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2015年03月16日

春よ来い(2015年3月)

 北陸新幹線が長野から金沢の区間が開通し、北陸への旅が便利になった。開業から二日目の三月一五日(日)新潟県の糸魚川市を訪ねることにした。家から近い安中榛名駅に車を停めて、日帰り一人旅である。開業翌日だったので切符が手に入るか心配していたが思いのほか空席があった。八時三二分発の長野行き「あさま」に乗り長野駅で「はくたか」に乗り換える。糸魚川に着いたのが一〇時少し前だから、およそ一時間半程の時間しかかからない。
 安中榛名駅は高崎駅と軽井沢駅の間の山の中腹にあるが、一日に新幹線が停車する本数は少ない。今回の開業でかえって本数が減ったらしい。もののけ駅などと揶揄されたことがあったが、ホームに早めに行くと誰もいない。発車時刻に近くなると、数人が現れたが、十人もいない。名前は申し上げないが、有力政治家による政治駅という噂もあった。日当たりの良い南面に土地の分譲でハイカラな家が立ち並ぶようになったが、駅前には商店街などはできていない。ただ、妙義山が眺望でき、景観は素晴らしい。長い年月をかけて街らしくなっていくのかもしれない。
 

軽井沢駅に着くと残雪があり、スキー場も営業している。リゾート地とあって下車する人も多い。長野方面の新幹線に乗る機会は少なかった。善光寺の御開帳に合わせて乗車した記憶しかない。今年が御開帳の年だから七年前のことである。車窓からの信州の眺めも新鮮である。長野駅で乗り換え、飯山、上越妙高に停車し糸魚川に着く。妙高山と言い上越の山々も雪をかぶり幻想的である。高山を見ると怖れを感じる。青葉の季節である五月頃も山々の峰には雪が残り、平地で田植えをしている風景も良いものである。旅情を掻き立てる風景である。
 糸魚川駅では歓迎ムードで人出も多い。地元の商店街の人達であろう。親切に観光案内もしてくれる。駅前にはステージができてイベントが行われている。北国の雪解けを待つような新幹線の開業だったのであろう。糸魚川駅の自慢は、日本海が近くに見える唯つの駅だということである。しかしそれだけではない。海に迫って一〇〇〇メートルを超える山々を見ることができる。黒姫山、雨飾山、火打山等である。皆タクシーの運転手さんに教えてもらったのであるが、野尻湖の近くにある黒姫山と同名の山があることは初めて知った。この山の中には日本百名山に入るものもあるという。三時間ほどの滞在なので海や山に感動しているわけにはいかない。
 

糸魚川訪問の目的は、明治、大正、昭和にかけて活躍した文人が生まれた土地だったからである。駅前に碑ができている程だから、地元の人は当然その名前を知っている。明治一六年に生まれ昭和二五年に亡くなった人物で、没後六〇年が経過している。相馬御風。童謡「春よ来い」の作詞者で知られている。昔からこの童謡が好きだったが、作詞者である相馬御風を意識したことはなかった。ちなみに作曲者は弘田龍太郎である。

春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒(はなお)の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている
春よ来い 早く来い
おうちの前の 桃の木の
蕾(つぼみ)もみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている

 春待つ心というか、雪国の人ならではの詩である。子供心を良くとらえている。相馬御風の名を知らしめたのは、早稲田大学の校歌の作詞者であることである。若干二四歳の時の作品だというから驚きである。師である坪内逍遙、島村抱月の要請だったという。二人とも相馬御風の詩才を高く買っていたのだろう。糸魚川市の歴史民俗資料館は、相馬御風記念館にもなっていて、彼の文字で早稲田の校歌が木に刻まれ掛けられていた。島村抱月で思い出されるのは、「カチューシャの唄」である。松井須磨子とのコンビで上演されたこの劇中歌は大いにヒットした。一番を島村抱月が作詞し、二番以降は相馬御風が書いた。作曲した中山晋平とも親しくなり二人が残した作品も多い。
 相馬御風の生い立ちに少し触れる。相馬御風記念館でもらった資料を元にしている。相馬家は旧家で一族は代々社寺建築を生業とし、江戸時代には名字帯刀を許されていた。父親の代には家業を廃業し、父相馬徳治郎は糸魚川町長になっていた。一人っ子として育ち、母親は病弱で、御風の少年時代に亡くなっている。母子の関係は詩人の背景に大いに影響を与えている。このあたりは、研究者に譲りたい。御風は、学校の成績も良かったが、三高の受験に失敗する。その後、京都に滞在している時同志社入学も考えたが、キリスト教に違和感があってやめたという。その後、東京に出て早稲田に入学する。


 相馬御風という人は多才で、記念館で見た書などは立派である。早稲田入学後は、歌人として才能を発揮し、与謝野鉄幹の「明星」の同人となり、石川啄木とも接点をもつことになる。歌にとどまらず、詩や小説にも関心を向け、とりわけ当時勢いを持っていた自然主義文学の理論家で、評論も多く書いている。このあたりは、島村抱月や、坪内逍遙の影響があるのであろう。交友関係も広い。田山花袋、島崎藤村、正宗白鳥といった人物である。文学者として前途洋洋と思われたが、三〇代で故郷糸魚川に帰ってしまう。自己に煩悶し、文学者として再出発するのである。母校早稲田の教職の道も保証されていたかも知れないのに。
 その後、糸魚川に定住し、力を注いだのが良寛の研究である。今日の良寛像を作ったのは、相馬御風だとも言われている。この点が、今回糸魚川に行く気にさせたと言っても良い。資産家であったことも想像されるが、新潟を始め、全国各地の校歌の作詞を手掛け、収入の道もあったと思うが、良寛にならって生活は質素だったと想像した。郷土の発展にも尽力したようである。翡翠の産地であることを世に問うたのも相馬御風の功績だとされる。
大糸線に姫川という無人の駅があって、近くに「ひすいの湯」という日帰り温泉がある。交通の便が悪く、タクシーを利用して言ったのだが、入館時間は三〇分しかとれず、まるでカラスの行水のようになってしまったが、相馬御風の生涯に思いを寄せるのには十分な時間であった。インターネットで調べて知った温泉だが、なるほど独得な匂いがする。石油臭いと書いている人もいたが、鉄分が多く含まれているのではないかとも思った。成分表見たわけではないから間違っているかもしれない。お湯で流さず着替えたら、長くその匂いが皮膚を離れなかった。相馬御風の香りということにしたい。


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