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2015年10月02日

加賀百万石(2015年9月)


北陸新幹線が、三月に開通し、終着駅になったのが金沢駅である。「かがやき」は、高崎駅には停まらない。安中榛名駅から「あさま」で長野駅に行き、乗り換える。「かがやき」は、全席指定席である。切符を購入するときに駅員さんが教えてくれたのだが、「あさま」は、指定席をとっても料金は同じだという。七時五十八分安中榛名駅発、長野で数分の乗り換え時間があり、金沢駅に九時五十二分に着いた。所要時間は、二時間とはかからない。便利になったものである。
 

能登半島、片山津温泉への小旅行はしているが、金沢の町をゆっくり見たことはない。金沢城、兼六園も足早に見ただけで、印象が薄い。多分、団体旅行だったのだろう。いつのことだったのかも記憶がはっきりしない。今回は、軽装で思いっきり金沢の町を歩いてみようと思った。
 今宵の宿は、ホテルルートイン金沢駅前。インターネットで予約済みだが、確認のため立ち寄る。こうした手段に一抹の不安がある。予約はできていた。荷物(リュックサック)を預けず、近江町市場を目指す。ここの賑わいは、たびたびテレビで紹介されている。なるほど店が多く、平日の午前中でも人が多い。値段は、決して安くはない。日本海の高級魚、のど黒は、高い。昼には早い。豪華な海鮮丼と生ビールというわけにはいかない。金沢城址は近い。門があるわけではないが城址公園に入ると、広大な芝生の敷地が目に入る。その一段高いところに建物がある。石垣が見事である。長い年月の間に整備されたのだろうが、時代ごとの様式があるという。
 兼六園に向かう。金沢城址との間は、道路になっていて橋が掛けられ石川門に繋がっている。兼六園が高台にあるというのは以外であった。庭園の池や小川(曲水)の水は、犀川の上流から引き込んでいる。三代藩主前田利常が板屋兵四郎という人に命じて完成させた、辰巳用水である。この水は、サイホンの原理を使い、金沢城の堀の水ともなっている。市街地図を見ると、金沢城址や兼六園は、犀川と浅野川に挟まれている。


 兼六園から犀川に向かって丘を下ると、「金沢ふるさと偉人館」がある。金沢の偉人、九十一人が紹介されている。江戸時代末期から現代までに活躍した金沢市ゆかりの人々である。雪の研究者であり、随筆家であった中谷宇吉郎は入っていない。科学者として高峰譲吉のコーナーに目が留まる、金沢城に入るところに、高嶺譲吉の家が保存されていた。日本庭園が美しく整備されている。タカジアスターゼという消化薬の発見者でも知られているが、政財界に交友関係が広く、日米親善にも尽くしている。理化学研究所の創設にも関わっている。理化学研究所創設者である桜井錠二は、日本近代化学の父と呼ばれている。天文学者の木村栄(ひさし)は、第一回の文化勲章受章者であり、哲学者の西田幾多郎と親交があった。西田の方が一歳年下である。
西田幾多郎と鈴木大拙が同級生であったことは、よく知られているが、金沢の偉人の一人に上げられている建築家の谷口六郎の設計で、鈴木大拙記念館が建てられているというので見学しようと思ったが、あいにく休館中であった。「金沢ふるさと偉人館」からも近く、金沢散歩のコースに入れていたのだが残念であった。西洋と東洋の思想を深く思考した点で共通している。
著名な文学者としては、泉鏡花、徳田秋声、室生犀星の名が見られるが、室生犀星は、犀川近くに記念館ができ、訪ねてみることにした。「金沢ふるさと偉人館」を出て、記念館に向かうことになるのだが、その前に気になった人物が紹介されていた。この人のコーナーに一番時間を費やした。台湾に東洋一というダムを建設した人物で、今も現地に銅像が建ち、多くの台湾の人々から感謝されているという。八田与一という。この人の業績については、本を購入して調べることにした。板屋兵四郎の用水事業と八田与一の灌漑ダムが重なってきた。


室生犀星の記念館は、地図を見ると、橋を渡ってすぐ近くにあるように見えたが、案内板が目に留まらず、なかなかたどり着くことができなかった。人口に膾炙している彼の詩は
ふるさとは遠くにありて思うもの
であるが以下詩は次のように続く
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆうぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
実に複雑な心境を詩にしているというしかない。犀星のふるさととは、かれにとってどのようなところなのか。館内の紹介ビデオで見たところ、犀星は庭造りに趣味があったようである。それも日本庭園で、石よりも苔を大事にしたという。子供が、苔を踏みつけると本気で怒ったという。犀星は、私生児だったという。父親は士族の老人で、女中との間に生まれている。寺の養子になったが、養母は愛の薄い女性だったらしい。実母の顔を見ることもなかったという。
夏の日の匹婦の腹に生まれけり
なんとも辛く、自嘲の句であろう。ふるさとが懐かしいと言ったら嘘になるだろう。
 特別企画展として「犀星と田端文士村」が開催されている。東京市田端は、大正時代田園が多く残っていたようである。この地に、文人が多く集まった。その中心が犀星であり芥川龍之介であった。群馬の詩人、萩原朔太郎との交流も始まる。とりわけ、萩原朔太郎は、犀星に大きな影響を与えている。群馬の詩人、伊藤信吉は、朔太郎に紹介され犀星の書生になった。犀星の死後、娘と同じくらいに、日常の生き様を語れる存在であり、ビデオに登場している。堀辰雄も犀星と親交があったらしく、堀の妻も登場していた。堀辰雄と言えば軽井沢。犀星の記念館は軽井沢にもある。後日、セットにして軽井沢を訪ねてみようと思った。犀星の庭への思い入れが見られるかもしれない。宮崎駿のアニメで、堀辰雄の世界は少し覗いている。彼の記念館もある。
 この日の金沢は快晴に近い。武家屋敷を川沿いに歩きながら、前田家を祀っている尾山神社に立ち寄り、ホテルに帰る。目的どおり、よく歩いた。万歩計は、24000歩を超えている。距離にすれば、十キロは、優に超えている。近くの海鮮料理の店で、金沢の海の幸を堪能した。生ビールが美味い。運動のお陰である。ホテルには、職場の野球部員が宿泊している。明日は、試合の応援である。
 翌日、部員の車に便乗して試合会場に。津幡町総合グランドにりっぱな球場がある。結果は、五回コールド負け。しかも、四球二つのノーヒットノーラン。相手の投手のできが良すぎた。わざわざ、金沢に来て一回戦負けは悔しいだろうが、今日もホテルは予約しているらしい。金沢の夜を楽しんで帰ってほしい。こちらは、津幡駅まで車で送ってもらい、金沢駅から新幹線で帰路に着く。家に帰って地図を見たら、近くに倶梨伽羅駅がある。古戦場もある。木曽義仲が平家の大軍を打ち破った場所である。牛の角に松明を燃やしたというが、事実は定かでないようだ。


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