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2017年03月18日

三十年後の伊豆下田(2017年3月)



 正確な記憶ではないから、三十年前だったかは、定かではない。職員旅行だったのだろう。俳句が残っている。伊豆の山に霧が横にたなびいている風景を詠んだ句で、ホテルの窓からの眺めだったのだと思う。宿は、伊豆東急ホテルだったかもしれない。これまた定かではない。こんなに記憶が曖昧になるのも、全てがお任せの団体旅行だったからかもしれない。けれども、一つの情景は明瞭に残っている。寝姿山から見下ろす下田湾である。
 ペリーの黒船に向かい、決死の海外渡航を企てた吉田松陰のことを意識していたからである。資料館を訪ね、松蔭の行動のあらましなども見た記憶も残っている。今回は訪ねなかったが、下田開国博物館は、一九八五年の開館となっている。なまこ壁造りの建物である。そういえば、下田の町にはなまこ壁の建物が多く残っている。近くに、開国の外交の舞台になった、了仙寺もある。三〇年程前の下田旅行の根拠はこのあたりにある。
 友人のお誘いで、ホテル伊豆急に宿をとった。海辺に近い高台にあり、砂浜も長く、日の出も見られる景観は素晴らしい。もちろん天然温泉の浴場があり、適温で温泉の質もよい。川端康成の名作『伊豆の踊子』の文庫本を携帯し、海を眺めながら読んでみた。短編だが味わいがある。踊子と主人公(康成)が別れるのは、下田港だった。一人旅だったが、踊子との束の間の出会いに叙情がある。何度も映画化され、踊子も時代時代の女優が演じた。田中絹代、吉永小百合、山口百恵といった人達である。伊豆の踊子は歌にもなっている。
その一節
「さよならも言えず泣いている。私は踊り子よ、ああ船が出る」
日本人は、こういう場面に共感する。
 

  翌日、ペリー通りなる道を歩いていると、三島由紀夫の色紙や新聞記事のコピーが貼ってあるお店があった。しばらく眺めていると、ドアが開き、新聞の写しを差し出し、「これお読みください」
と、同じものを渡された。
「ありがとうございます」
と受け取ると、ドアがしまり、説明もなかった。
 駅のホームで眼を通すと、三島由紀夫は、夏になると下田東急ホテルに泊まり、周囲を散策し、下田を取材しつつ、数々の作品をこのホテルで執筆していたことが書かれている。新聞記事には、下田市民大学講師、前田實と書かれている。コピーを手渡してくれた本人だったかもしれない。前田さんは、昭和四十四年の八月、いきつけの理髪店で三島由紀夫に偶然出会った。色紙に揮毫してもらい、『豊穣の海』の一巻と二巻に署名してもらっている。二人の間に言葉は交わされなかったという。三島は、気軽に町を歩いていたらしく、インターネットで見たのだが、日新堂というお菓子屋さんのマドレーヌが好きで、よく買いにきたらしい。今も店主をしている横山郁代さんは、昭和三十九年に三島に出会った。その時、横山さんは、中学生だった。
 『三島由紀夫の来た夏』という本を書いている。その中に書かれているらしいが、散策する三島の後を、友達と追跡した思い出がある。ホテルに帰る、細道の途中で、三島がサングラスをとって、「あかんベー」をして見せたというのである。その顔は、笑っていたという。昭和四十五年に割腹自殺した年の夏も、子供たちを伴って、下田に避暑に来ていた三島由紀夫のことは初めて知った。三月末には伊良湖崎のホテルに泊まる。すぐ近くに神島がある。小説『潮騒』の舞台になった島である。


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