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2014年12月13日

果樹園の中の小さな家

 


よほど幼い頃の記憶である。古い農家の冬の日に囲炉裏の近くにあった絵本の思い出がある。広い畑の中に、様々な果樹が植えてあって、季節に実を食べることができる。春は花が咲いて気持ちが良い。そんな畑の中に、小さな家がある。家といっても、寝泊まりするほどの設備はなく、農機具を置いた作業小屋で、果樹の管理人が昼に弁当を持って仕事に来た時の休憩場所である。子供は、暮らしがどんなものかを知らない。こんな家で、毎日のんびり考え事をしたりして過ごせればどんなに楽しいかと素直に思ったのである。
 私の家は、それなりの地主で、先祖から受け継いだ田畑や山林が点在していたが、戦後の農地改革で多くの農地を手放すことになった。そんなことが心労となったのか、祖父は、私が生まれる前になくなり、祖母も私が幼稚園に入る頃亡くなっている。ほんのわずかな思い出しか残っていない。もしかすると、この絵本は祖母が買ってくれたのかもしれない。父には、子供に絵本を買うようなセンスはなかったと思う。
 父は、長いシベリアの抑留生活から帰り、長男ではなかったが農家の跡取りになった。兄がいたが、ニューギニア戦線で戦病死した。優秀な人だったらしく、祖父は、その死を悲しんだ。父が帰還した時、祖父は
「お前のようなものは、死んで帰ってくれば良かった」
と言ったらしい。私が子供の頃、お酒に酔った時この話を何度となく聞いた。そして、祖母は、その時
「良く生きて帰ってきてくれた」
と言ってくれたのだという。母親と言うものは偉いものだと言って、必ずその時は、父は涙声になる。
 残された農地の中で、榛名山が良く見える高台に、広々とした畑があった。野球場は無理かもしれないが、ソフトボールの球場ならばできそうな広さがあった。少しの傾斜はあるが、気にならない程の平らな土地で、私が小学生の低学年の頃までは桑畑だった記憶がある。養蚕で生計を立てた時代だった。その養蚕も駄目になり、桑の木は抜かれ、大根などを作ったことがあった。夏の暑い日、父に連れられ、大根の種まきの手伝いをしたこともある。喉が渇き、近所の家の井戸の水をもらいに行き、その冷たく美味しい水の思い出は忘れられない。今その井戸はない。
 その後、この畑は梅原になった。私も就職し、この畑に行くこともなくなった。父の管理も十分ではなく、いつしか篠や蓬がはびこり、すっかり荒れ地になってしまった。西瓜畑になったこともあった少年時代、畑に寝そべり青空を眺めながら、西瓜を食べた頃を想像することもできなくなっているほどの荒れようだった。この畑に、土地は相続しなかったが、家を建てることになった。昭和も残り少なくなった昭和六三年のことである。
 北側には牛舎があり、しかも南側には長野新幹線が通る計画が決まり、宅地にすべき場所に苦労したことを思い出す。用地買収があって、半分以下の土地が残った。それでも面積は三〇アール近くもあり、農地も充分なほどの広さである。父が植えた梅の木も四〇年を超え、老木になっている。子供の頃絵本で見た『果樹園の中の小さな家』が叶ったとも言える。父から相続し、梅だけではなく、桃や、プラム、サクランボ、蜜柑、林檎などを植えてみたが、売り物になるものはできなかった。
 定年退職し、この畑の一画に、終の住み家として庵のような家を建てようと思っている。幼い頃の絵本の記憶と夢の実現ができそうで、この畑に感謝している。最後は、土に帰ると思うと農業もできる環境に住める喜びも大きい。榛名山は、今日も美しい。


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