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2014年04月10日

桃源郷(2014年4月)

 四月五日に京都に途中下車し、その日の夕刻から奈良に二泊した。東海道新幹線沿線から京都、奈良は桜が満開である。こんな春の旅は初めてである。昭和五三年の三月に、数学者の岡潔先生が他界され、御遺族を中心に有志によって亡き師を偲ぶ会が始まって、今年が三七回目になる。春雨忌という集まりになって、遺族の方の家を宿として提供くださっている。最初出席したのは、三〇代の始めだったと思うが、確実に半分以上は出席している。今年も、一〇数名の人が出席したが、高齢化が進んでいるのも事実である。
 四月七日、岡先生の次女の松原さおりさんと有志六名で、和歌山県橋本市を訪ねることになった。現在、岡潔は、橋本市の名誉市民になっている。昨年の十一月に、顕彰碑が建立され、除幕式があった。その碑は、橋本市役所の駐車場の入口のバス停の近くに建てられた。熱心に岡潔を顕彰し、後世に広くその功績を伝えようと活動されている方のご案内で、岡先生ゆかりの地を訪ねることになったのである。
 

 橋本市には、JRで乗り換えなしで行ける列車がある。JRの奈良駅は、改装されて広く新しくなった。古い駅舎も残され、古都にふさわしい駅になっている。奈良駅を起点にし、奈良盆地を南下するのは初めてかもしれない。各駅停車なので、駅の名前が新鮮である。最初の駅の名は、京終。表札の送り仮名を見ないと何と読むのかわからない。「きょうばて」と読むのである。次の駅が帯解。こちらは「おびとけ」、近くに安産祈願の寺があることで知られている。
 天理駅を過ぎて暫くすると巻向駅になる。「まきむく」これも奈良らしい響きのある地名である。このあたりは、万葉集の香りがする場所で二十年近く前にゆっくり一人歩いた思い出がある。古墳も多い。次の駅が三輪駅である。山そのものが御神体になっている三輪山が見えてくる。麓には大神神社がある。大国主命とゆかりのある神社である。このあたりは、三輪ソーメンが作られていることでも知られている。
 

 桜井駅から列車は、西に方向を変える。耳成山、香久山、畝傍山が見えてくる。「大和は国のまほろば」と言われる場所はこのあたりである。一昨年、藤原京跡を見て香久山に登った。それほど高い山ではない。持統天皇の
春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほしたり天の香久山
の歌で知られる大和三山の一つに数えられる山である。隆起した山ではなく火山だったというが、今ではそうしたことも想像しにくい小高い丘のような山である。標高は、一五二メートルしかない。
 高田駅からは、車両は反対方向に走り、南下しながら吉野山に向かう。御所駅の右手には、葛城山が見えてくる。千メートル近くの山で頂上付近には残雪らしいものがある。山の向こうは大阪になる。県境を越えて五條市に入り、最初の駅が北宇智である。斉藤茂吉の『万葉秀歌』に出て来る天智天皇が詠んだ
 たまきわる宇智の大野に馬並めて馬踏ますらむその草深ね
はこのあたりの場所らしい。右手には金剛山があり、山を越えれば、楠正成が北条軍の攻撃を死守した千早城の跡がある。五條駅を過ぎて橋本駅についたのは、十一時十九分。奈良駅からの所要時間は、一時間四十分ほどだったが、春の風景を満喫し、歴史ある場所を見ながらのゆっくりとした列車の旅ができた。
 橋本駅には、昨日の春雨忌に参加された、Sさんが自家用車で迎えに来てくださった。遠来の客として車に乗せてもらい、他の四人はタクシーを利用し橋本市役所に直行。粋な計らいで紀ノ川を渡り、遠回りして市役所に着いた。幼い頃過ごした松原さんへの配慮でもあった。紀ノ川は広く流れも緩やかである。この地の出身の水泳の前畑秀子や古川勝も、プールのなかった時代この川で泳いだのかもしれない。
 


 岡潔の顕彰碑は真新しかった。右の碑には略歴。左の碑には似顔絵と、岡潔の遺した言葉が刻まれている。その全文を紹介する。
「日本民族は情の民族である。人と人との間によく心が通い合うし、人と自然との間にもよく心が通い合う。この心を情というのである。日本民族は情によってつながっているのである 岡潔」
著書『一葉舟』からの抜粋である。 
岡潔は、数学者でありながら、知よりも情の働きを大切にした。そして難解な数学の研究も情緒の中でやり遂げた天才的な数学者であった。記憶力も抜群で土井晩翠の「天地有情」の詩を諳んじていたらしい。かなりの長文である。その字句も現代人からすれば難しい漢字が使われている。しかも詩の気分も込めて晩年の京都産業大学の講義で朗読した。今もそのテープが残っていて、昨日の春雨忌の勉強会でそれを聴いた。
 来年には、和歌山県で国体が開催される。そのために一部を残して高速道路が整備された。今の期間は無料だという。紀ノ川を高い場所から眺めることができるというので、その道路を利用して粉河市に向かう。途中見た眺めと、桃の花が咲いているのを見ていたらまさに桃源郷のように見えて来た。粉河市には、岡潔が通った粉河中学がある。旧制中学で当時の木造の校舎はなく、校門だけが残り、校舎は鉄筋の建物になっている。廊下は五〇メートルもあり、階段式の教室があったらしい。岡潔は、この中学から三高、京都帝国大学と進学したのである。
 

 岡潔の足跡を最後に見て、橋本市から南海電鉄で大阪に向かい散会となったが、途中に御幸辻という駅がありこの近くに平成三〇年に岡潔記念館が着工される。岡潔の生地は、この駅の先の紀見峠という大阪との県境にあり、代々庄屋を務める家柄だった。祖父の文一郎は、郡長にもなり当時村であった紀見村の発展に貢献し、立派な顕彰碑が建てられている。
 昼食をした旅館の近くには、粉河寺があり、副住職が短い時間に寺を案内してくれたが、御三家のひとつである紀州藩の財力を見た気がした。建物や山門も立派だが、枯山水の石庭は、独得なものであった。岡潔の故郷は、桃源郷のように見えたのは、文化もあり経済的にも豊かな土地柄だったという背景も加わっているからそう思えたのだろう。 樹齢千年のクスノキも見事だった。


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