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2017年03月27日

東京の桜(2017年3月)

 東京の開花宣言は、いつもの年より早かった。靖国神社の桜の開花模様が基準になるらしい。ところが、それから気温は上がらず、開花は順調に進んでいない。三月二十六日(日)に、ハイキング同好会のメンバーと東京花見散策を決行したが、あいにくの雨で、気温も低い。同行者の提案で、駒込駅に近い、六義園の枝垂れ桜を見てみようということになった。
六義園は、柳沢吉保が造園したことで知られる、日本の代表的な大名庭園である。明治になって、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎が購入して使用したこともあったが、寄付されて、現在では東京都が管理している。大震災や空襲の被害もほとんど受けず、名庭園の景観が維持されている。広島市の縮景園が爆心地に近かかったために、名木が焼失したのとは、対照的である。肝心の枝垂れ桜は、咲き初めという感じで、花見客も少ない。ただ、氷雨に濡れている庭園を見るのも味わいがある。都会の中に広大な、しかも閑静な緑の空間が残されているのも素晴らしい。
お目当ての隅田川の桜も期待できないと思いつつ、両国駅に向かう。昨年開館した、すみだ北斎美術館もコースに入っている。六義園を散策したので、駅についた頃には昼時になっている。ガード下にあるちゃんこ料理の店に入る。グループなのでちゃんこ鍋を注文する。両国は大相撲のメッカであるが、力士の多くは大阪に出張中である。久しぶりのちゃんこ鍋は、実に美味しかった。この日が寒い日であったことも良かった。


葛飾北斎は、墨田区ゆかりの人物である。当時としては、長寿で九十歳まで画業を続け、その力量は衰えなかったと言われている。長野県の小布施にも北斎の痕跡を見ることが出来る。有名なのは、岩松寺の天井画である。高井鴻山という高弟もいた。モネなどの印象派の画家にも影響を与えたし、ゴッホはとりわけ北斎を賞賛している。北斎の誕生地に近い公園の一角に美術館はオープンしたが、外観もモダンで近代的な建築になっている。会館から半年も過ぎたが入場者は多い。外国人の入館者もいた。
北斎の作品は、海外に多く流失している。若冲のコレクターで知られている、ジョー・プライスのように個人で北斎の作品を収集した外国人がいた。ピーター・モースという人で、故人になっているが、遺族からその作品は墨田区に譲渡され、美術館の核となっている。芸術は、文化の違いが障害とはならず国境を越えていく。作品の芸術的高さは、万国民に共感と感動を与える。
北斎の代表作は、「富嶽三十六景」である。七十歳過ぎてからの作品だというから驚きである。とりわけ、「神奈川沖浪裏」は、有名で海外でも良く知られている。誇張されているが躍動感がある。「凱風快晴」は、赤富士である。決して写実的ではないが、一度見れば、心に焼き付けられて忘れない作品である。子供の頃、記念切手を夢中になって集めたことがある。趣味週間切手で浮世絵が発売されたことがある。その中にあった「東海道程ヶ谷」はシートで購入して半世紀以上も所有している。「富嶽三十六景」の中には、隅田川からの風景もある。
現代、隅田川沿いには高層ビルも立ち並び、富士山も隠れてしまうほどである。近年スカイツリーが、隅田川の近くに建ち、東京の街を鳥瞰することができるようになった。見通しが良ければ、富士山を遮る物は無い。北斎が、今日生きていれば、新しい富嶽百景が加わるに違いない。スカイツリーに昇らずとも、創造力で描く素質は、北斎にはある。「東海道名所一覧」という作品がそれである。右下には、日本橋が描かれ、右上には、京都の二条大橋が描かれている。左上には富士山が大きく聳えている。
美術館の一角に、蝋人形の北斎が絵を描いているコーナーがあった。北斎の弟子の露木為一が、描いた「北斎仮宅之図」を基にして設営したのだが、畳の上に和紙を置き、墨で描いている北斎は、ユーモラスにも見える。冬なのか、炬燵布団を肩にかけている。何度も書きなおしたと見えて、紙が乱雑に部屋の隅に丸められている。近くに娘が覗き込んでいる。娘も絵を習っていて、声は出さないが、なにやら注文をつけているような感じがある。手には煙管を持っている。北斎には、先妻と後妻があり、娘は北斎を看取っている。彼が残した最後の言葉は、「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」だというから、死の直前まで画業の高みを目指していたのである。一説には、北斎の祖父は、赤穂浪士の討ち入りの時、吉良家の家老で討ち死にした小林平八郎であるといわれているが定かではない。


すみだ北斎美術館を出て、徒歩で墨田公園を目指す。このあたりが花の名所になる。ビルの間に、スカイツリーが見えるはずだが、近距離なのに霧で見えなくなることもある。相変わらず春雨は、小止みなく降り続いている。桜は、諦め桜餅の老舗に行くことにした。美術館からは一里はある。長命寺桜餅といって、創業三百年だというから、北斎の時代にもあったことになる。休憩場所としてお茶と一緒にいただこうと思ったが、入り口にそのサービスはできないという張り紙がある。ようやくたどり着いたのに。思い直し土産にして、一個は、外で腰掛けて食べた。岸の桜は咲いていない
  

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2017年03月21日

「私の履歴書」



日本経済新聞を購読してから長いが、「私の履歴書」欄は、一面より先に読むことにしている。月に一人の人物が紹介される。3月は、美術収集家のジョー・プライスである。1月がカルロス・ゴーンだったので、今年になって二人目の外国人の登場である。近年になって、江戸期の画家、若冲の展示会が好評を博している。若冲ブームを引き起こしたのは、プライスの収集が大いに貢献している。
外国の人が、日本の、しかも江戸時代の日本画の虜になるのも驚きだが、記事を読むうちに納得がいった。プライスは、自然に対する関心が若いときから強かった。しかも、帝国ホテルの設計者として知られる、ライトとの出会いもあった。
美術品を収集するには、財力も必要である。彼の父は、パイプラインを建設する会社で財を成したことが大きい。兄とともにその会社で働き、美術品の購入できる資金は、遺産だけではなかった。彼は、美術品だけではなく、伴侶も日本から手に入れている。当然親日家である。親日家というよりは、高齢になって日本に国籍を移した日本文学の研究者、ドナルド・キーンは「私の履歴書」に紹介されていない。文化勲章受章者でもある。94歳の高齢でもあることだから、早く登場させてもらいたいと思う。
  

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2017年03月18日

三十年後の伊豆下田(2017年3月)



 正確な記憶ではないから、三十年前だったかは、定かではない。職員旅行だったのだろう。俳句が残っている。伊豆の山に霧が横にたなびいている風景を詠んだ句で、ホテルの窓からの眺めだったのだと思う。宿は、伊豆東急ホテルだったかもしれない。これまた定かではない。こんなに記憶が曖昧になるのも、全てがお任せの団体旅行だったからかもしれない。けれども、一つの情景は明瞭に残っている。寝姿山から見下ろす下田湾である。
 ペリーの黒船に向かい、決死の海外渡航を企てた吉田松陰のことを意識していたからである。資料館を訪ね、松蔭の行動のあらましなども見た記憶も残っている。今回は訪ねなかったが、下田開国博物館は、一九八五年の開館となっている。なまこ壁造りの建物である。そういえば、下田の町にはなまこ壁の建物が多く残っている。近くに、開国の外交の舞台になった、了仙寺もある。三〇年程前の下田旅行の根拠はこのあたりにある。
 友人のお誘いで、ホテル伊豆急に宿をとった。海辺に近い高台にあり、砂浜も長く、日の出も見られる景観は素晴らしい。もちろん天然温泉の浴場があり、適温で温泉の質もよい。川端康成の名作『伊豆の踊子』の文庫本を携帯し、海を眺めながら読んでみた。短編だが味わいがある。踊子と主人公(康成)が別れるのは、下田港だった。一人旅だったが、踊子との束の間の出会いに叙情がある。何度も映画化され、踊子も時代時代の女優が演じた。田中絹代、吉永小百合、山口百恵といった人達である。伊豆の踊子は歌にもなっている。
その一節
「さよならも言えず泣いている。私は踊り子よ、ああ船が出る」
日本人は、こういう場面に共感する。
 

  翌日、ペリー通りなる道を歩いていると、三島由紀夫の色紙や新聞記事のコピーが貼ってあるお店があった。しばらく眺めていると、ドアが開き、新聞の写しを差し出し、「これお読みください」
と、同じものを渡された。
「ありがとうございます」
と受け取ると、ドアがしまり、説明もなかった。
 駅のホームで眼を通すと、三島由紀夫は、夏になると下田東急ホテルに泊まり、周囲を散策し、下田を取材しつつ、数々の作品をこのホテルで執筆していたことが書かれている。新聞記事には、下田市民大学講師、前田實と書かれている。コピーを手渡してくれた本人だったかもしれない。前田さんは、昭和四十四年の八月、いきつけの理髪店で三島由紀夫に偶然出会った。色紙に揮毫してもらい、『豊穣の海』の一巻と二巻に署名してもらっている。二人の間に言葉は交わされなかったという。三島は、気軽に町を歩いていたらしく、インターネットで見たのだが、日新堂というお菓子屋さんのマドレーヌが好きで、よく買いにきたらしい。今も店主をしている横山郁代さんは、昭和三十九年に三島に出会った。その時、横山さんは、中学生だった。
 『三島由紀夫の来た夏』という本を書いている。その中に書かれているらしいが、散策する三島の後を、友達と追跡した思い出がある。ホテルに帰る、細道の途中で、三島がサングラスをとって、「あかんベー」をして見せたというのである。その顔は、笑っていたという。昭和四十五年に割腹自殺した年の夏も、子供たちを伴って、下田に避暑に来ていた三島由紀夫のことは初めて知った。三月末には伊良湖崎のホテルに泊まる。すぐ近くに神島がある。小説『潮騒』の舞台になった島である。
  

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2017年03月14日

関口コオの切り絵



芸術家とのお付き合いは少ないが、切り絵作家、関口コオの作品は好きで、面識も出来て30年近くお付き合いがある。年賀状のやりとりもある。数年前に、高崎市箕郷町に開館した「関口コオきり絵美術館」を訪ねた時、氏も居られ、久しぶりにお話しする機会があった。多くの作品も展示されていた。日本航空からポスターの依頼があったことを嬉しそうに話しておられたのが印象的だった。
氏の原画の作品は、一点も所持していないが、コピーを3点ほど自宅の和室などに飾ってある。いずれも初期の作品で童と白い犬が田舎の風景の中に描かれている。子供たちの服装やわらぶき屋根の家が出てくるところをみると、大正、昭和初期の感じがしている。自分の幼い頃の思い出も浮かんできて、ノスタルジックな気分になる。
写真は、「焚き火」というタイトルがついている。今日では、田舎でも焚き火など簡単にできなくなった。そういえば、「焚き火」という童謡がある。この切り絵に添えても違和感がないが、戦時中に作詞したために、不謹慎と言うことで戦後まで日の目をみなかったという話がある。関口コオの切り絵には、童謡詩をつけてみたい気がする。
  

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2017年03月11日

小川芋銭の掛け軸



知人で書画の収集家から、小川芋銭の掛け軸を譲ってもらった。小川芋銭の名前は、頭の隅にあり、展示会で目に留まったのである。俳句と俳画が描かれていてあっさりしている。いつ見ても飽きない感じのする雰囲気がある。
傘と酒壷が描かれている。句は「一本の傘に重たし今年酒」。今年酒が季語で秋の季語である。今年酒は、新酒の意味である。句を鑑賞すれば、「待ちわびたかのように、行きつけの酒屋に新酒を買いに行った帰り、雨の中、片手に持った酒壷が重く感じられる。家に着けば一杯やれる楽しみが頭に浮かびまんざらでもない気持ちである」というようなところか。
小川芋銭は幕末に生まれ、美術学校にも行かず、農業のかたわら絵を描き続けた人で、高齢になって日本美術院の同人となり、日本画家と認められている。同郷の野口雨情や長塚節とも親交があった。新横綱稀勢の里の出身地茨城県牛久に住み、そこで昭和12年に亡くなっている。
  

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2017年03月02日

バルテノン神殿と彫刻群



ギリシアのアテネ市のアクロポリスの丘に建つバルテノン神殿は、今から2500年前の建築物だというから驚く。その設計の技術が、この時代に確立されていたことや、写実的な彫刻が施された神殿だったという、芸術性も驚異的である。その巨大さから見て莫大な資金と長い月日が費やされたことは、想像に難くない。
この時代、珍しくアテネは平和な時代であった。古代の民主主義も確立し、ペリクレスという有能なリーダーがアテネをリードしていた。建築もアテネの市民の賛成の元に進められていたから問題視するところはない。ところが、その資金は、税金や市民の寄付もあったと思うが、本来ならば、国の防衛のため使うべきお金だった。
デロス同盟の各ポリスの拠出金は、アテネが管理していた。いざとなれば、軍船を作り、戦いになれば軍事費になるお金である。使途からすれば、流用である。拠出したポリスの了解をとったかは、疑わしい。
彫刻群は、大英博物館に展示されている。波風彫刻群と呼ばれている。創作したのは、フィディアスと伝えられているが、バルテノン神殿建築の総指揮をとった人物とも言われている。
  

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2017年02月25日

恩師の死

2月18日(土)橋本宰同志社大学名誉教授が逝去された。心理学が専攻で、第1期橋本ゼミで卒業論文のご指導をいただいた。それ以来、親しくさせていただき、京都を訪問した時何度ともなくご自宅に泊めて頂き、お話しする機会があった。勤務する社会福祉法人の後援会の幹事も長くお引き受けくださった。
家族葬とのことで、先生の死は、葬儀の後、奥様からの電話で知った。心遣いに感謝するとともに、お別れできなかった気持ちも残った。昨年の4月に先生宅をお訪ねし、お会いしたのが最後になった。駅まで車でお送りいただき、こんな早く永別となるとは、想像もしていなかった。人の世の儚さを感じる。
ご子息が医師で、自宅で急変され、ご家族に見守られて亡くなられたご様子。病床に長く伏せられた死でなかったことがせめてもの救いとも思ったが、ご家族にとっては、心の空白が突然訪れ、しばらくご心痛は消えないとも思う。京都では、こんな時「お疲れがでませんように」という弔問の言葉がある。
今度、先生を訪ねる時は、ご霊前ということになる。4月、関西に出かける予定があるので、ご家族のご事情が許すならば、ご自宅を訪ねたいと考えている。先生がお好きだった歌がある。
ただ人は情けあれ朝顔の花の上なる露の世に
ご冥福をお祈りします。
  

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2017年02月23日

「デロス同盟」と「ペロポネソス同盟」



古代ギリシアの安保同盟のようなものであるが、両者とも同じギリシア人の同盟というところが特殊である。なぜそのようになったのかは、「デロス同盟」の盟主アテネと「ペロポネソス同盟」の盟主スパルタの政治形態の違いのようである。アテネは、民主政治、スパルタは僭主政治だったことも一つの理由になるが、アテネは、通商によって国力を養い、スパルタは軍事力を誇示した。その力を背景に、この同盟によって平和のバランスを長く保ったのである。
今日のギリシアの国土を見ると、多くの島々と半島で占められ、国土もそれほど肥沃ではなく、貿易や、海運を立国の礎にしなければ成り立たないように見える。古代とそれほど変わってはいないように思える。
ギリシア人が、都市連合国家になろうとしたことは、古代にはなかったが、強国ペルシャとの戦いでは、一緒に戦った。良く侵略から防衛できたと思う。再び侵略を受けないように各都市国家が結んだ条約が「デロス同盟」と「ペロポネソス同盟」だったのである。二つの同盟に分かれたことにより、やがては「ペロポネソス戦役」というギリシア人同士の長期的な戦争の後、アテネは衰弱する。同じギリシア人の国、マケドニア王国にやがてアレキサンダー大王が登場する。
  

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2017年02月21日

『ギリシア人の物語』Ⅱ 塩野七生著 新潮社 3000円(税別)



Ⅰは、一昨年の暮れに出版されたが、Ⅱは、1月の出版になった。それにしても1年のサイクルで大作を世に出すエネルギーには敬服する。副題があって「民主政の成熟と崩壊」となっている。数日前から読み始め読了したわけではないが、高校の教科書で学んだ知識を遥かに超えている。
アテネに光が当てられているが、スパルタの存在は無視できない。デロス同盟という言葉は、教科書で学んだがその内実は、この本でよくわかった。ギリシャ人の都市国家の間には、常に緊張感があって紛争が耐えない。そうした中で30年平和の時代があった。その時代にアテネをリードした政治家がいた。ペリクレスという人物である。本の表紙にも登場している。
しかし、この人物が世を去る数年前から、アテネの民主政治は、崩壊していく。衆愚政治(ポピュリズム)に移り、スパルタとの長期の戦争に突入していく。今、このあたりまで読みすすめている。
  

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2017年02月17日

北朝鮮という国家

朝鮮半島の歴史を詳しく知っているわけではないが、地理的には、半島であって、中国大陸に成立した王朝に従属するように、外交的には鬱屈した状況の中で、朝鮮民族として国を保ってきた印象がある。儒教思想を大陸から取り入れ、民族の結束を図ってきたという印象もある。古代においては、海を隔てた日本との交流もあり、当時としては先進的な技術も日本にもたらしている。仏教の伝来も朝鮮半島を経由している。慶州を訪ねたことがあるが、古墳の埋蔵品を見たら、高松塚古墳との類似に驚いた記憶が残っている。渡来した人々も多く、血の交わりもあることも否定できない。
日露戦争後、朝鮮半島は、日本に併合されたが、第二次大戦後、日本の統治を離れ朝鮮戦争によって南北に分断された。北の朝鮮民主主義人民共和国とは、国交はないに等しい。近代の国家としては、まれに見る専制国家と言える。国の名称とは程遠い、一部権力者の支配する国になっている。しかも、ブラックホールのように国の内情が見えない。軍事費の割合も高く、国民の暮らしは豊かに見えない。さらには、言論の自由もなく、思想統制がなされている。人権も守られていない。
数日前に、金正男の暗殺が報じられた。側近の粛清もあった。なんと恐ろしい国かという感じがする。でも、そんな国にあっても人は生きていかなければならない。憂鬱に思うのは、自己保身を異常な行動に導く国の体質に対してである。手柄を立てて、権力者に媚をうる人間が出てくることである。讒言をすることもあるだろう。共産主義国家だからということではない。教条主義というか、さまざまな価値観を認めない社会や、組織に起こりがちな現象で、歴史上人類は何度も経験している。北朝鮮の国家体制は、当面変わらないだろう。窮鼠猫を噛むというような、国際紛争だけは避けたい。トランプ大統領もこの点は、自覚自制して政治をしてほしい。
  

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2017年02月11日

法律門外漢のたわごと(年金の繰り下げ受給)


平成29年、いよいよ厚生年金、老齢基礎年金の受給年度となりました。友人にも相談されたのですが、繰り下げ受給のことが話題になりました。郵便局主催の年金相談にこられた社会保険労務士さんの言葉が耳に残っています。
「繰り下げを選ぶ人は、100人に2人もいませんね」
いろいろ考えてみましたが、少し利率が良いからと言って、65歳になって生活費の主力である年金を換金せず国に預けておくのもどうかと思うのです。命あっての年金ですからね。預けっぱなしで、使わなければ相続できる子供にも間接的に不利にもなります。友人に薦めたのは「繰り下げせずもらっておきましょう」ということでした。
65歳になっても働き続けるから収入もあり、近い将来無収入になることを想定して、年金の受給額を少しても多くしておきたいという気持ちは分かるのですが、貰った年金をストックしておいても良いのではというアドバイスと、65歳になると在職老齢年金の制度もかわり、年金が停止されることはほとんどないという説明をしておきました。
さて自分はどうするか。裁定請求の葉書が届いたら、厚生年金、老齢基礎年金ともに繰り下げしないという箇所に○をつけて提出することにしていますが、年金事務所に直接出向いて疑問点は確認することにしています。
参考に65歳以上の在職老齢年金は、厚生年金の1ヶ月受給できる額(基本月額)と賞与も含めた1ヶ月支給される給与(総報酬月額相当額)を合算した額が47万円を超えなければ、厚生年金の停止はありません。また、老齢基礎年金は、給与と関係なく全額支給されます。
  

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2017年02月09日

法律門外漢のたわごと(障害年金の審査、支給決定の遅さ)

年金は、障害になった場合にも支給される。ケアマネージャーの仕事をしていると、障害年金の支給対象になる可能性のある利用者に出会う。65歳前に介護認定を受けているケースである。ところが、利用者が障害年金のことを意識していないことが多い。
概略を説明し、年金事務所を訪ねるように薦める。家族がいる場合は、家族に話す。本人は障害があるのでなかなか自分では手続きができない。社会保険庁の時代に、年金事務の不手際があって、今は年金事務所も親切に対応してくれるようになったと聞いている。ところが、申請書類を提出する手続きが大変らしい。それが完了しても、審査に時間がかかる。半年以上かかることはざらと聞く。何とかならないものか。その間に亡くなってしまえば、支給されないことになってしまう。行政システムに問題はないのだろうか。国会で取り上げられても良いのではないか。
  

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2017年02月08日

『キリストの誕生』遠藤周作著 新潮文庫



映画「沈黙」に刺激され、以前読んだ『キリストの誕生』を再読した。あらためて、キリスト教の布教の苦難を確認した。ユダヤ教から派生した宗教でもあるが、ユダヤ教徒からの迫害もあった。その象徴がエルサレムの神殿であり割礼である。選民思想の縛りや、戒律も障害になっている。パウロのように異教徒に伝道することに、生前のイエスを知るペテロを代表とする教団の反対もあった。そうしたことを乗り越えて、今日、キリスト教が世界の3大宗教になったのは、イエス(人)がキリスト(神)になる過程である。
キリストの一番弟子と言われるペテロは、イエスの思いを深く知る人間であるが、保身をはかるが、最後は、殉教する。バチカンは、彼の墓の上に建てられたといわれている。
始めは、キリスト教徒を迫害したパウロは、キリスト教徒になり不屈の精神で、異教徒にキリスト教を伝える。彼もローマで殉教したと伝えられている。
 死を恐れず、教えを守り、死にいたる殉教が、キリスト教の確信に近い行為になっているが、そうさせるのがイエスの愛の思想だと言える。罪なく十字架にかかったことは、犠牲であり、人類の最大の愛の行為になっている。人は弱く、そのことをイエスは理解してくれると思うから神と信じることができる。遠藤周作のキリスト教観は、日本人的だと思った。
  

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2017年02月02日

仮採用期間の大統領

 アメリカの大統領にトランプ氏が就任。選挙期間中の刺激的な発言を繰り返し、矢継ぎ早に大統領令に署名している。そのため、世界中が混乱し、振り回されている。こんなアメリカ大統領近年みたことがない。アメリカ第一主義で、世界に対して宣戦布告しているようだ。
 大統領は、選挙で選ばれているので労働者ではないが、まだ就任から2週間も経っていないから仮採用期間(試用期間)と言える。これだけの言動をみれば不採用にしてもおかしくない。これからの世界情勢は、不安定要素が多い。なんとなく、憂鬱な毎日だと感じている人は多いと思う。

  

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2017年01月25日

『神々の微笑』 芥川龍之介作品

遠藤周作の『沈黙』に深くこの作品が関係しているようである。短編だからすぐ読めるが、内容は、重い。芥川龍之介は、キリスト教を題材にした小説を多く書いたことで知られている。キリスト教に惹かれるところがあったのは事実であろう。自殺した時、枕元に聖書が置かれていたことも無関係ではないだろう。
 結論的には断定しているわけではないが、日本ではキリスト教の神も八百万の神には勝てないと老人に言わせている。天岩戸開きを思わせる場面も描いている。そして、日本に伝道に来た神父に憂鬱な気分を持たせ、その原因が、日本の風景の美しさであったり、得体の知れない雰囲気(霊的なもの)だと語らせている。
 自殺することは、キリスト教では許されないが、芥川は、キリスト教に救いを求めていたが、自分の体に染み付いていたともいうべき、日本人的な体質を脱ぎ捨てることができなかったのかもしれない。その他の作品を読んでいないので言い過ぎになっているかとも思うが。
  

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2017年01月24日

映画「沈黙」

遠藤周作の小説「沈黙」が映画化され封切りとなった。小説『沈黙』の中に、司祭が踏み絵を踏む場面があった。その部分を書き抜いてみる。
「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私は、お前たちにふまれるために、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ。こうして司祭が踏み絵に足をつけた時、朝がきた。鶏が遠くで鳴いた」
 映画の中では、神父となっている。踏み絵を踏んだのは、棄教なのだが、信者の命を救う行為にもなっている。長崎奉行の井上政重は、実在の人物であるが、元キリシタンであった。神父が棄教すれば、信者も救われると考えていたので説得するのである。演じた役者も、名演だった。
その説得として、日本の土壌にキリスト教の苗木は育たないという言葉があった。日本も古来から、神道や仏教の信仰がある。そこにキリスト教が唯一の神を説くことを、時の権力は認めなかった。明治になって文明開化として西洋文化が入り、キリスト教の布教も許されるようになった。しかし、キリスト教徒の数は、ザビエル後の布教による信徒の数とかけ離れて多くなっていない。
なぜなのか。歴史と風土ではないかと思っている。一神教ということに、日本の土壌は合わないと言った長崎奉行も思っていたかもしれない。
  

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2017年01月21日

『失敗の本質』 共著 中公文庫



小池東京都知事の座右の書らしい。財界人でこの本に関心を寄せている人もいる。副題として、日本軍の組織的研究となっている。軍隊と企業は、その目的は異なるが組織という点においては同じである。小池知事が言うようには負けてはいけないのである。日本航空や、多額の損失を出して企業の存続が危惧されている東芝のようになってはいけないのである。組織の失敗は何から生まれるのか。
本著が分析した日本軍の戦いの中で、六つのケースを取り上げている。①ノモンハン事件②ミッドウェー作戦③ガタルカナル作戦④インパール作戦⑤レイテ海戦⑥沖縄戦である。
このうち、③と⑤どのように戦われたかは知らず、特にガタルカナル島がソロモン諸島にあることを知った。日本から随分と離れている。伯父が、ニューギニアで戦病死しているので南方の戦争には関心があったが、悲惨な戦いだと聞いて知るのを避けていたこともある。
 本の内容から、負け戦を分析するぐらいなら、負ける戦をなぜしたのかを研究したほうが良いと考えていたら、そのことも最初に書いてある。そのことを分かった上で、あえて戦いの失敗を日本軍という組織に眼を向け分析しているのである。いろいろな指摘があるなかで、「主観的で「帰納的」な戦略策定―空気の支配」というのがあった。これだなという感じがした。一方、演繹的という言葉がある。客観的と言うか、冷めた判断である。日本人の良さでもあるが、情に流され易いのである。情報や状況の冷静な分析は、アメリカが優っていた。もちろん、国力の違いがあり、力のあるものに戦いを挑んでも勝つ見込みは少ない。孫子の兵法というのがあった。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」亡くなった大叔父は陸軍少佐で終戦を迎えたが、「先の大戦は無謀な戦いであった。戦争を国際紛争の解決手段にすべきではない」という言葉を残し、この孫子の言葉を引用していた。
  

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2017年01月19日

『足るを知る生き方』神沢杜口「翁草」に学ぶ 立川昭二著 講談社



神沢杜口は、江戸時代中期(1710~1795)の人。京都に住んだ。40歳で与力を娘婿に譲り、隠居の身になった。それから45年、85歳まで生きた。多趣味多才の人で、俳人与謝蕪村とも親交があった。蕪村の墓は、左京区の金福寺にある。
『翁草』を書いたことで知られるが、世に広く流布したわけではないので、後世神沢杜口を知る人は少ない。『翁草』は、定年退職後、それも老齢期の随想集とも言っても良い。日常雑感でもあるが、人生訓としても良い深い思索から生まれた文章もある。また、神沢杜口が79歳の時に発生した京都の天明の大火は、取材記事であり、焼失した地図も残し、今日の貴重な歴史資料になっている。
当時、神沢杜口が見聞きしたエピソードが綴られていて興味深い。江戸時代にタイムスリップした感じがする。森鴎外の小説『高瀬舟』は、『翁草』の記述からヒントを得たものである。安楽死がテーマになっている。『興津弥五右衛門の遺書』も同じで、こちらは、乃木将軍の自刃に刺激され『殉死』がテーマになっている。
現代、リタイアしてからの老年期の過ごし方は、人さまざまであって良いが、神沢杜口の行き方は、実に参考になった。彼ほどの趣味や才能はないが、共感するところが多い。俳句、将棋(神沢杜口は囲碁)、随想を書くこと等。意識してそうなったのではないが、拙著の紀行文に『翁草』がある。これも、時代を超えたご縁かもしれない。しかし、江戸時代にあって85歳の長寿を全うしたのは凄い。
  

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2017年01月18日

『悪党芭蕉』 嵐山光三郎著 新潮社 1500円(税別)



署名が、凄い。芭蕉と言えば俳聖。求道者的なイメージもある。俳句を通じて、日本人の精神生活を豊かにした功労者だと思うし、現代なら文化勲章を受章してもおかしくない人物である。
冒頭、芥川龍之介と正岡子規の芭蕉批判が出てくる。龍之介は、芭蕉は「大山師」だと言い、子規は、芭蕉の句は、悪句駄句が大半だと酷評している。後世、芭蕉の句碑や廟を建立する輩の気が知れぬと憤慨している。
問題は、芭蕉の作品。俳句、連句、紀行文、日記である。やはり、後世にゆるぎない文学的地位を占めていると思う。とりわけ、連句については良い勉強になった。心の交流というものの味が少し分かったような気がする。親しい友人たちと連句をした経験があるが、蕉門の深さと真剣さは、群を抜いていると思った。芭蕉門下は、豪商であったり、武士であったり、医師であったり生活に余力のあるインテリ層が多い。そうした人々の経済的支援の元に生活していたことになる。長期の旅をして、紀行文が書けたのもうなずける。連句を纏めて出版し、紀行文も世に出した。大坂御堂筋で客死するが、体調が悪いのに出かけて行ったのもプロデューサーとしての仕事だったとも言える。
芭蕉の「ひとたらし」の能力は相当なものだが、俳句の魅力を伝える資質は、カリスマ的であったと思う。
  

Posted by okina-ogi at 11:58Comments(0)書評

2017年01月14日

法律門外漢のたわごと(雇用保険の改正)


平成29年1月1日から、65歳以上でも雇用保険に加入できるようになりました。そうであれば、65歳以上で退職した場合、基本手当てとしての失業給付が給付されるかというとそうはなりません。以前と同様、受給用件を満たせば、高年齢求職者給付金が、一時金として支給されます。
実際に、雇用保険に加入し、事業主と雇用されるものが保険料を支払うのは、平成32年の4月1日からになります。それまでは、保険料は免除になります。この改正は、何を意図しているのかは容易に推測されます。65歳以上の就労を促しているということです。その先には、年金の受給年齢の引き下げが待っているかもしれません。
  

Posted by okina-ogi at 15:29Comments(0)日常・雑感