2014年03月11日
3・11を考える(3)
原子力発電の問題は、単純にこれが良いと言い切れる問題ではない。東京都知事選挙で、にわかに「原発廃止」が一つの争点になったが、選挙結果からは選挙民の判断は、多様な選択肢を持って投票に臨んだと考えられる。電力と言うエネルギーを使わなければ生活できない社会になっているからだ。
現在、原子力発電所は稼働していない。火力を中心に電力を賄うことができている。多少のコストはかかるにしてもしかたない。大事故ではあったが、一度起こったからそれでもう原発は駄目というのもいかがなものだろうか。
今現在、福島第一原発は、廃炉に向けて苦闘している。これ以上の放射能汚染を出さないようにということで、何も生産的なことにつながっていかない。だがそうだろうか。多くの困難を克服し、想定以上に早く廃炉にすることができ、安全対策も確立することができたらば、世界各国で稼働している原子力発電の安全性にも寄与することができる。また、廃炉にてこずり、被害を拡大していくようだと、原子力発電は、人間のコントロールできない危険な手段という結論になっていくだろう。そのようであれば、世界の国々も原子力の発電を廃止の方向に向かわせることになる。人に害があり、コストもかかり、人の生活に寄与しないということが自明ならば、人類は原子力による発電から、異なる選択し持つに違いない。人類が手にした「火」は、管理できるから意味がある。
現在、原子力発電所は稼働していない。火力を中心に電力を賄うことができている。多少のコストはかかるにしてもしかたない。大事故ではあったが、一度起こったからそれでもう原発は駄目というのもいかがなものだろうか。
今現在、福島第一原発は、廃炉に向けて苦闘している。これ以上の放射能汚染を出さないようにということで、何も生産的なことにつながっていかない。だがそうだろうか。多くの困難を克服し、想定以上に早く廃炉にすることができ、安全対策も確立することができたらば、世界各国で稼働している原子力発電の安全性にも寄与することができる。また、廃炉にてこずり、被害を拡大していくようだと、原子力発電は、人間のコントロールできない危険な手段という結論になっていくだろう。そのようであれば、世界の国々も原子力の発電を廃止の方向に向かわせることになる。人に害があり、コストもかかり、人の生活に寄与しないということが自明ならば、人類は原子力による発電から、異なる選択し持つに違いない。人類が手にした「火」は、管理できるから意味がある。
Posted by okina-ogi at 08:41│Comments(0)
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