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2015年09月23日

京のことは、夢のまた夢(2015年9月)

 露と落ち露と消えにしわが身かな難波のことは夢のまた夢
太閤秀吉の辞世だと伝えられている。秋の連休を利用して京都を訪ねた。大学時代の友人夫妻が相次いで亡くなり、二人を偲ぶ会に出席するためだ。遺児二人、友人親娘、ゼミの担当教授と私の六人である。場所は、先斗町にある川床のある店である。現地集合ということにして、時間まで京都を散策することにした。
 京都駅から、二条城を目指す。市バスに乗ることにした。下車するのは堀川下立売。バス停の近くに、江戸初期の儒者、伊藤仁斎の開いた塾の跡が残っている。古義堂と言った。伊藤仁斎は、私財を投じて高瀬川を開通させた角倉了以を曽祖父にもつ。林羅山のように御用学者にならず、大衆に多くの弟子を持った。その姿勢は、教授というより共に学ぶというものだった。古典に戻り、孔子から遥か後に体系化された、朱子学とは違っていた。今日流に言えば、情や愛を掘り下げた思想になっている。その教えは、子孫によって明治まで続いたというから驚きである、今の建物(書庫)は明治時代のものらしい。松も由緒あるものと立て看板に書いてあった。
 堀川通りを横断し、上長者町通りに入り、何筋か目が、黒門通りである。ここから、数十メート北に行った右側に下宿した家があった。住所は、京都市上京区黒門通り上長者町上ルとなっていたと思う。番地は覚えていない。上ルというのは、北に行くことで、上長者町(東西の通り)の通りから、黒門通り(南北の通り)を北に行ったところですよということなのだが、碁盤の目の京都市街ならではの住所表記である。典型的な町屋造りの家で、間口が狭かったが、奥行きはあった。この家の二階に住んだが、外窓はなかった。『罪と罰』のラスコーリニコフの屋根裏部屋ほどではないが、寝るだけの部屋のようだった。隣の友人の部屋は、中庭に面し、陽光も差込み、面積も広かった。家賃のことがあったのだろう。良い部屋を、友人に譲ったわけではない。定年退職後の教師夫妻が、一階に住んでいて、あまり門限などの決まりにはうるさくなかったような記憶が残っている。朝になると豆腐売りのラッパや、機織の音が聞こえてきた。いわゆる西陣と呼ばれる地域だった。応仁の乱の山名宗全の陣があったからその名があると言われている。どこかに、碑があったような気がする。
 下宿先の家は、見つからなかった。人に尋ねることもしなかったが、記憶にある家はなかった。家主は既に他界しているだろう。四十五年の月日が流れている、
 ふるさとは 家なくてただ 秋の風
という句が浮かんだ。
「物質はない、映像だ」と言った人の句である。
京のことは、夢のまた夢(2015年9月)

黒門通りの西側一帯に秀吉が築いたとされる聚楽第があった。その位置は、推定の域を出ないが、堀もめぐらされた広大な敷地の中の建物で、金箔に装飾された豪華なものだったらしい。近年、石組みや、屋根瓦が発掘され、その存在が確かめられている。秀吉の甥にあたる秀次も住んだらしいが、築いた秀吉の手で破壊されたらしい。秀頼の誕生により、秀次は聚楽第のように抹殺されている。秀吉の権力への執着は凄まじい。京都の町を土塁で囲んだ御土居といい、大阪城の築城といい、膨大な資金と労力を注ぎ込んだ力は驚愕に値する。権力を得てからの所業は、家康と対比されるが、一代で権力の頂点に上り詰めた運と力量は認めても、秀吉に対しては、何か違和感が残る。
偲ぶ会までには時間がある。聚楽第が見られない代わりに二条城を見ることにした。連休ということもあり、入場者で溢れている。外国人も多い。爆買いで知られる中国人が目立つ。日本庭園や二の丸御殿を見てどう感じるのだろう。ごみ等落として行ってほしくないし、落書きなどはご法度だ。相変わらず声が大きい。
京都を今回訪ねたもう一つの目的は、庭園の鑑賞である、方丈庭園や、枯山水の庭園、りっぱな松の配置された庭は参考にはできないが、和洋折衷のシンプルな庭を考えてみたいと思っている。芝と石を使い、庭に高低を作り、安らぎの眺めが作れれば良い。新築予定の小家屋は、高台にあり、遠山の借景と敷地は梅林の中にあるので、植木はいらない。手のかかる松などは論外である。問題は採光である。芝が育つ環境であるかが肝心である。京都の土壌は、粘土質である。芝には向いていない。苔には向いている、二条城の庭園の芝もなんとなく元気がない。大政奉還の舞台になった部屋、四百五十メートルもあり鴬張りの廊下のある建物には関心が向かなかった。
二条城を出て、御池通りを東に行く。御池通りは広い。京都の火災の延焼を防ぐ通りとも聴く。車社会になってみればこうした広い道があっても良い。京都市役所のレトロな建物が見えてくる。このあたりは、長州藩邸や本能寺があった場所である。高瀬川に出る。高瀬舟が固定されている場所が、一之舟入として残されている。舟入は、下流にも多くあったが、埋め立てられている。『曳き舟の道』という本を読んだが、角倉了以という人は、今日なら確実に京都名誉市民。あるいは名誉府民、あるいはそれ以上の存在である。人々の暮らしを豊かにした。豪商ではあったが、私欲から発想した事業ではない。一族からは学者や芸術家も出ている。息子角倉素庵は、「嵯峨本」で知られ、自身は能筆家でもあった。藤原惺窩にも師事した教養人でもある。辻邦夫の『嵯峨名月記』に本阿弥光悦や俵屋宗達とともに描かれている。
川床での食事会になった。なるほど風情がある。鴨川の流れは緩やかで、どこからとなく三味線の音色が聞こえてくる。陽も次第に暮れて、月が浮かぶ。亡き友人夫妻の遺児は、好青年であった。兄には、父親の面影があり、弟は母親似に見えた。葬儀に参列できなかったので、親しく会話できる時を持てて、一つの心の区切りができた。父親のようにお酒が好きだと聞いていたが遠慮がちにしていた感じである。
三条木屋町からタクシーで恩師の家へ。何度となく泊めていただいている。家までの道は私道となっていて市街地には珍しく舗装がされていない。道脇に敢えてというふうに野草が植えられている。夜目にも芒はわかる。女郎花が目に入った。秋の風情が、玄関までの道に感じられる。恩師の奥様が種を蒔き、育てられていた。東京国立博物館で見た酒井抱一の『夏秋草図屏風』を思い浮かべた。
高級な焼酎が用意され、すっかり飲みすぎて酔いがまわってしまった。女郎花の話になった。野草、薬草に関心がおありで、自宅の庭にも鉢植えの野草もある。カリガネ草の花が、翌朝応接間の窓から、ひときわ美しく咲いているのが見えた。奥様は、心理学の大学教授であったが、臨床家でもあり、長くカウンセラーをされていた。快活に良くしゃべられるが人の話も良く聴いている。大脳前頭葉が優れているというしかない。思考の回転がとにかく速い。人物評などすべきでない。新島八重、平塚らいちょうといった女性と重ねた思慮のない発言は、前頭葉が低下した酔っ払いの口から出たものとお許しいただいたが、全くの失言だった。
ご主人は、対照的に寡黙である。ただ、人の話を良く聴いてくださることに共通点がある。教えていただいた古人の歌がある。今もって忘れない。
人はただ情けあれ 朝顔の花の上なる露の世に(閑吟集)
人の悪口や愚痴もこぼしたらしい。傍らでご主人が苦笑していたところを見れば、辛辣な内容ではなかったらしい。他人の前では、他人の悪口は言わない。むしろ褒めることが大事と言い聞かせていたが、お酒の勢いだったのかと猛省。
 翌日、恩師の運転で大徳寺の前まで送っていただいた。もう一つの下宿を訪ねたかったからである。その下宿は、今宮神社に近く、大徳寺の脇にあり、同じ建物が残っていた。利休像の置かれた山門、秀吉が築いた御土居跡も見た。これより先、鷹ヶ峰地区には、本阿弥光悦一族や、職人、富裕な町民が住む村があった。芸術村と言っても良い。その名残は、光悦寺くらいにしか残っていない。時間の制約もあり、その寺を訪ねることはできなかったが、京の町を見下ろせるような場所にある。当時も今も閑静な場所である。本阿弥光悦という人は、書もできたし、陶芸もできた。画家でもあり、作庭師でもあった。俵屋宗達を見出した人でもある。宗達が描いた鶴の絵の上に、三十六歌仙の歌を書いて蒔絵にしている。平家納経の修復を経験したことが素地にあるが、重要文化財になっている。日本のダ・ビンチと呼ぶ人もいる。前田家をパトロンとしたようだが、角倉了以と同様、権力からは距離を置き、特に晩年は、芸術に打ち込んだ人物である。やがて、その精神は尾形光琳などに引き継がれていく。
一泊二日の京の旅だったが、不思議な印象が残った。人生は夢のようである。まさに、京のことは、夢のまた夢という感じがした。京都は、第二の故郷のような気がしている。秀吉と違うのは、為政者でもなく、巨大な建造物や構造物を築いたわけではない。思い出多き地ということである。それも移ろって無常だが、ただ大事なものが京の地には残っているような気がする。情と言う心の働きは、消えざるものかもしれない。


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Posted by okina-ogi at 17:49│Comments(0)旅行記
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