☆☆☆荻原悦雄のフェイスブックはこちらをクリック。旅行記、書評を書き綴っています。☆☆☆

2017年10月13日

ある結核保養所の歩み(建築の歴史)4

「僕は、この保養所の患者だったんです。一年近く療養したかな。その施設が白雲寮(昭和二十五年完成)だったと思います」
田原さんは、療養の後、少し保養所のお手伝いをして、郷里に帰り、再就職を考えていたが、保養所の経理の仕事を頼まれ、正式に従業員になった。患者から職員にというケースが多かった。そこからは、家族的な親密な人間関係が生まれる。
 田原さんは、二十年程財団法人となって医療施設として発展していくこの組織の事務に係り、創設者である理事長の経営を支えた。昭和五十年には、創立から二十年近くになった社会福祉法人の総合事務所の事務長に就任した。社会福祉法人の理事長は、財団法人の理事長が兼務したが、結核撲滅の使命を終え、老人問題に情熱を傾けていた。新任事務長に、大きな事業が待ち構えていた。
 軽費老人ホームと有料老人ホーム、食堂を兼ねた高齢者の健康研修センターの建設である。この施設群は、利用料の補助はない有料の老人施設の先駆けである。最初に構想されたのは、年金で入居できる施設で、ウィーンで視察した施設がヒントになった。軽費B型で建設の補助があった。ところが、オイルショックと呼ばれた時代、建築資材も急騰し、建築の予算が組めなくなった。この時、どのような判断に迫られたのかを田原さんに聞いてみた。
 「東京に出て、諸事情でこの事業を断念することの説明会を開催した。資金の不足が明らかだったから。でも、説明会に集まった人たちから中止しないでほしいという声が強く、募金して資金を責任を持って集めるからという声に押され建設が始まった」
「自己資金として募金が集まったのですか」
「いや集まらなかったのです」
「建設会社に支払いはできたのですか」
「大阪の会社で、関東に進出すると言う理由で、安く工事を引き受けてくれたり、工事費の支払いも猶予してくれたのです。そうした幸運が無ければ実現していません」
軽費老人ホームに続き、有料老人ホームの建築は、予約希望者が待機しており予定通り建設できた。さらに、食堂部分として高年者開発センターを船舶振興会の補助で落成することができたのである。健康で介護が必要ではない施設群が誕生した。昭和五十一年のことである。


同じカテゴリー(日常・雑感)の記事画像
映画『晩春』小津安二郎監督 松竹映画
映画「関ヶ原」鑑賞
映画「麦秋」鑑賞
台風迷走
妙義ふるさと美術館
三方良しの精神
同じカテゴリー(日常・雑感)の記事
 下仁田戦争始末記 (2017-12-08 14:15)
 将棋竜王戦5局とカエル・カード (2017-12-06 10:32)
 今日のカエル・カード (2017-12-05 11:57)
 今日のカエル・カード (2017-12-02 13:09)
 今日のカエル・カード (2017-12-01 16:32)
 カエル・カード (2017-11-30 19:32)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
ある結核保養所の歩み(建築の歴史)4
    コメント(0)