2016年12月06日
映画「聖(さとし)の青春」
テレビ等で、上映の予告が多くされているので関心を持った。主人公が将棋の棋士だったこともその関心を増幅させた。モデルになったのは、村山聖という若手棋士である。病気で亡くならなければ名人になったかも知れない俊英であった。ほっぺが膨らんだ、独得の風貌を良く覚えている。
映画にも出てきたが、現在でも棋界の第一人者である羽生善治がライバルで、対戦成績も互角であった。NHK将棋トーナメントの決勝で、秒読みに追われた場面はうっすらと記憶がある。15年以上前の出来事だが、それから数年後亡くなっている。
村山聖を演じたのは、松山ケンイチ。本来細身の体型を村山聖に似せてあえて太らせた役者根性は見上げたものだが、健康にはいかがなものかと心配になった。村山聖も病気を抱えながら、徹夜麻雀や飲酒することもあったらしい。死への不安と恐怖を紛らすこともあり、節制できなかったことは理解できる。それにも優る限られた生の時間を、将棋にかけた気力が全てを覆っている感じがした。健康な人間も、いつかは病気になり、衰え死ぬことが分かっているが、何かに自分の人生を燃やすような生き方が出来ないものである。
それにして、羽生善治役になった東出昌大の仕草は、当人にそっくりである。よほど観察したのであろう。二人とも、将棋を指す手つきは見事である。将棋を趣味にしている人間には、その点だけでもだめなら役者の価値がないと言うことができる。
Posted by okina-ogi at 17:45│Comments(0)
│日常・雑感