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2015年04月08日

おもてなし(2015年4月)

 春雨忌という集いがある。聞けば、今年で三六回になるという。故岡潔の供養の集まりである。岡潔は、昭和五三年の三月一日に他界している。世界的数学者として文化勲章も受章している。晩年は、数学の研究から離れ、心の世界を追求し、人がどのように生きれば人類が幸福になれるかを、命を削るようにして著述や講演で訴え続けた。訪ねて来る人には拒まず対面して話した。
 死後も、その深い思想に惹かれるようにして、有志が集まりを持つようになった。岡潔には、住み込みで日常を共にする書生ともいうべき人がいた。話を聞くところによれば、当初は、この人達が事務局になって春雨忌の案内を出し、集いの裏方を務めていた。ただ、会場を提供したのは次女夫婦であった。遠方の訪問者を泊め、手造りの食事まで用意して、父親の想いを身を持って伝えた。
「花燃ゆ」では、松下村塾が登場しているが、まさに塾のようである。長年、この会に参加して思うことは、共に学ぶという姿勢である。師は、亡き岡潔である。幸運なことに多くの著作が残っており、京都産業大学の講義のテープも残っている。集う人の自覚が深まるように互いに語り合い、自分の心の向上計るよう再会を約して別れた。一口に三六回と言っても大変な時間が流れている。加えて会を支えた次女夫婦、そしてご子息のご苦労は大変なものである。最近使われる「おもてなし」と言う言葉でも表現しきれない。見返りを求めることが、一切ないからである。「自分を後にして他人を先にせよ」というのは岡潔の教えであり、大変さを岡潔の遺族は微塵も見せない。頭が下がる。そのことに報いるためには、師の言葉を借りれば自分の識を高めることである。それだけには留まらず、菩薩のように狭くても自分の周りの人々やご縁のある人に情を寄せることである。世のためなどということでなくても、一隅を照らせば良いのであって、仏教の言葉を借りれば「衆善奉行」と考えるようになった。
 今年の正月、春雨忌で親しくなった友人が亡くなった。伝え聞くところによると、元旦子供達と団欒の後、忽然として世を去ったのである。人の世の無常を感じる。会津八一の歌が好きな人でいつも『鹿鳴集』を持参していた。彼を偲び、この本を持参し、春雨が柔らかく降り注ぐ、春日大社あたりを朝早く起きて一人散策した。
 春霞 禰宜の中道 ひとり行く
新薬師寺の狭い脇道を抜け、春日大社の参道に抜ける道がある。全くの山道で、原始林のような森になっている。木の標識があって、「禰宜の中道」と書かれてあった。途中人に出会うこともなく、雀らしき鳥の鳴き声だけである。春日大社の社殿に近い場所に出る。今年は二〇年に一度となる式年造替の年にあたっている。伊勢神宮のように新たな場所に社殿を立て替えるわけではない。社殿の大修理が行われるのである。来春、社殿を参拝することにして、奈良公園に向かう。
 参道の脇にしばし腰掛け『鹿鳴集』を開く。会津八一も季節季節にこのあたりを歩き、万葉を彷彿させる歌を詠んでいる。春の歌を二首揚げる。
 たびびと の め に いたき まで みどり なる
 ついぢ の ひま の なばたけ の いろ
高畑にてと前書きがあるが、このあたりには築き地塀が多い。崩れた塀の間から見える菜の花に目がとまった。
 ならざか の いし の ほとけ のおとがひ に
 こさめ ながるる はる は き に けり
奈良盆地の北に、奈良坂がある。ここからは、大仏殿が良く見える。その坂道の登り口に「夕日地蔵」という石像がある。
 バス通りに出る手前に広々とした草原のような場所があり、飛火野と言って多くの鹿がいる。高円山や春日山が背後に見えるが、春霞で見えない。若いカップルが鹿の間をぬって鹿苑の方向に歩いて行く後ろ姿が霧に隠れて行くように見えた。鹿は、見向きもせず草を食べている。
 春鹿や ゆくりゆくりと 草を食む


一時間程の散策だったが、宿泊させていただいた次女宅に戻ると朝餉の用意ができている。ありがたい限りである。食後、京都産業大学での岡先生の講義を録音テープで前日の宿泊者と、昼の食事会、午後の墓参に参加する人達と拝聴した。内容は難解だが、ただただ肉声が懐かしい。
 
 三日目の朝、有志で古市古墳群を見にゆく。こちらは事務局の計らいである。会費を集め、添乗員のように電車の切符の手配、食事場所の世話までしてくれる。事前に下見もしている。これまた無償の「おもてなし」である。
 近鉄奈良駅から西大寺で乗り換え、橿原神宮駅で再度乗り換えて古市で下車。この近くに古墳群が集中している。代表的な古墳が応神天皇陵である。大きさは仁徳天皇陵に次ぐ。周囲は、住宅になっている。全体像は見られない。誉田八幡宮を参拝して、応神天皇陵の拝所まで歩いて行く。誉田八幡宮の境内にある桜は古木だが満開である。拝所から見る陵の森は、小山のようになって別世界である。こうした形で、町の中に自然が残されていることも意味がある。応神天皇は、実在した天皇とされる。一五代の天皇で神功皇后の皇子である。中国の書物から年代が推測できると言う。四世紀の後半のことで、大陸の文化が日本にもたらされた時代であった。
 次の古墳に向かう。距離があるのでタクシーになった。搭載されているナビを見ると大小の古墳が点在していることがわかる。白鳥陵は日本武尊の陵とされている。東征を終えて大和に帰る途中病を得て三重の地で亡くなるが、魂は白鳥となってこの地にたどり着いたとされる。そして最後は天上に昇って行った。そのことから、羽曳野という地名が生まれたのだという。


 応神天皇陵のある古市古墳群と仁徳天皇陵のある百舌鳥古墳群は、世界文化遺産への登録を目指している。既に登録されていると思っていたので意外な感じがした。



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