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2016年09月13日

軽井沢散策(2016年9月)

 


堀辰雄の文学記念館は、追分にある。国道十八号線を車で移動。建物は、追分宿の一角にあった。門が立派である。表札があって、追分本陣の門を移築している。記念館は、平成になって開館したが、堀辰雄が晩年過ごした家が残っている。昭和二十八年に四十九歳で亡くなったが、ほとんど病床に伏す日々が多く、文筆活動はできなかった。新居には、二年も住むことはできなかったが、夫人と幸せな時間を過ごすことが出来たのではないだろうか。
 作家が読書家というのもおかしいが、若いときから病弱であった堀辰雄に書物は特別なものであったことがわかる。それは、庭先に書庫を造っていることである。和室四畳半くらいの独立した建物である。本の並べ方も、夫人に指示していたが、完成を見ることなく亡くなった。一人静かに、来し方をたどり読書する空間にしたかったのであろう。健康が許せば、小説も書いたかもしれない。妻多恵は、夫の死後半世紀を生き、二〇一〇年になくなっている。夫の死後建てた家は、展示室になっている。
 数年前に宮崎駿監督が『風立ちぬ』のタイトルでアニメ化したことがある。内容全てが『風立ちぬ』ではないが、小説の雰囲気は出ていた。堀辰雄には、多恵と結婚する前に婚約していた人がいる。矢野綾子という人で、婚約後一年もしないで結核で亡くなってしまう。風立ちぬ』に登場する節子は、矢野綾子がモデルになっている。
 堀辰雄には、若いときから健康問題が付き纏っていた。肋膜炎で死に掛けた時もあり、結核は完全に治癒しなかった。いつも「死の影の谷」を歩んでいた。尊敬する芥川龍之介の自死や、母親が大震災で亡くなった体験もあった。身近に綾子の死にも出会っている。人の世の儚さ、侘しさを痛いほどに味わった人生であったと思う。彼の生きがいは、物を書くことであったし、それが生活の糧になったことは、才能に違いないが、愛するものの存在は必要であった。その存在は、ただ傍らにあれば満足だというの『風立ちぬ』から伝わってくるし、高原の自然が背景にあって、なんとも清淨観がある。病弱ではあるが、精神的には逞しく生きている。散歩と読書、文学としての創作が多くの時間を占めている。
 「風立ちぬ、いざ生きめやも」


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