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2015年10月13日

『ホトトギス』と村上鬼城の世界



今年は、俳人村上鬼城生誕150年になるという。群馬県立土屋文明文学記念館で、村上鬼城の企画展が開催されている。村上鬼城が亡くなったのは、昭和13年で直接俳句を学んだということではないが、直弟子ではないが、高崎の大橋町に住んでおられた秋池百峰先生から20代に俳句の初歩を学んだことがある。秋池先生の直接の師は、松野自得という人で、僧侶でもあり、絵も描いた。「さいかち」という俳誌を主宰していた。その、俳句の基本を有季定型(5,7,5の中に季語がある)と「写生」に置いていた点は、村上鬼城の属していた『ホトトギス』と同じである。秋池先生から、鬼城の俳句についての評を聞いたことがある。「野球で言えば豪直球という感じがする」として、次の句を挙げられた。
浅間山 煙出て見よ 今朝の秋
雹晴れて 豁然とある 山河かな
上州人なら共感する写生句である。市内にその句碑がある。
40歳の若さで亡くなった俳論を得意とする大須賀乙字は、村上鬼城を評して
「明治大正の御代に出でて、能く芭蕉に追随し一茶よりも句品の優った作者」と言った。後に、文芸評論家の山本健吉は『現代俳句』で、俳人村上鬼城を評している。
企画展の紀要に加古宗也氏が所見を書いている。山本健吉の鬼城評を抜粋すると
「一茶のようにひねくれたところがなく、人間的に暖かく、諦観的で、世間を恐れ、宿命に安んずるふうが見えるが、それだけに一茶のような鋭い皮肉や、反抗的身ぶりは認められない。下性下根の庶民性を失わなかった点では一致しているが、一茶のほうがはるかに妄執が激しく、それだけに人間的苦悩も深刻で、現われかたも一途であり、作家的・人間的魅力において数等たちまさっている」
というものである。企画展を見る前の、村上鬼城観は、山本健吉の評論に支配されていたような気がする。俳句の評論家としての山本健吉の力量は認めるが、それほど簡単に言い切るだけの存在ではない、鬼城の句の重さがあるような気がした。そろそろ、じっくり村上鬼城の句に接する時がきたような気がする。深刻な人生の中に、飄々と生きて、しかもユーモアを含んだ感じがある。同じ村上姓ではあるが、高崎中学(母校の前進)の教師であった村上成之との親交があったことは、新鮮な発見であった。村上成之は、土屋文明を世に出すことに一役買っているからだ。


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