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2013年11月26日

『侘助』(拙著)我もまた城崎にて(中)

 一泊目の宿は、湯村温泉である。砂丘からは、一時間ほどで着いた。チェックインまでには、時間がある。抹茶のサービスでもてなされたが、またまたビールを注文している。お土産の本三冊を手渡す。『二人だけの桜桃忌』と『群馬の俳句・俳句の群馬』、もう一冊は拙書である。『二人だけの桜桃忌』は、百歳のしかも太宰治ゆかりの人の本だと説明するとしっかり目を通し
「これが、百歳の人の文章か」
と素直に驚いている。
「あなたも、百歳になっても良い文章が書けると思うよ」
と言うと
「そんな長生きはしとうないわ」
という返答。
『群馬の俳句・俳句の群馬』に村上鬼城が載っている。村上鬼城の句は良いという。句の内容が真摯だという。このあたりの感じは共感できる。俳句に向かう態度というものがある。その点、句の才能は他に優れた俳人のいることを認めても、高浜虚子という俳人が第一等だというのが彼の持論である。近代俳句の裾野は、虚子を頂点に広がっている。子供にも高浜年尾、星野立子という秀でた俳人がいる。山梨の俳人、飯田蛇笏も虚子門下だが、彼の俳句の師は、蛇笏の息子の飯田龍太の「雲母」の同人だと聞いたことがある。今は知らないが、昔「雲母」に投句していたのを覚えている。
 雨の日の 牡丹の客と迎えられ
彼の句だが、今日に至り他人が記憶しているくらいだから自信作だと思う。気品ある女性が、茶室に迎えるような清楚な情緒が伝わってくる。雨と牡丹の組み合わせがそうした想像を引き起こす。お茶と気品ある女性の組み合わせは、作者の人柄からはとうてい連想できないのだが、作品からはそう感じるのである。句評について、感想を求めると
「まあ、そういったところじゃ」
旅を終え、お礼の電話をした時に、これまでの自選での句を送るように依頼したところ以下の句が手紙で届いた。
○ 女箸買ひ夕立の中帰へる
○ 夕立のあと立つ風の甘さかな
○ 鉄橋を仰ぎ真夏の空あふぐ
○ 射的場の女あるじと夏の月
○ 手花火に寄りて散りゆく下駄の音
 一泊目の宿は、湯村温泉である。砂丘からは、一時間ほどで着いた。チェックインまでには、時間がある。抹茶のサービスでもてなされたが、またまたビールを注文している。お土産の本三冊を手渡す。『二人だけの桜桃忌』と『群馬の俳句・俳句の群馬』、もう一冊は拙書である。『二人だけの桜桃忌』は、百歳のしかも太宰治ゆかりの人の本だと説明するとしっかり目を通し
「これが、百歳の人の文章か」
と素直に驚いている。
「あなたも、百歳になっても良い文章が書けると思うよ」
と言うと
「そんな長生きはしとうないわ」
という返答。
『群馬の俳句・俳句の群馬』に村上鬼城が載っている。村上鬼城の句は良いという。句の内容が真摯だという。このあたりの感じは共感できる。俳句に向かう態度というものがある。その点、句の才能は他に優れた俳人のいることを認めても、高浜虚子という俳人が第一等だというのが彼の持論である。近代俳句の裾野は、虚子を頂点に広がっている。子供にも高浜年尾、星野立子という秀でた俳人がいる。山梨の俳人、飯田蛇笏も虚子門下だが、彼の俳句の師は、蛇笏の息子の飯田龍太の「雲母」の同人だと聞いたことがある。今は知らないが、昔「雲母」に投句していたのを覚えている。
 雨の日の 牡丹の客と迎えられ
彼の句だが、今日に至り他人が記憶しているくらいだから自信作だと思う。気品ある女性が、茶室に迎えるような清楚な情緒が伝わってくる。雨と牡丹の組み合わせがそうした想像を引き起こす。お茶と気品ある女性の組み合わせは、作者の人柄からはとうてい連想できないのだが、作品からはそう感じるのである。句評について、感想を求めると
「まあ、そういったところじゃ」
旅を終え、お礼の電話をした時に、これまでの自選での句を送るように依頼したところ以下の句が手紙で届いた。
○ 女箸買ひ夕立の中帰へる
○ 夕立のあと立つ風の甘さかな
○ 鉄橋を仰ぎ真夏の空あふぐ
○ 射的場の女あるじと夏の月
○ 手花火に寄りて散りゆく下駄の音
 湯村温泉は、新温泉町という町の中にある。平成の町村合併でできた町である。日本海から十数キロ内陸に入った山あいの温泉地である。湯村温泉を一躍有名にしたのは、NHKのテレビドラマ「夢千代日記」のロケ地になったからである。三十年前近くのドラマは見ていないが、吉永小百合主演の作品で、夢千代の像が建てられている。よく見ると吉永小百合にどことなく似ている。像の台座には、「祈恒久平和」と刻まれている。夢千代は、母の胎内で被爆した女性であった。
 夕食を済ませ、街に出ると夏祭りであった。川のほとりに荒湯という場所があって、源泉が湧き出している。温度は九十八度である。これは、日本一の高温である。宿でもらった卵の引換券で、温泉卵を持ち帰ることができた。ゆで卵になるまで一〇分、その熱気はすごい。友人は、宿に閉じこもっている。温泉と酒、いつもの展開である。将棋は四局指し、二勝二敗の五分。昨年は五局のうち一勝しかできなかったことからすれば上出来である。インターネットのゲームソフトで腕を磨いた成果がでたのかも知れない。決勝戦は、城崎温泉ということになった。
 旅館、朝野屋を九時前に立つ。次の城崎温泉には、昼前に着いてしまう。旅館は、三時からだから、昼飯を食べても充分時間がある。外湯もあるが、宿の温泉があるから、城崎の途中で観光できないかと思い、湯村温泉宿の仲居さんに聞いてみると、円山応挙ゆかりの寺を教えてもらった。大乗寺と言って、円山応挙一門の襖絵がある。本物もあるが、円山応挙の金箔の「老松孔雀図」や「郭子儀童子図」は、重要文化財となっており、コンピューターグラフィクによるレプリカである。中学生か高校生かというほどの少女がノートに書き込んだ説明文を読みながら案内してくれた。本尊は十一面観世音菩薩だが、この仏像を中心に襖絵が構成され描かれている。寺全体が曼陀羅のような芸術作品になっている。あいかわらず、友人は寺の外でブラブラ芸術鑑賞などには興味はなさそうである。しかし、朝から車の運転は引き受けて、客人のもてなしの姿勢は見せてくれている。
 大乗寺からほど近いところに、餘部鉄橋がある。明治四十五年に完成した橋梁で、四十二メートルの高さがある。昭和六十一年に日本海からの突風で車両が落下し、犠牲者が出た事故があった。現在は、コンクリートの支柱が建築中で、鉄骨の構造を残すかで意見が分かれているらしい。志賀直哉が城崎温泉に訪れたのが大正二年のことだから、既にこの鉄橋は完成していた。志賀直哉がこの鉄橋を渡ったかはわからない。
 小説『城の崎にて』を改めて読んでみると、あまりにも短編であることに驚いている。おそらく中学生の頃に読んだと思うが、死んだ蠅の印象だけが残っている。大正二年の夏に山手線の電車にはねられ背中に傷を負ったその療養のため、一か月ほど城崎に滞在したのである。その温泉宿は三木屋という旅館で、今も当時の佇まいを残し営業している。志賀直哉の文章は、極めて簡潔で、夏目漱石も評価し、芥川龍之介も感嘆の言を発したという話を聞いたことがある。評論家の小林秀雄も、写実的な点を高く評価している。『文章心理学』という異色のテーマの著者である心理学者の波多野完治は、志賀直哉の文章は体言止めが多いと指摘した。そして文章が短いのが特徴であるとも。これは『枕草子』の作者清少納言に類似している。対象的な作者が、谷崎潤一郎で、こちらは源氏物語のような文章だというのである。
 小説『城の崎にて』の短編は、城崎の滞在から五年後に出版された。生死の問題を見つめていることは確かである。対象としたのは、蜂や鼠、イモリなどの小動物だが、蜂には死後の自分を想像し、ネズミには死に至るまでの苦しみ、それを動騒という言葉で表現している。イモリの場合は、何気なく投げつけた石により殺してしまったことによる罪の意識と、はかなさである。その描写は心境も反映してはいるが、小林秀雄がいうようにきわめて写実的である。
 城崎の街に入る山道に「志賀直哉ゆかりの桑の木」という標識があった。その桑の木の描写は
「大きな桑の木が路傍にある。彼方の路へ差し出した桑の枝で、或る一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ同じリズムで動いている。風もなく流れの他は総て静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラと忙しく動くのが見えた。自分は不思議に思った。多少怖い気もした。然し好奇心もあった。自分は下へいってそれを暫く見上げていた。すると風が吹いてきた。そうしたらその動く葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。」
志賀直哉の文体、感性がよく現れているという有名な一節である。

 湯村温泉は、新温泉町という町の中にある。平成の町村合併でできた町である。日本海から十数キロ内陸に入った山あいの温泉地である。湯村温泉を一躍有名にしたのは、NHKのテレビドラマ「夢千代日記」のロケ地になったからである。三十年前近くのドラマは見ていないが、吉永小百合主演の作品で、夢千代の像が建てられている。よく見ると吉永小百合にどことなく似ている。像の台座には、「祈恒久平和」と刻まれている。夢千代は、母の胎内で被爆した女性であった。
 夕食を済ませ、街に出ると夏祭りであった。川のほとりに荒湯という場所があって、源泉が湧き出している。温度は九十八度である。これは、日本一の高温である。宿でもらった卵の引換券で、温泉卵を持ち帰ることができた。ゆで卵になるまで一〇分、その熱気はすごい。友人は、宿に閉じこもっている。温泉と酒、いつもの展開である。将棋は四局指し、二勝二敗の五分。昨年は五局のうち一勝しかできなかったことからすれば上出来である。インターネットのゲームソフトで腕を磨いた成果がでたのかも知れない。決勝戦は、城崎温泉ということになった。
 旅館、朝野屋を九時前に立つ。次の城崎温泉には、昼前に着いてしまう。旅館は、三時からだから、昼飯を食べても充分時間がある。外湯もあるが、宿の温泉があるから、城崎の途中で観光できないかと思い、湯村温泉宿の仲居さんに聞いてみると、円山応挙ゆかりの寺を教えてもらった。大乗寺と言って、円山応挙一門の襖絵がある。本物もあるが、円山応挙の金箔の「老松孔雀図」や「郭子儀童子図」は、重要文化財となっており、コンピューターグラフィクによるレプリカである。中学生か高校生かというほどの少女がノートに書き込んだ説明文を読みながら案内してくれた。本尊は十一面観世音菩薩だが、この仏像を中心に襖絵が構成され描かれている。寺全体が曼陀羅のような芸術作品になっている。あいかわらず、友人は寺の外でブラブラ芸術鑑賞などには興味はなさそうである。しかし、朝から車の運転は引き受けて、客人のもてなしの姿勢は見せてくれている。
 
 大乗寺からほど近いところに、餘部鉄橋がある。明治四十五年に完成した橋梁で、四十二メートルの高さがある。昭和六十一年に日本海からの突風で車両が落下し、犠牲者が出た事故があった。現在は、コンクリートの支柱が建築中で、鉄骨の構造を残すかで意見が分かれているらしい。志賀直哉が城崎温泉に訪れたのが大正二年のことだから、既にこの鉄橋は完成していた。志賀直哉がこの鉄橋を渡ったかはわからない。
 小説『城の崎にて』を改めて読んでみると、あまりにも短編であることに驚いている。おそらく中学生の頃に読んだと思うが、死んだ蠅の印象だけが残っている。大正二年の夏に山手線の電車にはねられ背中に傷を負ったその療養のため、一か月ほど城崎に滞在したのである。その温泉宿は三木屋という旅館で、今も当時の佇まいを残し営業している。志賀直哉の文章は、極めて簡潔で、夏目漱石も評価し、芥川龍之介も感嘆の言を発したという話を聞いたことがある。評論家の小林秀雄も、写実的な点を高く評価している。『文章心理学』という異色のテーマの著者である心理学者の波多野完治は、志賀直哉の文章は体言止めが多いと指摘した。そして文章が短いのが特徴であるとも。これは『枕草子』の作者清少納言に類似している。対象的な作者が、谷崎潤一郎で、こちらは源氏物語のような文章だというのである。
 小説『城の崎にて』の短編は、城崎の滞在から五年後に出版された。生死の問題を見つめていることは確かである。対象としたのは、蜂や鼠、イモリなどの小動物だが、蜂には死後の自分を想像し、ネズミには死に至るまでの苦しみ、それを動騒という言葉で表現している。イモリの場合は、何気なく投げつけた石により殺してしまったことによる罪の意識と、はかなさである。その描写は心境も反映してはいるが、小林秀雄がいうようにきわめて写実的である。
 城崎の街に入る山道に「志賀直哉ゆかりの桑の木」という標識があった。その桑の木の描写は
「大きな桑の木が路傍にある。彼方の路へ差し出した桑の枝で、或る一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ同じリズムで動いている。風もなく流れの他は総て静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラと忙しく動くのが見えた。自分は不思議に思った。多少怖い気もした。然し好奇心もあった。自分は下へいってそれを暫く見上げていた。すると風が吹いてきた。そうしたらその動く葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。」
志賀直哉の文体、感性がよく現れているという有名な一節である。


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