2015年09月15日
『曳き舟の道』 濱岡三太郎著 幻冬舎 1400円+税
川の話である。現代でもそうだが、舟は大量の物資を運ぶことができる。ただ、高低差のある川となるとそうもいかない。京都の豪商で、角倉了以は、保津川と大堰川の開削により、舟で荷を運ぶことができるようにする事業を思い立った。豪商といえども民間人である。為政者の許可も要る。今回の鬼怒川のように大雨によって、せっかくの開削もやり直すようなこともあるだろう。しかも、いったん下流にくだった舟は上流に戻さないと使えない。陸路を運ばず、同じ川を戻ったのである。それが、曳き舟である。河岸を数人で綱で引き上げていった。しかも空舟ではない。多くのリスクは、あったが、鉄道運送が行われるようになるまで、主要な運送手段になった。
一級河川は、現代では国土交通省の管理である、全ての費用は公費なのだが、角倉了以は、工事費を自分で負担した。そのかわり、運行費をもらう権利を与えられた。その55パーセントは徳川幕府に収めたという。後に、富士川と天竜川の工事を請け負ったが、天竜川の開削は、困難が伴い断念している。こちらは、幕府の事業である。後に、人工の川、高瀬川を京都二条から伏見まで開通させる。40代から61歳までにやり遂げたというから凄い。息子の素庵の協力もあったにしても。時代も激動期で、たくましい生き方に感心する。政治と距離のとり方にも興味を引かれる。いわゆる、政商ではない。権力から距離を置くように、角倉了以は息子に遺言している。信長、秀吉、家康も好きではなかった。しかし、角倉一族は、医学者もおり、弟が家康のおつきの医師だったことも、事業にプラスになったことは否定できない。
Posted by okina-ogi at 12:00│Comments(0)
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