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2017年10月12日

ある結核保養所の歩み(建築の歴史)3

創立から三十年を経過したこの財団法人の航空写真が、「三十年史」の見開きの最初にある。この写真には、創立当時の一部建物は除き、ほとんどの建物が残っている。三十年間、あらゆる方面の資金を得て増改築をしてきた歴史が映し出されている。創立当時の敷地から県道安中榛名湖線を越えて、榛名山側に用地を拡大し、戦後立てられた病棟に加え、財団法人から枝分かれした社会福祉法人の高齢者施設も立ち並んでいる。県道の舗装の真新しさが印象的で、この先には、この財団の経営者の一人が、重度の障害者の施設を建設した。皇太子夫妻が、この施設を訪問されたのは舗装完成後であった。
 この航空写真よく観てみよう。県道の左側が結核保養所の発祥地であり、戦前から建てられた建物が残されている。しかし、財団法人の建物は、全て社会福祉法人に寄付され、養老施設(養護老人ホーム)の建物になっている。ただ、准看護学校の建物は、財団所有であり、報公館は、職員住宅になっている。
 県道の右側を見てみよう。宗教施設としての教会と、修道院の建物があるのが眼を引く。キリスト教の経営理念が基本にあることがわかる。昭和三十二年に設立された社会福祉法人の事業として、日本で第一号となった軽費老人ホームと昭和四十四年に建築された特別養護老人ホームの真新しい平屋の鉄筋の建物がある。隣接して、社会福祉法人の本部事務所がある。その北側に、保養所の直系の財団法人の病院群があるが、本院は木造の建物になっている。事務棟に隣接してバルナバ寮(昭和二十六年完成)があり、榛名山に向かって廊下が延び、聖母寮(昭和二十七年完成)、フランシス寮(昭和三十一年完成)が繋がっている。そのさらに北側に二階建ての鉄筋のリハビリテーションの病棟(昭和四十二年完成)が見える。建物だけを見てみると、結核保養所から病院へと歩みを進めた財団法人は、老人福祉のための社会福祉法人に比重を移したように見える。
田原さんの思い出を追ってみよう。



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