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2017年10月04日

ある結核保養所の歩み(建築の歴史)1

「風立ちぬ、いざ生きめやも」という堀辰雄の小説に出てくる言葉であるが、結核と言う病気は、死をいつも意識しつ不安な心境を心に宿すことになる。堀辰雄がこの小説を軽井沢で書き上げたのは、昭和十二年の十二月であった。その翌年の昭和十三年の十月に榛名山の南麓に結核保養所が生まれた。
 小説『風立ちぬ』で若き女性が療養するサナトリウムも高原にあった。結核菌の感染も考え、患者が清涼な空気を吸える環境として高原は、結核保養所に適した場所と考えられていた。時は流れ、この榛名山麓の保養所は病院となり、高齢者の施設を併設している。高齢者には、やがて訪れる死も意識され、結核とは違うが「風立ちぬ、いざ生きめやも」という言葉を意識させる。こうしてみると、安心して暮らせる住環境を八十年近い今も提供し続けているのである。
 あえて名前を出さないのだが、この結核保養所を創設した人物は、結核体験者であった。数年にわたる結核の療養を親族の愛に支えられ、見事回復し、同じ病気に苦しむ人々のための保養所を始めたのである。感染を恐れる周囲住民の反対、生活の糧になる水の確保にも苦しんだ。法制度も十分ではなく、経営が大変だったことは、昭和四十四年に発刊された法人の「三十年史」から読み取れる。
 創立者は、既に他界し、創立の当時を知る人は、ほとんどいない。戦後間もない頃に、従業員となり、保養所から枝分かれした、社会福祉法人が経営する有料の施設の入居者になっている九十歳を過ぎた方の思い出の中に結核撲滅のために働いた人々の奮闘を垣間見ることにした。取材する関係で、田原さんとしておこう。もちろん、偽名である。ご本人に不都合な体験を聞くわけではないが。


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