☆☆☆荻原悦雄のフェイスブックはこちらをクリック。旅行記、書評を書き綴っています。☆☆☆

2017年02月25日

恩師の死

2月18日(土)橋本宰同志社大学名誉教授が逝去された。心理学が専攻で、第1期橋本ゼミで卒業論文のご指導をいただいた。それ以来、親しくさせていただき、京都を訪問した時何度ともなくご自宅に泊めて頂き、お話しする機会があった。勤務する社会福祉法人の後援会の幹事も長くお引き受けくださった。
家族葬とのことで、先生の死は、葬儀の後、奥様からの電話で知った。心遣いに感謝するとともに、お別れできなかった気持ちも残った。昨年の4月に先生宅をお訪ねし、お会いしたのが最後になった。駅まで車でお送りいただき、こんな早く永別となるとは、想像もしていなかった。人の世の儚さを感じる。
ご子息が医師で、自宅で急変され、ご家族に見守られて亡くなられたご様子。病床に長く伏せられた死でなかったことがせめてもの救いとも思ったが、ご家族にとっては、心の空白が突然訪れ、しばらくご心痛は消えないとも思う。京都では、こんな時「お疲れがでませんように」という弔問の言葉がある。
今度、先生を訪ねる時は、ご霊前ということになる。4月、関西に出かける予定があるので、ご家族のご事情が許すならば、ご自宅を訪ねたいと考えている。先生がお好きだった歌がある。
ただ人は情けあれ朝顔の花の上なる露の世に
ご冥福をお祈りします。
  

Posted by okina-ogi at 11:55Comments(0)日常・雑感

2017年02月23日

「デロス同盟」と「ペロポネソス同盟」



古代ギリシアの安保同盟のようなものであるが、両者とも同じギリシア人の同盟というところが特殊である。なぜそのようになったのかは、「デロス同盟」の盟主アテネと「ペロポネソス同盟」の盟主スパルタの政治形態の違いのようである。アテネは、民主政治、スパルタは僭主政治だったことも一つの理由になるが、アテネは、通商によって国力を養い、スパルタは軍事力を誇示した。その力を背景に、この同盟によって平和のバランスを長く保ったのである。
今日のギリシアの国土を見ると、多くの島々と半島で占められ、国土もそれほど肥沃ではなく、貿易や、海運を立国の礎にしなければ成り立たないように見える。古代とそれほど変わってはいないように思える。
ギリシア人が、都市連合国家になろうとしたことは、古代にはなかったが、強国ペルシャとの戦いでは、一緒に戦った。良く侵略から防衛できたと思う。再び侵略を受けないように各都市国家が結んだ条約が「デロス同盟」と「ペロポネソス同盟」だったのである。二つの同盟に分かれたことにより、やがては「ペロポネソス戦役」というギリシア人同士の長期的な戦争の後、アテネは衰弱する。同じギリシア人の国、マケドニア王国にやがてアレキサンダー大王が登場する。
  

Posted by okina-ogi at 12:01Comments(0)書評

2017年02月21日

『ギリシア人の物語』Ⅱ 塩野七生著 新潮社 3000円(税別)



Ⅰは、一昨年の暮れに出版されたが、Ⅱは、1月の出版になった。それにしても1年のサイクルで大作を世に出すエネルギーには敬服する。副題があって「民主政の成熟と崩壊」となっている。数日前から読み始め読了したわけではないが、高校の教科書で学んだ知識を遥かに超えている。
アテネに光が当てられているが、スパルタの存在は無視できない。デロス同盟という言葉は、教科書で学んだがその内実は、この本でよくわかった。ギリシャ人の都市国家の間には、常に緊張感があって紛争が耐えない。そうした中で30年平和の時代があった。その時代にアテネをリードした政治家がいた。ペリクレスという人物である。本の表紙にも登場している。
しかし、この人物が世を去る数年前から、アテネの民主政治は、崩壊していく。衆愚政治(ポピュリズム)に移り、スパルタとの長期の戦争に突入していく。今、このあたりまで読みすすめている。
  

Posted by okina-ogi at 17:29Comments(0)日常・雑感

2017年02月17日

北朝鮮という国家

朝鮮半島の歴史を詳しく知っているわけではないが、地理的には、半島であって、中国大陸に成立した王朝に従属するように、外交的には鬱屈した状況の中で、朝鮮民族として国を保ってきた印象がある。儒教思想を大陸から取り入れ、民族の結束を図ってきたという印象もある。古代においては、海を隔てた日本との交流もあり、当時としては先進的な技術も日本にもたらしている。仏教の伝来も朝鮮半島を経由している。慶州を訪ねたことがあるが、古墳の埋蔵品を見たら、高松塚古墳との類似に驚いた記憶が残っている。渡来した人々も多く、血の交わりもあることも否定できない。
日露戦争後、朝鮮半島は、日本に併合されたが、第二次大戦後、日本の統治を離れ朝鮮戦争によって南北に分断された。北の朝鮮民主主義人民共和国とは、国交はないに等しい。近代の国家としては、まれに見る専制国家と言える。国の名称とは程遠い、一部権力者の支配する国になっている。しかも、ブラックホールのように国の内情が見えない。軍事費の割合も高く、国民の暮らしは豊かに見えない。さらには、言論の自由もなく、思想統制がなされている。人権も守られていない。
数日前に、金正男の暗殺が報じられた。側近の粛清もあった。なんと恐ろしい国かという感じがする。でも、そんな国にあっても人は生きていかなければならない。憂鬱に思うのは、自己保身を異常な行動に導く国の体質に対してである。手柄を立てて、権力者に媚をうる人間が出てくることである。讒言をすることもあるだろう。共産主義国家だからということではない。教条主義というか、さまざまな価値観を認めない社会や、組織に起こりがちな現象で、歴史上人類は何度も経験している。北朝鮮の国家体制は、当面変わらないだろう。窮鼠猫を噛むというような、国際紛争だけは避けたい。トランプ大統領もこの点は、自覚自制して政治をしてほしい。
  

Posted by okina-ogi at 11:40Comments(0)日常・雑感

2017年02月11日

法律門外漢のたわごと(年金の繰り下げ受給)


平成29年、いよいよ厚生年金、老齢基礎年金の受給年度となりました。友人にも相談されたのですが、繰り下げ受給のことが話題になりました。郵便局主催の年金相談にこられた社会保険労務士さんの言葉が耳に残っています。
「繰り下げを選ぶ人は、100人に2人もいませんね」
いろいろ考えてみましたが、少し利率が良いからと言って、65歳になって生活費の主力である年金を換金せず国に預けておくのもどうかと思うのです。命あっての年金ですからね。預けっぱなしで、使わなければ相続できる子供にも間接的に不利にもなります。友人に薦めたのは「繰り下げせずもらっておきましょう」ということでした。
65歳になっても働き続けるから収入もあり、近い将来無収入になることを想定して、年金の受給額を少しても多くしておきたいという気持ちは分かるのですが、貰った年金をストックしておいても良いのではというアドバイスと、65歳になると在職老齢年金の制度もかわり、年金が停止されることはほとんどないという説明をしておきました。
さて自分はどうするか。裁定請求の葉書が届いたら、厚生年金、老齢基礎年金ともに繰り下げしないという箇所に○をつけて提出することにしていますが、年金事務所に直接出向いて疑問点は確認することにしています。
参考に65歳以上の在職老齢年金は、厚生年金の1ヶ月受給できる額(基本月額)と賞与も含めた1ヶ月支給される給与(総報酬月額相当額)を合算した額が47万円を超えなければ、厚生年金の停止はありません。また、老齢基礎年金は、給与と関係なく全額支給されます。
  

Posted by okina-ogi at 17:19Comments(0)日常・雑感

2017年02月09日

法律門外漢のたわごと(障害年金の審査、支給決定の遅さ)

年金は、障害になった場合にも支給される。ケアマネージャーの仕事をしていると、障害年金の支給対象になる可能性のある利用者に出会う。65歳前に介護認定を受けているケースである。ところが、利用者が障害年金のことを意識していないことが多い。
概略を説明し、年金事務所を訪ねるように薦める。家族がいる場合は、家族に話す。本人は障害があるのでなかなか自分では手続きができない。社会保険庁の時代に、年金事務の不手際があって、今は年金事務所も親切に対応してくれるようになったと聞いている。ところが、申請書類を提出する手続きが大変らしい。それが完了しても、審査に時間がかかる。半年以上かかることはざらと聞く。何とかならないものか。その間に亡くなってしまえば、支給されないことになってしまう。行政システムに問題はないのだろうか。国会で取り上げられても良いのではないか。
  

Posted by okina-ogi at 11:59Comments(0)日常・雑感

2017年02月08日

『キリストの誕生』遠藤周作著 新潮文庫



映画「沈黙」に刺激され、以前読んだ『キリストの誕生』を再読した。あらためて、キリスト教の布教の苦難を確認した。ユダヤ教から派生した宗教でもあるが、ユダヤ教徒からの迫害もあった。その象徴がエルサレムの神殿であり割礼である。選民思想の縛りや、戒律も障害になっている。パウロのように異教徒に伝道することに、生前のイエスを知るペテロを代表とする教団の反対もあった。そうしたことを乗り越えて、今日、キリスト教が世界の3大宗教になったのは、イエス(人)がキリスト(神)になる過程である。
キリストの一番弟子と言われるペテロは、イエスの思いを深く知る人間であるが、保身をはかるが、最後は、殉教する。バチカンは、彼の墓の上に建てられたといわれている。
始めは、キリスト教徒を迫害したパウロは、キリスト教徒になり不屈の精神で、異教徒にキリスト教を伝える。彼もローマで殉教したと伝えられている。
 死を恐れず、教えを守り、死にいたる殉教が、キリスト教の確信に近い行為になっているが、そうさせるのがイエスの愛の思想だと言える。罪なく十字架にかかったことは、犠牲であり、人類の最大の愛の行為になっている。人は弱く、そのことをイエスは理解してくれると思うから神と信じることができる。遠藤周作のキリスト教観は、日本人的だと思った。
  

Posted by okina-ogi at 11:49Comments(0)書評

2017年02月02日

仮採用期間の大統領

 アメリカの大統領にトランプ氏が就任。選挙期間中の刺激的な発言を繰り返し、矢継ぎ早に大統領令に署名している。そのため、世界中が混乱し、振り回されている。こんなアメリカ大統領近年みたことがない。アメリカ第一主義で、世界に対して宣戦布告しているようだ。
 大統領は、選挙で選ばれているので労働者ではないが、まだ就任から2週間も経っていないから仮採用期間(試用期間)と言える。これだけの言動をみれば不採用にしてもおかしくない。これからの世界情勢は、不安定要素が多い。なんとなく、憂鬱な毎日だと感じている人は多いと思う。

  

Posted by okina-ogi at 11:58Comments(0)日常・雑感

2017年01月25日

『神々の微笑』 芥川龍之介作品

遠藤周作の『沈黙』に深くこの作品が関係しているようである。短編だからすぐ読めるが、内容は、重い。芥川龍之介は、キリスト教を題材にした小説を多く書いたことで知られている。キリスト教に惹かれるところがあったのは事実であろう。自殺した時、枕元に聖書が置かれていたことも無関係ではないだろう。
 結論的には断定しているわけではないが、日本ではキリスト教の神も八百万の神には勝てないと老人に言わせている。天岩戸開きを思わせる場面も描いている。そして、日本に伝道に来た神父に憂鬱な気分を持たせ、その原因が、日本の風景の美しさであったり、得体の知れない雰囲気(霊的なもの)だと語らせている。
 自殺することは、キリスト教では許されないが、芥川は、キリスト教に救いを求めていたが、自分の体に染み付いていたともいうべき、日本人的な体質を脱ぎ捨てることができなかったのかもしれない。その他の作品を読んでいないので言い過ぎになっているかとも思うが。
  

Posted by okina-ogi at 17:32Comments(0)書評

2017年01月24日

映画「沈黙」

遠藤周作の小説「沈黙」が映画化され封切りとなった。小説『沈黙』の中に、司祭が踏み絵を踏む場面があった。その部分を書き抜いてみる。
「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私は、お前たちにふまれるために、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ。こうして司祭が踏み絵に足をつけた時、朝がきた。鶏が遠くで鳴いた」
 映画の中では、神父となっている。踏み絵を踏んだのは、棄教なのだが、信者の命を救う行為にもなっている。長崎奉行の井上政重は、実在の人物であるが、元キリシタンであった。神父が棄教すれば、信者も救われると考えていたので説得するのである。演じた役者も、名演だった。
その説得として、日本の土壌にキリスト教の苗木は育たないという言葉があった。日本も古来から、神道や仏教の信仰がある。そこにキリスト教が唯一の神を説くことを、時の権力は認めなかった。明治になって文明開化として西洋文化が入り、キリスト教の布教も許されるようになった。しかし、キリスト教徒の数は、ザビエル後の布教による信徒の数とかけ離れて多くなっていない。
なぜなのか。歴史と風土ではないかと思っている。一神教ということに、日本の土壌は合わないと言った長崎奉行も思っていたかもしれない。
  

Posted by okina-ogi at 16:21Comments(0)日常・雑感

2017年01月21日

『失敗の本質』 共著 中公文庫



小池東京都知事の座右の書らしい。財界人でこの本に関心を寄せている人もいる。副題として、日本軍の組織的研究となっている。軍隊と企業は、その目的は異なるが組織という点においては同じである。小池知事が言うようには負けてはいけないのである。日本航空や、多額の損失を出して企業の存続が危惧されている東芝のようになってはいけないのである。組織の失敗は何から生まれるのか。
本著が分析した日本軍の戦いの中で、六つのケースを取り上げている。①ノモンハン事件②ミッドウェー作戦③ガタルカナル作戦④インパール作戦⑤レイテ海戦⑥沖縄戦である。
このうち、③と⑤どのように戦われたかは知らず、特にガタルカナル島がソロモン諸島にあることを知った。日本から随分と離れている。伯父が、ニューギニアで戦病死しているので南方の戦争には関心があったが、悲惨な戦いだと聞いて知るのを避けていたこともある。
 本の内容から、負け戦を分析するぐらいなら、負ける戦をなぜしたのかを研究したほうが良いと考えていたら、そのことも最初に書いてある。そのことを分かった上で、あえて戦いの失敗を日本軍という組織に眼を向け分析しているのである。いろいろな指摘があるなかで、「主観的で「帰納的」な戦略策定―空気の支配」というのがあった。これだなという感じがした。一方、演繹的という言葉がある。客観的と言うか、冷めた判断である。日本人の良さでもあるが、情に流され易いのである。情報や状況の冷静な分析は、アメリカが優っていた。もちろん、国力の違いがあり、力のあるものに戦いを挑んでも勝つ見込みは少ない。孫子の兵法というのがあった。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」亡くなった大叔父は陸軍少佐で終戦を迎えたが、「先の大戦は無謀な戦いであった。戦争を国際紛争の解決手段にすべきではない」という言葉を残し、この孫子の言葉を引用していた。
  

Posted by okina-ogi at 15:51Comments(0)書評

2017年01月19日

『足るを知る生き方』神沢杜口「翁草」に学ぶ 立川昭二著 講談社



神沢杜口は、江戸時代中期(1710~1795)の人。京都に住んだ。40歳で与力を娘婿に譲り、隠居の身になった。それから45年、85歳まで生きた。多趣味多才の人で、俳人与謝蕪村とも親交があった。蕪村の墓は、左京区の金福寺にある。
『翁草』を書いたことで知られるが、世に広く流布したわけではないので、後世神沢杜口を知る人は少ない。『翁草』は、定年退職後、それも老齢期の随想集とも言っても良い。日常雑感でもあるが、人生訓としても良い深い思索から生まれた文章もある。また、神沢杜口が79歳の時に発生した京都の天明の大火は、取材記事であり、焼失した地図も残し、今日の貴重な歴史資料になっている。
当時、神沢杜口が見聞きしたエピソードが綴られていて興味深い。江戸時代にタイムスリップした感じがする。森鴎外の小説『高瀬舟』は、『翁草』の記述からヒントを得たものである。安楽死がテーマになっている。『興津弥五右衛門の遺書』も同じで、こちらは、乃木将軍の自刃に刺激され『殉死』がテーマになっている。
現代、リタイアしてからの老年期の過ごし方は、人さまざまであって良いが、神沢杜口の行き方は、実に参考になった。彼ほどの趣味や才能はないが、共感するところが多い。俳句、将棋(神沢杜口は囲碁)、随想を書くこと等。意識してそうなったのではないが、拙著の紀行文に『翁草』がある。これも、時代を超えたご縁かもしれない。しかし、江戸時代にあって85歳の長寿を全うしたのは凄い。
  

Posted by okina-ogi at 16:21Comments(0)書評

2017年01月18日

『悪党芭蕉』 嵐山光三郎著 新潮社 1500円(税別)



署名が、凄い。芭蕉と言えば俳聖。求道者的なイメージもある。俳句を通じて、日本人の精神生活を豊かにした功労者だと思うし、現代なら文化勲章を受章してもおかしくない人物である。
冒頭、芥川龍之介と正岡子規の芭蕉批判が出てくる。龍之介は、芭蕉は「大山師」だと言い、子規は、芭蕉の句は、悪句駄句が大半だと酷評している。後世、芭蕉の句碑や廟を建立する輩の気が知れぬと憤慨している。
問題は、芭蕉の作品。俳句、連句、紀行文、日記である。やはり、後世にゆるぎない文学的地位を占めていると思う。とりわけ、連句については良い勉強になった。心の交流というものの味が少し分かったような気がする。親しい友人たちと連句をした経験があるが、蕉門の深さと真剣さは、群を抜いていると思った。芭蕉門下は、豪商であったり、武士であったり、医師であったり生活に余力のあるインテリ層が多い。そうした人々の経済的支援の元に生活していたことになる。長期の旅をして、紀行文が書けたのもうなずける。連句を纏めて出版し、紀行文も世に出した。大坂御堂筋で客死するが、体調が悪いのに出かけて行ったのもプロデューサーとしての仕事だったとも言える。
芭蕉の「ひとたらし」の能力は相当なものだが、俳句の魅力を伝える資質は、カリスマ的であったと思う。
  

Posted by okina-ogi at 11:58Comments(0)書評

2017年01月14日

法律門外漢のたわごと(雇用保険の改正)


平成29年1月1日から、65歳以上でも雇用保険に加入できるようになりました。そうであれば、65歳以上で退職した場合、基本手当てとしての失業給付が給付されるかというとそうはなりません。以前と同様、受給用件を満たせば、高年齢求職者給付金が、一時金として支給されます。
実際に、雇用保険に加入し、事業主と雇用されるものが保険料を支払うのは、平成32年の4月1日からになります。それまでは、保険料は免除になります。この改正は、何を意図しているのかは容易に推測されます。65歳以上の就労を促しているということです。その先には、年金の受給年齢の引き下げが待っているかもしれません。
  

Posted by okina-ogi at 15:29Comments(0)日常・雑感

2017年01月12日

『芭蕉紀行』 嵐山光三郎著 新潮文庫



古典を読むのに限るが、ガイドブックのような本も悪くはない。著者の感性もあるが、芭蕉の旅の状況を良く調べている。著者は、若いときからの旅好きで、芭蕉への思い入れもある。旅は酔狂だけでできるものではないから、旅費の工面や、旅の企画は、芭蕉一人ではできなかったことがわかる。『奥の細道』などはまさにそうであって、同行した曾良の役割は大きい。
嵐山光三郎は、作家であるが雑誌の編集などを手がけた苦労人である。編集者は、本が売れるかどうかを考えなければならない。そうした経験が、俳聖芭蕉の違った面を浮き彫りにしてくれる。『奥の細道』も読者を意識して、ただの紀行文ではなく、虚構の部分も盛り込まれていると言う。
『西行と清盛』という彼の著作があるが、面白く読んだ記憶がある。蔵書にするほど繰り返して読む本ではないと思ったから、友人にプレゼントしてしまって手元にはない。その本の中で、西行がみちのくを旅したかどうかは疑問だと書いていたように思う。また、西行が出家したのは、政争に巻き込まれることを避けたという指摘である。この本にも、人間くさい芭蕉の一面を書いているが、それはそれで面白い。
弟子の杜国との関係は、そうなのという感じがするが、渥美半島には行ってみようかなと思わせてくれた。杜国の没した地であるだけでなく「椰子の実」の歌の誕生の地でもあるからだ。旅には、旅情が必要だ。
  

Posted by okina-ogi at 17:34Comments(0)書評

2017年01月05日

『真情』

正月4日、『真情』という小冊子が送られてきました。号を重ね、112号となっています。年3回の発行ですから、40年近く発行し続けていることになります。発行の責任者になっているのは、長く赤間神宮に奉職し、現在は、萩市の松蔭神社に奉職している青田國男氏です。30年来の親交があります。数学者、岡潔先生の春雨塾の塾生というご縁でもあります。
本のタイトルになっている「真情」(まごころ)について、昭和49年度の京都産業大学での岡先生の講義録が載っています。講義の最後のところで、「真情」とは何かを例を挙げて語っておられ、抜粋して紹介することにします。

『日本人は無自覚的にではあるが真情を自分と思っているのである。「真情」の一例を挙げよう。
明治の初め頃の話である。
東北の片田舎に母と子が二人で住んでいた。息子が13になった時、自分は禅を修行したいと云い出した。それには家を出て師を求めなければならない。それで母と子が別れることになった。その別れる時、母は子にこう云った。
「もし修行が上手く行って、人がお前にちやほやしている間は、お前は私のことなんか忘れてしまっていてよろしい。然しもし修行が上手く行かなくなって、人がお前に後ろ指を指すようになったら、必ず私のことを思い出して、私のところへ帰って来ておくれ。私はお前を待っているから」
それから30年経った。子は偉い禅師になった。松島の碧岸寺という寺の住持をしていた。その時郷里から飛脚でこう云って来た。
「お母さんはお歳を召してこの頃ではいつも床に就いておられる。お母さんは何とも云われないが、私達がお母さんのお心を推しはかって云うのだが、どうか出来るだけ早く帰って来て一目お母さんに逢ってあげてほしい」
禅師は取るものも取りあえず家に帰って、寝ている母の枕辺に座った。
そうすると母は子の顔をじっと見てこう云った。
「この30年、私はお前に一度も便りをしなかった。然しお前のことを思わなかった日は一日もなかったのだよ」
私はこの話を聞いた時、涙が出て止まらなかった。
子から見れば、子と母とは二つの心であるが、母から見れば母と子とはただ一つの心、真情だけになっているのである』
これが心というもの。
  

Posted by okina-ogi at 13:54Comments(0)日常・雑感

2017年01月04日

相模国一宮



元旦の日帰りの旅を続けて久しいが、初詣が目的ではなかった。そろそろ、神様に1年の願い事をしても良い年になったという自覚から、神社にお参りすることにした。茅ヶ崎市から近い場所に、寒川神社があることを知った。この神社は、相模国の一宮でもある。関東近辺の一宮でお参りしていないのは、この神社と栃木県の宇都宮市にある二荒山神社だけである。
昭和29年の元旦は、天気に恵まれた。晴れ渡り、冬の厳しい寒さもない。藤沢あたりを過ぎると富士山がくっきりと見える。元旦の富士も拝みたかったのでその願いが、先ず叶えられた。寒川神社あたりから、ゆっくりと眺めてみようと楽しみにしていたが、高速道路が邪魔して裾野が見えない。しかたなく高速道路を超え、見晴らしの良い堤防に出て、カメラに収めた。
寒川神社の人出は尋常ではない。参拝するのに1時間以上かかった。タクシーの運転手に聞いたら、1月、2月は参拝する人が多く、近くに住んでいるが季節を選んで参拝すると話してくれた。神社は、普段は人がまばらだと思っていたが、さすが一宮である。元旦のもう一つの目的は、天然温泉に入ることである。茅ヶ崎駅から近い場所に、竜泉寺の湯という日帰り温泉がある。昼食もそこで摂り、くつろぐことができた。昭和30年は、宇都宮に行くことも決めた。
  

Posted by okina-ogi at 11:59Comments(0)旅行記

2016年12月24日

青春18きっぷの効用



このきっぷが売り出されてから久しい。年に3回売り出される。春と夏と冬。試用期間が限定されているが、1ヶ月間は使用が可能である。日帰り旅行に使えば、通常料金の半額以下になることもある。個人で使っても良いし、グループでも良い。値段は、1,1850円である。
このきっぷを利用して、江ノ島・鎌倉散策に5人で出かけた。高崎駅から藤沢駅まで行き、藤沢からは江ノ電で江ノ島駅に移動し、江ノ島に行き、再び江ノ島駅から長谷駅で下車し、由比ヶ浜駅ら鎌倉駅へ。JR鎌倉駅から新橋駅で途中下車し、高崎駅に戻る。通常料金ならば、江ノ電を除き、5,180円である。青春18きっぷでは、一人の料金は、2,370円。半額以下である。ちなみに、江ノ電は「のりおりくん」を利用。1日乗り放題で、600円。いちいち購入する手間もいらない。
  

Posted by okina-ogi at 14:13Comments(0)日常・雑感

2016年12月24日

行く我に留まる汝に秋二つ(2016年12月)

(津山編)
新幹線と在来線の乗り継ぎは上手くいって、吉永駅には午後一時前に着くことができた。無人駅でバス停は見当たらない。タクシーが二台停まっている。帰りの岡山行きの列車の時間を確認し、帰りのタクシーを予約することになった。約一時間半見学することにした。資料館もあるらしい。見学者は、少ない。山間にあっても意外と広い。日当たりも良い。建物は、古いがしっかりしている。講堂は国宝だという。敷地は、枯れているが芝生になっている。観光シーズンは秋の紅葉の時期らしい。既に落葉しているが、孔子廟のある斜面に二本の大樹があって、桑の木かと思ったら、楷の木であった。孔子のゆかりの地から種を持ち帰り苗にして育てたものだという。
閑谷学校の創建は、一六七〇年で初代岡山藩主の池田光政による。儒教、とりわけ陽明学に関心を寄せた人で、名君の誉れが高い。中江藤樹の弟子である熊沢蕃山を招聘し校風を確立した。儒教には、朱子学があるが、こちらは体制側の思想になる。保守的な思想でもある。熊沢蕃山も幕府から危険視され、不遇な人生を送っている。岡山には、山田方谷がいるが、幕末になって熊沢蕃山は評価されるようになった。閑谷学校が、庶民も学ぶことができたのは、陽明学と無関係ではない。建設に当たったのは津田永忠という家臣で、閑谷学校の近くに居を構え、屋敷跡は今も残っている。


閑谷学校の景観をもう少しスケッチすると、堤防のような石塀で囲まれていることである。城ほどではないが、外敵の襲来にも備えているような機能を持っている。また、城下や住宅地から離れた場所にあり通学するのには、不適である。そのため、寄宿舎が整備されていた。教師と生徒は近くにあって学んだことになる。明治になって、閑谷学校は廃止されるが、中学校、高等学校となり、明治期に建てられた校舎は、資料館になっている。正宗白鳥や三木露風もこの地で学んでいる。駅に戻り、津山の友人に到着時間を連絡した時
「おぬしの国は学問の底辺が広いのう」
という言葉になったのは、閑谷学校を見た素直な感想でもある。
吉永駅から岡山駅で津山線に乗り換える。各駅停車のワンマン列車である。沿線には旭川が流れ、谷あいを列車はゆっくり進む。冬山に夕陽が当たっている。民家の付近では、焚き火かしれぬが、煙が昇り、谷間を這うように流れている。
津山線 斜陽に映えて 山眠る
 津山駅の一駅前の津山口の午後五時に到着。この駅も無人駅である。友人が車で迎えに来る予定になっているが、それらしき車はない。少し遅れて、友人の友達が運転して迎えに来てくれた。友人は後部座席に同乗している。昨年、腰を圧迫骨折して、歩行が不自由になっていることを気にかけていたのである。車は、運転できるが歩行には杖が必要になっている。
 彼の友人には、過去にも会っている。職場時代の友人で親切な人である。二人の岡山弁が微笑ましい。いつも貶しあっているようなやり取りの中にも、友情が感じられる。
「おまえ、夕食はまだじゃろ。肉食うか」
焼肉店に直行。出された肉は牛肉である。それもステーキほどの厚さがある。それに柔らかい。こちらのでは、肉は牛肉という感じで、ホルモンも牛肉の内臓である。津山のB級グルメの「ホルモンうどん」の肉も牛肉である。昨日のこともあり、お酒は控えめにした。友人は、酒の酔いもあったが、家の玄関で転んでしまう。おでこに傷を負ったが、大事には至らなかった。来春、群馬に行きたいと言うが、先年果たせなかった日光詣は一人では難しそうである。御つきの者と車椅子が必要になりそうである。
 

 翌日は、彼の家でゆっくり過ごそうと思っていたが、温泉と津山城に友人が案内してくれた。何度か津山に来ているが、城に上ったのは、新婚旅行以来だから四十年近く前のことである。櫓が復元され、石垣も修復されつつある。初代藩主は、本能寺の変で、信長と共に死んだ森蘭丸の弟の森忠政であるが、大大名の城といっても良い城である。明治になって城の建物は壊されたが、復元した映像は、見事というしかない。国宝の資格がある。津山は鶴山が転じた地名で、津山城は、鶴山城ともいう。天守閣があった場所まで上り、津山の市街を眺めると、東西に吉井川が流れている。ちょっとした運動後の入浴になったが、温泉は病院の一角にあった。最近出来た日帰り温泉である。市内に、衆楽園という大名庭園があるが、翌日見ることが出来た。池が広々としていて、鴨やオシドリが優雅に泳いでいた。近くには市役所がある。城にも近い。
 

 津山の二日目の夕食は魚料理である。彼の好物の「のどぐろ」がメインである。いつからか高級魚になった。煮魚にして食べた。こちらは、予約である。キスのフライも柔らかくて美味しかった。ウツボのフライも酒の肴としてなかなかいける。昨夜は焼酎だったが、河豚の鰭酒をいただくことにした。三杯飲んだが熱燗の日本酒を継ぎ足せば、味もそれほど落ちない。経済的な飲み方だといつもそうしている。
 帰宅の日、昨日に続き将棋を指した。運転しない気楽さか、朝から缶ビールを飲んでの対局になったが、これまでなら飲んでもなかなか崩れない棋風だが、今回は読みがあっさりしている。勝負に拘る執念も感じられない。連勝したが、勝利の喜びよりも、少し心配になってきた。介護保険の申請もしてあって、認定が出たら週一回、ヘルパーに掃除をしてもらうつもりだという。仕事柄、ケアプランのアドバイスをしたが、買い物や入浴も不自由があるようだ。福岡の友人の年金相談と言い、確実に老齢期に差し掛かっている。岡山空港まで送って来てくれたが、足取りはおぼつかない。
 行く我に留まる汝に冬二つ
  

Posted by okina-ogi at 09:09Comments(0)旅行記

2016年12月23日

行く我と留まる汝に秋二つ(2016年12月)

(福岡編)
俳句を紀行のタイトルにするのは、初めてだが、今回の旅は、この句がふさわしいと思ったのである。正岡子規の句で、汝は夏目漱石である。旅の拠点にするのに友人とは重宝なものというのは失礼な言い方だが、日常の時空間にない再会と言う時間と旅先の新鮮さが貴重なのである。一人は、福岡市、一人は津山市の住人である。福岡空港に行き、博多駅から鉄道で津山駅に行き、岡山空港から帰路に着く三泊四日の旅である。二人とも、老後の窓口に立っていると言って良い。健康や、年金生活を意識する年でもある。「行く我」も同様である。
博多駅から鹿児島本線で小倉方面に向かう途中に東郷駅がある。海岸に向かって数キロ行ったところに、古いお社がある。宗像大社である。官幣大社でもある。神社は、三社に分かれているが、辺津宮にお参りすることにした。もう二つの宮は、島にあり普段はお参りすることができない。中津宮は、大島にあり、更に沖合いにある沖ノ島に沖津宮がある。共に玄界灘に浮かぶ小さな島である。宗像大社の歴史は古い。由来は、神代に遡る。


祀られている神様は、宗像三女神と呼ばれ、天照大神の御子とされる。古事記や日本書紀に記述される御子の誕生は神秘的である。天照大神の弟君であるスサノオノミコトとの「うけい」によって生まれた姫君とされている。スサノオノミコトの剣を貰いうけ、洗い清めた後、剣を噛み、それを霧としてはいた時に生まれたというのである。スサノオノミコトも天照大神の勾玉などでできている飾り物をすすぎ、これを口に噛んではきだした霧の中に五人の男神を生んだとされる。
辺津宮に祀られているのは、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)であるが、ご神体は、鏡である。ご神体と社殿に向かいお参りしたが、不思議な気持ちになった。友人の家は、宗像大社の氏子だということを思い出したからである。しかも、三人の女の子の親であることも。一年ほど前に父親を亡くし、辺津宮の一画にある祖霊社に祀られている。鳥居の外から、お参りする友人の後ろ姿を見ながらお参りさせてもらった。
宗像三女神は、天照大神から皇室を守護するように申し付けられている。そのためかは分からないが、三度に渡る国難を救っている。鎌倉時代の元寇(二回)と日露戦争の日本海海戦である。神風を吹かせ、連合艦隊の歴史的大勝利に導いたのは、宗像三女神だと、日本人なら思いたい。特に日本海海戦の戦場となった海域は、沖津宮のある沖ノ島にごく近かった。明治三十八年五月二十七日、海は「天気晴朗なれど波高し」であった。司令官であった東郷平八郎は、戦艦三笠の羅針儀を宗像大社に奉納している。神宝館を見学したが、見ることはできなかった。


福岡市に戻り、夕食には時間があったので、友人に水鏡天満宮に案内してもらった。菅原道真を祀っている。この地に移ったのは、黒田長政の時代である。一度お参りした記憶がある。東京裁判でA級戦犯になり刑死した広田弘毅は、この近くに生まれ、石工であった父親の関係で、幼いときに書いた文字が鳥居に掛けられていることでも知られている。誕生地の碑が前にある店で、九大の友人の先生と飲んだ記憶がある。天神の地名もこの神社に由来する。
友人の予約してくれた店も天神にあった。高校時代の友人の息子さんが経営しているお店で、その日に釣れた魚を食べさせてくれるのだという。その日に釣れた魚の名前は忘れたが、刺身や煮魚、天ぷらにしていただいた。海のない県の人間には、こうした食事はなかなかできない。焼酎をボトルで注文し、すっかり酔いがまわってしまった。ホテルは近いのだが、タクシーを拾い、予約した部屋に千鳥足でたどりつく。翌日、友人からメールが届き、無事に着けたかの確認と酒は控え目にというアドバイスを頂戴した。
行く我と留まる汝に冬二つ
盗作である。
ホテルでは、すっかり寝坊。いつもなら五時半に起床するのだが、時計を見ると八時を過ぎている。博多駅からの新幹線は十時をまわっている。津山までは、直行せずに寄り道をすることにしたが、冬至に近く明るいうちにたどり着けるか心配になってきた。岡山県には、閑谷学校と言う史跡がある。亡くなった牧師さんから薦められた史跡で、日本遺産第一号に認定されている。地図を見ると、岡山駅から山陽本線で結構な距離がある。しかも山間にあり、バスやタクシーを使わないと行けそうもない。
  

Posted by okina-ogi at 16:24Comments(0)旅行記