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2016年10月14日

札幌、小樽、余市へ(2016年10月)



 北海道への旅は、意外と少ない。札幌も二度目で、三十年以上前のことである。時計台に立ち寄った写真が残っているが、旅の記憶もすっかり薄れている。小樽や余市は、初めて訪ねることになる。残暑から長雨を経て、秋の気配が漂うようになって、金木犀の香りに惹かれるように北海道に渡ってみたくなった。あえて言葉にすれば、「開拓使」、「札幌農学校」という、明治維新後の薄れた奇跡を追ってみたいという気持ちである。そこから始まった、殖産による北海道の発展である。二百万都市、札幌は、その成果であるが、揺るぎもない、日本有数の大都市となっている。
 十月九日(日)の出発の日、関東と札幌周辺の天候は、同じ日本とも思えない違いがあった。羽田は、雨で千歳は晴れて風が強かった。温度も十度近い差があった。服装が難しい。千歳空港に降り立つのは初めてである。札幌までは列車で行く。空港に隣接して駅があり、札幌までは三十分そこそこで着く。九州の福岡市と札幌市は距離があっても、飛行機を利用すれば日帰りが可能である。札幌まで車窓の眺めは、北海道らしく平地の森に白樺の木が目立つ。高原に来たような爽やかさがある。
 ホテルは、札幌駅から近いがチェックインには、時間がある。北海道大学のキャンパスに向かう。駅からごく近い場所にある。広大な敷地に緑が豊かなことで知られている。案内板に眼をやると、農場まである。札幌農学校を基礎にした伝統を想像せざるを得ない。正門から近い場所に、小川が流れ、芝生に覆われ、木々もそこかしこに植えられた公園のようなエリアがある。解説書を見ると、「中央ローン」という呼び名がある。少し傾斜があり、冬にはスキーもできたらしく、日本のスキーの発祥地という人もある。川の水の流れを止めればスケートもできる池になったとも書いてある。はるか昔の話だが、大学構内ということを考えるとロマンがある。
 

 標識を頼りに歩くと、クラーク像にたどり着く。二代目で作者も違う。一代目は戦時中供出され、溶けて戦争のために使われた。初代の像の作者の魂も溶かされるようで、このことだけでも戦争の愚かさを思うのである。クラーク博士は、「青年よ大志を抱け」という有名な言葉を残したことで知られているが、真相は、異説があるようだが、北海道開拓の恩人と言う功績は揺るがない。大正十五年の除幕式には錚々たる要人が参列したが、内村鑑三は参列しなかった。偶像崇拝から程遠い彼の思想からしたならば、クラークの精神とは無関係の事業に思えたのだろうが内村鑑三らしいと思った。
 クラーク博士が日本に招聘されたのは、明治九年で札幌農学校の教職にあったのは、一年に満たない。しかし、彼の残したキリスト教精神は、札幌農学校に残り、新渡戸稲造や内村鑑三、宮部金吾などを輩出したことで知られている。第一期生の中には、初代の北海道帝国大学の総長になった佐藤昌介がいる。南部藩士の家に生まれ、直接クラーク博士の薫陶を受けている。札幌農学校から北海道帝国大学になったわけではなく、東北帝国大学農科大学として文部省に移管され、やがて北海道帝国大学という名称に変わるのである。その間に学校経営の先頭に立ったのが、佐藤昌介である。だから、今日北大の功労者として顕彰されている。余談だが、同志社の創立者新島襄は、アマースト大学でクラーク博士に学び、日本への招聘を明治政府に紹介している。
 札幌農学校は「開拓使」という明治の初めに北海道に置かれた中央直轄の行政府のもとに設立された官立の学校である。ロシアの領土欲に危機感を感じた明治政府は、北海道の開発に力を入れることになる。人が住むことが、領土を主張する根拠になる。居住権のようなものである。北海道を空き家にしないためには、人の生活の基盤を作らなければならない。その基本は農業だと考えたのである。しかし、北海道の気候は寒冷で、加えて、本土のような農産物を生産するにはその土壌が適していなかった。石狩の原野は、泥炭質の土壌であった。屯田兵という言葉を教科書で学んだが、この発想を最初に持ったのは榎本武揚だと言われている。農業に従事しながら警備にもあたる兵士である。榎本は、北海道を独立国にしようと函館戦争を戦ったが敗れた。榎本を助命するように奔走したのが、黒田清隆である。西郷隆盛は、国の礎は農にありと考えていたので、士族が農を兼ねて北方警備にあたる構想を持ったが、下野し西南戦争にも破れ、実現しなかった。榎本の夢と西郷の構想を引き継いだのが黒田であった。毀誉褒貶のある人物であるが、北海道の人は、今日でも大恩人だと考えている。これも余談だが、榎本武揚は、東京農業大学の創設にも関係している。
 北大構内をゆっくり散策しても良いと思ったが、総合博物館を見ることにした。北大の歴史もわかると考えたからである。『北大歴史散策』という手頃な著書を館内で購入できた。館内の展示は、興味をそそられるものであったが、一箇所だけ見たいところがあったのである。受付で尋ねてみた。
「人工雪を作ったことで知られる中谷宇吉郎の研究室がこの建物の中にあると聞いたのですが」
答えは、わからないということであった。
中谷宇吉郎は、寺田寅彦に学んだ物理学者で、北海道帝国大学に赴任し、昭和十一年に人工雪の結晶をつくることに成功している。さらに、戦時中、数学者岡潔を非常勤職員として招き、岡潔は、ここで数学上の大発見をしたのである。その往時を偲んでみたかかったのである。しかし、中谷博士の記念碑が残っていた。除幕式には、中谷夫人が参列した。夫人の詠んだ歌がある。
天からの君が便りを手にとりて
      よむすべもなき春の淡雪
中谷宇吉郎が残した「雪は天から送られた手紙である」に見事に応えている。
宇吉郎直筆の色紙は、由布院の亀戸別荘、見せていただいたことがある。


時代は下って、北海道の自然がウイスキー作りに適していることに目をつけ、その夢を実現した人物は、NHKの朝ドラ「マッサン」でも紹介され世に広く知られるようになった。広島竹原市の造り酒屋の息子、竹鶴政孝である。翌日、朝早くホテルを立って、余市に向かう。小樽までは、列車の本数が多いが、その先の余市までは、乗換えで本数も少ない。余市工場の見学は、無料だが説明を聞くためには予約が必要になる。
余市蒸留所の建物は、外壁に大谷石を使用した建物であって重厚感がある。ガイドさんに聞くと、スコットランドの景観を思い描いてこうした建物になったのだという。現在、この建物群は、国の有形文化財になっているものが多いという。本物のウイスキー作りを目指した、こだわりの人竹鶴政孝の心意気が伝わってくる。敷地内の景観も美しい。スコットランドに行ったことはないが、余市蒸留所の環境はリタ夫人も心安らぐものがあったであろう。夫妻の住まいもあり、中には入れなかったが、夫人の故国の家のように建てられているのであろう。いずれは、竹鶴政孝の生地、竹原市も訪ねてみたいと思っている。レストランでウイスキーをいただきゆっくり過ごそうかとも考えたが、札幌への帰路、列車の本数が少ない。
昼食は、小樽ですることにした。この日は寒く、十度を切りそうで、街を散策する勇気は湧いてこない。名所になっている運河を眼に焼きつけ、ラーメンで体を暖めて立ち去ることにした。夜景が素晴らしいのだが、一人旅には、想像するだけで十分だと思った。この地にゆかりのある人物で、小説家の小林多喜二のことが浮かんだが、記念館があるわけではない。


ウイスキーの次はビールである。サッポロビール園がある。札幌駅から直通のバスがある。歩くのには遠いのである。レンガ造りの建物に展示コーナーとレストランがあり試飲ができる。余市と違って有料になっている。三種類、グラスで六百円と手頃な値段でおつまみつきである。一種類に「開拓使麦酒」というのがあって、飲み比べて美味しさを感じたが、ネーミングのせいかも知れない。サッポロビールの前進は、明治九年に開拓使が設立した札幌麦酒醸造所であった。ビール作りの技術的責任者は、日本人である。こちらの「マッサン」にあたるこの人物の名前は、中川清兵衛という。幕末、国禁を犯してイギリスに渡り、ドイツでビール製造の技術を取得した。新島襄と同じように命がけで海外渡航に成功した人がいたのである。こちらは、横浜からである。郷里は新潟の与板というから良寛さんの生地に近い。初めて知る名前である。明治一九年には、民間に払い下げられ、翌年株式会社としてスタートしている。大倉喜八郎、渋沢栄一らが参加している。その後、社名などは変わって今日に至っているが、百四十年という歴史がある。
今回の二泊三日の旅で北海道の歴史が分かったとは言えないが、蝦夷地から北海道にかわり大きな変革をとげていることを実感した。それを、まざまざと感じさせてくれるのが札幌市の変容で、北海道の人口の札幌市への集中は驚くばかりである。イギリスのロンドンを髣髴させる。市街地を離れれば、冬は雪に閉ざされ自然の厳しさは今も変わらない。野生動物とすれ違うこともあるだろう。定住してみなければ、北海道のことはわからない。先祖も、親戚も北海道とは無縁だが、戦前父親が北海道に住んだことがあると言っていた。戦前まで、農林省の外局に馬政局というのがあった。北海道の厚岸にあったと言っていた。軍馬の生産管理する組織で、短い間の公務員であった。召集令状により満州に渡り、敗戦とともにシベリヤ抑留となった。北海道に優る寒冷地である。北海道も、シベリヤも懐かしい土地ではなかったのか、多くを語らず、子供への情報は少ない。だから無意識に、寒冷地を避ける意識が働いていたのかもしれない。これを機会に、再度北海道を訪ねることになれば良い。最後の晩食べた蟹と日本酒は美味しかった。北海道の食材は、魅力的である。


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