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2017年10月10日

ある結核保養所の歩み(建築の歴史)2

この保養所は、昭和二十五年に財団法人として認められる。昭和十三年から財団認可の年までを旧約聖書の創世記としよう。保養所の建物の歴史である。緑野寮でたった一人の住宅棟から保養所は、スタートした。次に新生寮が落成。定員十二名になった。昭和十五年には、従業員宿舎、調理場、食堂として報公館が完成。さらに寄贈者による八坪の療養棟が完成。昭和十六年からは、太平洋戦争で増床計画は頓挫したが、高原寮の寄贈があった。
 戦後間もなく、政府は結核撲滅五か年計画を立てた。国の補助金を使い、増床することにした。補助金は、建築費の二分の一と決められていた。残りは、自己資金である。療養する患者さんの利用料から捻出するだけでは足りない。浄財も募ることになる。政府系金融機関からの借入れが必要になる。そのため、建築を自前で行うことにした。従業員の中に、建築士の資格を持つ者もおり、大工経験のある者もいた。そのため、ほとんど補助金以外の費用が必要なく完成した。これは、おかしいと会計検査院の指摘することになった。正直に事情を話し、自前の部分の経費を算出し、支出資料を提出したところ
「法律上は、五万円の返還金が必要」
と言われたが、結局は返還せずに済んだ。不正がなかったからである。
この、国の補助金を使い、建てられた木造の病棟は、南向きで病棟の間には、銀杏の木その他の落葉樹が植えられていた。小さい時に、病棟を見舞った記憶もある。高原のサナトリウムという感じがあり、白衣の看護師さんの清潔さを印象的に覚えている。外来棟で火傷の治療をしたこともあった。中学生だった気がする。



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