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2015年08月08日

『長英逃亡』吉村昭著 新潮文庫(上・下)



『ふぉん・しいほるとの娘』に続く、吉村昭の作品。これまた長編である。長英とは、蘭学者高野長英のことで、幕府の防衛政策を『夢物語』という本で批判したとして、投獄された。世に言う、蛮社の獄である。鎖国政策により、外国船は打ち払う方針だったが、それは、日本の国力を考えて無謀だと警告した。蘭学により、外国の事情に詳通していたからの意見で、投獄されるような罪とは思えないが、当時の政治状況と幕府の中枢にいた人物の考え方に大きく左右された。
鳥居耀蔵という人物は、蘭学嫌いで、徳川幕府の御用学者でもある林家の生まれである。朱子学だから相当に保守的である。しかも、妖怪といわれるほど、出世欲もあり、権力者に媚びつつ、政敵を失脚させたり、反対論者を弾圧することに異常とも言える能力を発揮した。悲しいかな、高野長英の愛国的意見は、封じられた。渡辺崋山も自刃に追い込まれる。いつの世も、この類の人物がいる。
高野長英の入牢は、5年以上に及ぶ。人望があり労名主になったが、劣悪な環境に、近い将来の死を自覚した。放火させることにより、脱獄することを決意する。切放しをねらったのである。牢獄に火災が及ぼうとするとき、一時釈放し、所定の場所に戻るようにする制度があった。戻らなければ死罪になる。高野長英は戻らず、逃亡するのである。
現代、凶悪犯が指名手配されるが、時効まで逃げ延びることも多いが、この時代は、ほとんど捕縛されていた。人相書きなどが庶民の目に留まるようするのは、今も同じだが、関所があって国越えをするのに厳しい監視があった。逃亡先を予測し、人間関係を細かく調べ、村々に密告ができる体制になっていた。また匿うことは、重罪であった。そのような中、高野長英は、6年以上全国を逃亡することができた。驚くことに、その間に、兵学書を翻訳しているのである。
その種明かしは、本書を読んでいただく事にして、読後感として言えば、学者としての良心と言わざるをえない。命がけの学問は、言論の自由が保障されている現在まれである。
集団的自衛権が国会で、法制化に向けて議論されているが、個人でも掘り下げて考えてみる必要がある。戦争を抑止し、平和を維持することができるかという観点である。
 文庫本のカバーの絵が、逃亡者の心理をよく表していると思った。特に上巻の絵は、身震いを感じるほどである。色調は黒である。雪のかかった高山に月光があたって薄暗く光っているさまがなんともいえない。


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