そのことを伝えてもいた。しかし、想いは消えず、友人の島木赤彦にも打ち明けていた。赤彦に
「僕は生涯一人なんだ」
と呟く場面が、藤沢周平の小説『白き瓶』に描かれている。
 死の近くになって生まれた次の歌は、芭蕉の「旅に寝て夢は枯野をかけめぐる」を連想させる。
 枯芒やがて刈るべき鎌打ちに遠くにやりぬ夜は帰り来ん
生まれ故郷の台地を思い浮かべているのである。それは、まさに小説『土』を生み出した風景であり、過去を振り返り、土と戦い、生き抜こうと格闘した貧農に暮らす人々も思い浮かべているのである。
 五月の連休の渋滞を避けて、高速道路で友人と諏訪を訪れたのだが、昨年、他界した彼の母親は、歌の嗜みがあった。島木赤彦の記念館を知っていたら、温泉もある諏訪湖に連れてきてあげたかったと呟いたのが記憶に残った。ただ、将来の運営、維持費も考えず多額の費用をかけて建設した記念館には否定的だった。昭和の初期に、職員と地域住民の健康を考え、シルク王と言われた片倉兼太郎が一族に提言し建設した「片倉館」の千人風呂には満足してもらえたようである。この文化福祉施設の設計者は、台湾総督府も設計した著名な建築家で、建物は文化財的な価値がある。驚くのは、財団法人が経営していることである。


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『白萩』(拙著)諏訪湖素描
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