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2013年12月20日

『侘助』(拙著)式年造営御柱大祭

「式年造営御柱大祭」
 長野県諏訪大社で七年に一度行われる「御柱(おんばしら)祭」の正式な呼称である。
平成二二年は、「御柱祭」の年にあたる。たまたま、七年前の連休中、上諏訪駅から諏訪湖畔のレトロな温泉で有名な片倉館に立ち寄ったことがあった。その日は、昨夜来の風雨が収まらず、悪天候だったことを憶えている。駅前に人だかりがあったので近づいてみると、ニュースキャスターの筑紫哲也が取材に来ていた。癌を公表し、先年他界した。あの時、迎えに用意されたタクシーの中でおいしそうに煙草を吸っていた。
 隣県、群馬に住んでいて、日本三大奇祭と言われる「御柱祭」は、一度は観ておこうと思っていた。諏訪には、ここ数年意識して訪ねるようになった。湖畔も美しく温泉、美術館などがあって好きな観光地の一つである。昨年、アララギの歌人島木赤彦の記念館を訪ねた時、諏訪の下社の御柱は見た。目通りが三メートル以上の樅の木が使用されるので高さは、二〇メートル近くはある。友人を誘い、長距離運転になるので、交代要員というわけではないが、娘も一緒に行くことになった。「御柱祭」のことは、テレビで見ていて興味があったらしい。
 

 「御柱祭」は、一気に急な斜面を御柱が氏子を乗せて滑り落ちる〝木落とし〟が注目される。怪我人はもちろん死人が出たこともあった。危険極まりない神事だが、中止しようということにはならない。今回の「御柱祭」でも死者が出た。〝木落とし〟ではなく〝建御柱〟で氏子が落下して起こった事故による。「御柱祭」の概要を説明する。
 御柱になる樅の木を山から伐採し、里まで運び、諏訪大社に運び、神社の四隅に建てる祭である。諏訪大社の由来には諸説あり触れないが、創建は国内最古とも言われている。現在、信濃の国の一宮になっている。諏訪湖周辺に四社があり、上社は本宮と前宮に分かれ、下社は春宮と秋宮に分かれている。上社と下社では、〝木落とし〟や〝里曳き〟〝建御柱〟の日程を重ならないようにして観光への配慮をしている。それぞれの境内に四本の御柱が建つので、御柱は一六本ということになる。
 

 五月三日の「御柱祭」は、上社の〝里曳き〟であった。町内を太い縄で曳く。御柱にはメド梃子が斜めに前後左右に突き出し、その上に若者が数人乗り、掛け声とともに数メートル曳かれる。梃子で揺することによって曳き易くなるらしい。その時にラッパが鳴るのだが、音楽に詳しい友人は閉口している。進軍ラッパを連想したらしい。娘の方は野球場の応援ラッパみたいだと言う。確かに勇壮さもあり、気を入れるにはラッパも良いのだが、和洋不調和の感は拭えない。女性の高い澄み切った唄が時たま流れてくる。木やり唄だったらしい。子供も唄っている。こちらは、伝統的な里曳きに唄われてきた。祭りの深遠さが伝わってくる。
「御柱祭」が日本三大奇祭の一つだと言ったが、古代人にとっては神聖な行事だったに違いない。柱を建てるということはどういう意味があるのか、今では地元の人は深く考えていないらしい。理屈ではないのである。この祭りのために諏訪地方の人々は準備し、危険もあるが生き甲斐になっている。諏訪を離れて暮らす人々は、祭の時は必ず戻ってくる。そして、家族、親族、地域の人々の絆を再確認するのである。集団生活をうまくやれる知恵が日本人にはある。祭りもその知恵の一つかもしれない。
 日本文化をどんどん煮詰め、最後に残るのは、人間を含めあらゆる自然界を主宰する存在への帰依であり、そのことを「情緒」を鍵に説いた人物がいる。心理学的に考える、あるいは、デカルト的に考える私という心ではなく、造化の心というべきもので、前者が第一の心であれば、後者は第二の心だというのである。
 祭は、人生の中で言えば陽である。その陰には、辛い労働があったことが想像できる。祭りには酒も飲めるし、御馳走も食べられる。しかし、神事なのである。無礼講の中にも神様への感謝を忘れてはいない。戦前までの労働の大半は農業である。今日のように機械化も進んでおらず、農作業は辛かった。個人的体験を言えば、遠い昔、田植えや稲刈りを親から手伝わされた記憶しかないが、不幸にも親が残していった農地が梅林になっていて、ここ一〇年ほどは兼業農家のような生活をしている。勤めとは違う労働の辛さ、それは肉体的なことの方が多いのだが、労働の充実感を感じることの方が多い。なぜかと考えるのだが言葉にならない。最近少し思うのは、植物との共存の喜びである。確かに夢中になって仕事をしている自分を発見することがある。祭りもまた夢中になれる。そんな時、第二の心に無意識に繋がる体験ができているのではないかと思ったりもする。
 大阪万博で「太陽の塔」をデザインした岡本太郎は、「御柱祭」の常連客の一人だった。「芸術は爆発だ」といった岡本先生は、晩年には、木落としに参加したいと言って諏訪の人を困らせたことがあったと、地元紙の取材記事に載っている。その夢は果たされなかったが、養女から送られた岡本太郎の写真を腹掛けの中に入れて木落としに参加した氏子がいた。最後まで、木から落ちず、今では、彼の写真は、生前ご縁のあった男たちにリレーされ急坂を滑り落ちているとその記事は結んでいる。
 

 「御柱祭」は、縄文文化を愛した岡本太郎には魅力があったことは容易に想像できる。「御柱」は、大黒柱も意味しているらしい。大国主命、すなわち大黒様に由来する。柱を新しくすることは、神殿を建てなおすことを意味している。七年に一度、建物を新しくすることは、費用もかかるし、建てなおすほど古くなっているわけでもない。お伊勢さん、すなわち伊勢神宮は、二〇年に建物自体を建て替えている。この「式年遷宮」の年は三年後の平成二五年に行われる。
 諏訪湖畔には「タケヤ味噌」の工場がある。創業が一八七二年というから老舗のような存在である。間欠泉センターの近くにあって、「味噌会館」で土産用の味噌を販売している。一日五〇食という限定の豚汁が一〇〇円でいただける。これは実に具沢山で美味しかった。使用されている味噌を購入し、我が家でも試作してみたが、遜色はなかった。味噌の素材が良いのだろう。
 帰路は、一般道でなく高速道路にした。日曜日、祭日は距離に関係なく一〇〇〇円という割引制度に便乗し、諏訪から松井田までを移動したが、途中で娘にハンドルを任せることにした。聞けば、高速道路を走るのは、自動車教習所以来だという。友人を後ろの座席に避難させ(?)たが、「御柱祭」以上の緊張感があった。


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