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2013年12月07日

『侘助』(拙著)由布院の秋(下)

「亀の井別荘」の歴史に少し触れておく。大正から昭和の初期にかけて活躍し、別府温泉の観光の祖というべき、油屋熊八という人物がいた。九州の温泉地の発展を夢見た人である。その油屋熊八が、由布院の自然に惹かれ、金鱗湖の近くに作った山荘が「亀の井別荘」の始まりである。犬養毅や頭山満など政界の著名人や、与謝野晶子や菊池寛、高浜虚子なども泊まり、その名を知られるようになった。油屋熊八に経営を任されたのが中谷已次郎(みじろう)という人で、中谷健太郎さんの祖父にあたる。大変な趣味人で教養人であったが、そのためか庄屋の子でありながら財産を失い、夜逃げのようにして別府に流れてきた。油屋熊八は、中谷已次郎の芸術的感性を買い、「亀の井別荘」を貴人の宿に仕上げようと考えたのである。その伝統は今日にも引き継がれている。
 「亀の井別荘」は、貴人の宿に相応しく、客室も少なく、通路伝いに離れの宿になっていて、古い民家を移築した建物もある。それだけでなく、自然を生かした庭園が見事である。湯殿のある建物も趣がある。さらに料理に地元の食材を生かし、もてなしも洗練されている。一〇〇人近くの従業員がおり、大旅館にはない人情あるきめ細かいサービスが行き届いている。当然のことながら宿泊費も高い。しかし、それは納得のいく対価である。そうは言っても、一泊四万五千円は、庶民にしては破格の値段である。今回あえて「亀の井別荘」を宿にした理由が他にあるからである。
 『侘助』(拙著)由布院の秋(下)
 中谷宇吉郎には、弟がいた。中谷治宇二郎という人で、考古学者であった。パリに留学し、同じ頃、文部省の数学留学生であった岡潔と出会う。多変数関数の分野で、世界的発見により文化勲章を受章した数学者である。二人のとりくんだ学問は異なっていたが、学問の理想において共感があり、無二の親友になった。パリ留学中に中谷治宇二郎は、病を得る。この間、岡潔は中谷治宇二郎の研究や療養のための費用も負担した。はるばる日本から夫のもとに訪れていたみち夫人と安価な宿を見つけ、自分たちの生活費をきりつめて暮らした。かけがえのない友のため留学を延長した。そして、三人は一緒の船で神戸まで帰ったのである。
 二人は別れ、岡潔は大学に戻り、数学の研究を続けられたが、中谷治宇二郎は、伯父中谷已次郎のいる由布院に療養することになる。そして、帰国後も、岡潔は、ある時は一人で、ある時は夫人と幼い子供(長女)を連れて由布院を訪れたのである。病床に伏す中谷治宇二郎の傍らに横になっている岡潔の写真が残っている。フランスでしたように、学問の理想を語りあったであろうことが想像できる写真である。昭和九年頃の話である。中谷治宇二郎は昭和十一年に三十五歳の若さで亡くなり、岡潔も他界して三十年以上になるが、二人のお子さん達は健在である。
 中谷治宇二郎の長女は、法安桂子さんという。岡潔の次女は、松原さおりさんという。この二人が由布院で再会することになった。以前からも御二人は、時々旅行などして、父親同士の友情を引き継いでこられた。先年、中谷兄弟の故郷、片山津温泉にご一緒させていただいたことがある。今回は、友情を育んだ思い出の地に我々、岡潔の思想に魅せられた人々(春雨村塾生)をお誘いいただいたわけなのである。
毎年、春には、岡潔先生を偲んで春雨忌が行われ、長く参加させていただいている。由布院行きのことも話題には出されたが、なかなか実現できなかった。最初に、由布院はあこがれの地と書いたが、二人の若き学者の友情を深めた地という特別な意識があって、由布院に行ってみたいと話していたことを、松原さおりさんは、心にとめてくださっていたのだろうと思った。お誘いくださったのは感謝というほかはない。加えて、一年に一度しか会えない、関西方面の打ち解けて話せる方々と素晴らしい宿に一泊できたことも忘れない思い出になった。
夕食の時、法安さんに父君のことをお伺いしようとも思ったが、留学前に生まれ、帰国後のほとんどを療養していた父親と、はるか離れた母親の実家のある岩手県で過ごされたことを考え、お尋ねすることはしなかった。いくつかの中谷治宇二郎の俳句が残っている。
漣の渡る湖明けきらぬ
戸を開くわづかに花のありかまで
子等遊べ主なき庭のはだん杏
繊細で、情愛の深い、優しい人だったことが句に滲み出ている。
由布院での療養の日々の句も写生句であるが、自然の営みに中谷治宇二郎の心が溶け込むような感じがする。
落葉して日毎に風の通いけり
雪雲の危うきかたや渡り鳥
幼子一人渡り鳥見る秋の原
一戸建ての我々の宿の一室に岡潔の色紙が飾られていた。宿の配慮ある計らいである。
めぐりきて梅懐かしき匂いかな
中谷治宇二郎との再会の喜びを呼んでいるような気もする句であるが、今生のことを超えた深い情緒を詠んでいるのだろう。
『侘助』(拙著)由布院の秋(下)
 中谷健太郎さんの弟である、中谷次郎さんが宿に残されている岡潔の色紙を見せてくれた。「行雲流水」の四字が書かれている。「自然は造化の放送する映像である」という岡先生の言葉を思い浮かべた。横から、さおりさんが
「父も、真面目に書くとしっかりした字を書くなあ」
と一言。中谷宇吉郎の雪の結晶のスケッチの入った色紙も見せていただいた。
 サイレンの丘越えていく別れかな
岡潔の随想に出てくる中谷冶宇二郎の句は、不思議な句だと思っていたが、さおりさんのお話で謎が解けたような気がした。由布院岳の麓から峠を越えて別府に至る道のあたりは丘のように見える。町にサイレンが鳴る中、その丘を岡潔自身が越えて行ったのである。今では、牧場もあり木々が少なく草原のような景観になっている。岡と丘、言葉をかけているところが、工夫なのだが、心情は辛い。
 法安さんのおかげで、御親戚であることもあるが、中谷健太郎さんや、溝口薫平さんにも直接お会いできたことも望外の出来事であり、何よりも由布院の希望を裏切らない自然ともてなしに、再度この地を訪ねてみたいと思った。ドラマのある人生とご縁の大切さを感じた旅でもあった。世界的建築家である、磯崎新の設計した由布院駅を降り立つと駅前通りの前方に聳える由布岳は、町の象徴になっている。


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Posted by okina-ogi at 08:54│Comments(0)旅行記
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