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2013年11月27日

『侘助』(拙著)我もまた城崎にて(下)

 

 城崎温泉の宿は、温泉街から少し離れた円山川べりにあった。旅館の前を山陰本線が走っている。宿に着く前、にわか雨にあったが、喫茶店で雨宿りをして小ぶりになったのを見計らって、宿にたどりついた。観光客用の無料傘があって、それを借用して雨をしのぐことができたのだが、商店街の人の粋な計らいに助けられた。部屋に入り、浴衣に着替えたらどしゃぶりの雨になった。この日、中国地方では各地に大雨が降り、竜巻なども起こって、災害となった。
 「わしは、志賀直哉は、よう読まんし、好きにもなれん」
父親との長い確執、小説『暗夜行路』は、友人のお気に入りとはいかないようである。志賀直哉は、長命で、文壇の重鎮ともなった人である。各地を転々とし、東京には長く暮らしていない。奈良市の奈良公園に近い高畑町に、志賀直哉の旧邸が今も残っている。白樺派と言われる、武者小路実篤らの多くの文人と交流があった家で、サロンともなった。志賀直哉に師事した作家に、小林多喜二がいる。プロレタリア作家と志賀直哉の組み合わせは不思議であるが、思想は違っていても小説の手法では多喜二からすれば学ぶところがあったのであろう。多喜二が直哉を訪ねたのはこの家だったと思う。
 今年は、太宰治の生誕百年の年である。『二人だけの桜桃忌』の著者、吉澤みつさんは、太宰と同年の明治四三年の生まれである。十月の誕生日が来れば、満百歳になる。ユーモアもあり、記憶力、思考力は衰えていない。吉澤さんのご主人が、太宰の最初の妻、小山初代の叔父にあたる。吉澤さんは、太宰に会ったのはただ一度だけである。玉川上水に山崎富栄に入水した一カ月ほど前のことで、文人の集まりの後、自宅に寄るようにという主人の託けのためだった。そのとき、今回は都合がつかないと断っているが、揉み手をして申し訳なさそうにしている太宰の姿が印象的だったと随想に書いている。
 太宰は、志賀直哉に対して反感を持っていたらしい。紀行風の小説『津軽』の中で、名ざしにはしなかったが、中央文壇の重鎮らしき作家は、志賀直哉とみて間違いないというのが文芸評論家達の定説となっている。志賀直哉も何かの座談会で、こちらは名指しで批判した。その内容は詳しく知らない。その後太宰も『如是我聞』で反論したが、決着や和解ということはなく、太宰は他界してしまう。
 『二人だけの桜桃忌』の著者、吉澤さんにこのあたりのことを話すと、志賀直哉は、太宰の品行を認められなかったのだろうという。しかし、太宰は書くことが好きだったし、晩年は、体を蝕まれ、命を削るようにして生きた作家だったと認めてあげたいともいう。また、何人もの女性と関係したことに触れると
 「女性にもてるのよ。相手が好きになってしまう。女たらしということではないのよ。だから、太宰は幸せ者です。美知子夫人は賢婦でした」
と言った。百歳の方の証言だから重く受け止めたい。
 太宰治の戦時中の作品の中に『御伽草子』がある。「こぶとりじいさん」、「浦島」、「カチカチ山」、「舌きり雀」などの日本古来の昔話を、太宰の独創を加えた意味深な物語に仕立てている。一方の志賀直哉と言えば、軍国日本を斉藤茂吉と同様鼓舞していた。志賀直哉が、戦後一変して日本主義から離れた言論、思想的豹変を思うといかにも太宰治が小児的な人物に見えてくる。同情的に言えば狡さがないのである。芥川賞の選考に漏れた時に、選考委員の川端康成の評に怒って誌上に批難の文章を載せたことなどは、大人気ないとも言える。
「考える時間が長い。はよう指せ」
将棋の対局は、終盤にさしかかっている。かなり難解な局面になっている。将棋を指しながら、志賀直哉と太宰治の話をしていたが友人は将棋に集中している。それもそのはず、城崎対局の雌雄を決する勝負になっている。
 宿での最初の勝負が五番勝負の決勝戦になった。この対局には勝ったのだが、もう二番指そうということになった。結果は、友人の二連勝。
「棋聖戦に勝ち、名人戦に負けたということだな」
主催地の友人に花を持たせたと言いたかったが、実力は、彼の方が上だと認めざるを得ない。
 「来年は、新潟佐渡対局というのはどうだね」
佐渡には行ったことがないらしい。それに新潟競馬もある。こちらは競馬には興味はないが案内くらいはしてあげよう。父親の従兄に原良馬という競馬解説者がいて、友人に競馬好きがいるから案内しても良いかと話したら、いつでも声をかけてくれということになっている。原良馬さんも高齢だから、なるべくなら来年あたりにしたい。


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