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2014年07月28日

中山道歴史散策(2014年7月)

江戸時代、参勤交代によって街道が整備され、宿場町が形成された。大名が泊まった本陣や昼休憩した茶屋本陣が今も残っている。安中市は、平成の合併で松井田町と一緒になった。中山道が通っていて、現代では国道が整備されている。高崎市に至るまでに、板鼻宿、安中宿、松井田宿、坂本宿があった。坂本宿からは、碓氷峠を越え信州に至る。
安中から国道一八号線で、横川駅に向かう。横川駅から先は長野新幹線の開通とともに廃止され、国鉄バスが運行している。高崎駅から横川駅までは、信越線の名前だけは残っている。横川駅の近くに鉄道村が整備され、観光施設として、鉄道の歴史を伝えている。職場のハイキング同好会の人達と訪ねることにした。
中山道歴史散策(2014年7月)

この日は大変朝から暑く、九時前だと言うのに三〇度近い熱気を感じた。最初立ち寄ったのが、安中市街地にある新島襄旧宅である。中山道から少し外れているが、藁葺の古い家で明治の初めの建物である。この家に住んでいたのは、新島襄の両親で、しかも現在の場所に移築され保存された建物である。明治維新により、江戸の安中藩邸に居た武士は、安中に戻り新島襄の父民治も同様であった。
新島襄は、明治維新の前に国禁を破り、アメリカに渡っていた。明治七年に帰国し、父親に面会したのがこの家である。前日の夜には、安中に到着していたが、老親のことを考え翌朝訪問したのである。開館は、九時となっていたが、既に受付の人がいて、縁側から座敷に通してくれた。個人的には、数十年ぶりの訪問になる。「八重の桜」のドラマもあり、以前より展示室が充実している。

鉄道村がメインだが、その途中、原市にある碓氷社の建物を見る。明治三八年の建物だが、良く保存されている。富岡製糸工場を中心とする絹遺産群には入っていないが、群馬県の重要文化財になっている。農民の組合組織で生糸を加工し輸出した。その本社事務所として建てられ、木造ながら大きな建物で、二階には大会議室がある。残念ながら内部は見学できない。桑畑の中にあれば雰囲気もあるだろうが、近くに大きなスーパーがあり、その駐車場の一画に建っている。足早に立ち去り、次に向かったのが、旧松井田町にある五料茶屋本陣である。国道一八号線で上信越高速道路の橋梁を過ぎて、すぐに右折すると広い駐車場があるが、信越線を渡った所にも駐車場がある。この日は、日曜日だが訪ねる人もなく、近い駐車場に車を停めることができた。名前だけは聞いていたが、訪ねるのは初めてである。
高崎市豊岡にも茶屋本陣が残っている。それほど大きな家ではなかったが、松井田宿の茶屋本陣は大きい。立派な門もあり、しかも二棟ある。「お西」と「お東」と言い分けている。両方とも二階建てで坪数が一八〇坪もある。農家の佇まいではあるが、賓客用の部屋がある。書院づくりの立派な部屋である。夏でも、通気性が高く涼しい。縁側に座り庭先を見ると石庭になっている。遠くに妙義山が見え、借景庭園にもなっている。信越線が家のごく近くを走り景観を損なっているが、許せる範囲である。家の裏は、山になっているが、自動車の音がしきりにすると思ったら、上信越高速道路が走っている。これも、街道にある宿場の宿命とも入れる。粋な池があって注意して見ると瓢箪の形をしている。遊び心も感じられて良い。
中山道歴史散策(2014年7月)

受付の女性が気のきく人で、「お西」と「お東」の間にある東屋に冷たい麦茶を用意してくれた。実においしく有り難かったのだが、蚊に刺された。事務所に戻ってキンカンをもってきてくれた。虫さされに懐かしい薬品である。東屋は、茶屋本陣の建物の横にあり白壁が良く見える。屋根の高い部分に鬼瓦の代りに、菱形の木組みがあった。「雀躍り」というのだと教えてくれた。建物は、一度火事で焼けたが、すぐに建て替えられて今日に至っている。一八〇六年というから、二〇〇年以上建っている。代々の名主役であり、両家とも中島姓である。
中山道歴史散策(2014年7月)

横川駅の近くには碓氷関所跡があるが、江戸時代の中山道の峠の道は狭かった。幕末皇女和の宮がこの峠を越えて来たかと驚きを感じえない。大名行列のように、人数も多くに荷物も多かっただろうから、和宮の心境はまるで都落ちのようではなかったかと想像した。この難所にトンネルを掘り、軽井沢との間に鉄道が開通した。明治二六年のことである。当時に建設された煉瓦の橋は、「めがね橋」として今も残されている。アプト式という方法で急勾配の線路を列車が移動することができたが、蒸気機関車では、機関士や乗客の健康にもよくないので、大正時代には電化される。その発電所と変電所が今も残されている。煉瓦造りの立派な建物である。トロッコ列車で立ち寄ることができる。
中山道歴史散策(2014年7月)

いつもは、通り過ぎる碓氷峠だったが、鉄道村でこの難所を人々が超える歴史を体感できた。峠の湯は火災のため休館になっていたが、帰りには磯部温泉に立ち寄り鮎料理を味わい、温泉に浸かり思い出に残る街道歴史散策ができた。


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Posted by okina-ogi at 23:10│Comments(0)旅行記
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