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2019年01月30日
雪

冬になって上州は雪が降らない。夜間に少し降ったが、山から飛んできた風花程度で、朝日にすぐ溶けてしまった。最近、俳句に関心を寄せるようになって、季語を調べ、先人の俳句を鑑賞している。講談社から出版された「日本大歳時記」で発刊日は昭和56年になっている。雪を季語にした句に目をとおしてみようと索引を見て驚いた。雪の季語の多いことに。十ほど書いてみる。雪明、雪遊び、雪起こし、雪下し、雪雲、雪女、雪国、雪晴れ、雪しぐれ、雪見・・・・・・・・。日本人の繊細な観察と語彙の多さは着目して良い。歳時記は日本語の宝庫である。有名な雪の句で好きな句を上げてみる。
いくたびか雪の深さを尋ねけり 正岡子規
これがまあ終の住処か雪五尺 小林一茶
山口誓子の「俳句鑑賞」を読んでいたら、雪の句があった。
うつくしき日和になりぬ雪のうへ 炭 太祇
気持ちのいい瞬間だ。
ぬかるんでいつしか雪の暖かさ
拙句だが、太祇の句に通じるものがあるような気がした。
俳句ではないが、切り絵に関心があって。群馬の切り絵作家関口コオさんに惹かれるようになった。年賀状のやり取りもあり、作品も数点所持している。久しぶりに関口コオを検索してみると昨年他界されたことがわかった。ご冥福を祈りたい。添付した作品はコオさんの作品である。
2019年01月29日
ミレーの絵

ミレーの絵は、敬虔な感じがするとともに慕情がある。ミレー展に巡り会えないので、原画を見たのは山梨県立美術館だけである。「落ち穂拾い」という絵は有名である。幼い時の記憶になったが、落ち穂拾いをした経験がある。小麦ではなく、稲穂である。稲刈りが終わると、刈った稲を並べて乾燥させ、それを丸めて脱穀をするのである。子供は親に言われるままに、拾い忘れた稲穂をあつめるのである。だんだん日が暮れて作業も終わる。蕪村の句に
落ち穂拾い日の当たる方に歩みゆく
というのがあるが言い得て妙だと思う。
東北新幹線に乗って北に移動した時に、稲藁が棒に駆けられて乾燥している風景を目にした。次の句などは、そのさまを良く捉えている。
藁塚に一つの強き棒挿され 平畑静塔
今は機械で刈って籾にするので落ち穂拾いという習慣は少なくなった。
2019年01月28日
俳句かるた
長男が幼稚園に入った頃、俳句歌留多を買った。幼児教育だという訳ではないが、生き物に対する関心や思いやりを持ってもらいたいと思う親心からである。今その歌留多は我が家にはない。あまり、子供には興味がなかったと見え、遊んだ記憶も薄い。動物の出てくる俳句を集めたもので、小林一茶の句が多かった。
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
痩蛙まけるな一茶ここに有
我と来てあそべや親のない雀
他にも採用された句があったような気がする。
青蛙おまえもペンキぬりたてか 芥川龍之介
しんしんと雪降る空に鳶の声 川端茅舎
ひっぱれる絲まつすぐや甲蟲 高野素十
など思い出せるが古今の名句が載っていた。長男に子供が生まれ、俳句歌留多はどうかと思った。お嫁さんを味方にしないと長男のにのまえになりそうだ。
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
痩蛙まけるな一茶ここに有
我と来てあそべや親のない雀
他にも採用された句があったような気がする。
青蛙おまえもペンキぬりたてか 芥川龍之介
しんしんと雪降る空に鳶の声 川端茅舎
ひっぱれる絲まつすぐや甲蟲 高野素十
など思い出せるが古今の名句が載っていた。長男に子供が生まれ、俳句歌留多はどうかと思った。お嫁さんを味方にしないと長男のにのまえになりそうだ。
2019年01月27日
年賀状
年賀状も、電子化の普及によって年始の挨拶の手段として減少傾向にあるが送られてくるものに、味わい深いものがある。私の今年の年賀状は、俳句一句と、短い言葉を書くようにした。なかなか新年を季語にした句はできないのだが、俳句帳に昔詠んだ句があったので、それを使わせてもらうことにした。一枚一枚筆で書いた。普段会えない友人、知己にコメントを忘れずに。、有名俳人の句を使いたい気持ちにもなるが、稚拙でも自作のものが良い。
御下も亦良き朝の道すがら
季語は、御下で、おさがりと読む。正月三が日に降る雪や雨である。この場合は雪である。しかも雪国の深雪ではなく、上州の雪である。心新たになる気分にもなる。御下の年は豊作になるという、縁起の良さがある。大家の句2句紹介したい。
去年今年貫く棒の如きもの
年は唯黙々として行くものぞ
高浜虚子のくである。
御下も亦良き朝の道すがら
季語は、御下で、おさがりと読む。正月三が日に降る雪や雨である。この場合は雪である。しかも雪国の深雪ではなく、上州の雪である。心新たになる気分にもなる。御下の年は豊作になるという、縁起の良さがある。大家の句2句紹介したい。
去年今年貫く棒の如きもの
年は唯黙々として行くものぞ
高浜虚子のくである。
2019年01月26日
動物の季語
俳句を創るようになってなって久いが、動物の句は少ない。いつでもいるようで季節感を感じないのである。退職をしてから時間ができたこともあり、動物にも関心を持つようになった。久しぶりに高崎に買い物に出たら、目の前に見慣れた鳥が歩道を歩いている。鳥は枝に止まるか、空を飛んでいるものだと言うくらいの感覚だが、この鳥は地面が好きそうである。鶺鴒(セキレイ)である。今は冬である。 鶺鴒は秋の季語だから冬鶺鴒として季語にし、
猫の如歩道横切る冬鶺鴒
まさか、猫には季語はあるまい。小林一茶は小動物に心を寄せたが、人間の以外の動物にも関心を寄せたいと思う。
猫の如歩道横切る冬鶺鴒
まさか、猫には季語はあるまい。小林一茶は小動物に心を寄せたが、人間の以外の動物にも関心を寄せたいと思う。
2019年01月25日
孫子の兵法
古代中国の思想家孫子の「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」というのがある。兵法書として書かれたものだが、日常のなかでも、見逃せない考え方が書かれている。岩波文庫にあるが、興味のある方は読んでいただきたい。退職して時間もできたので、孫子の兵法を学ぶことにした。先週、高崎駅にある本屋に行ったら「四季報、がならんでいた。老後のお金の運用も考え、株式投資をするようになった。勤めている時は、配当と優待が中心で、儲けようという野心も不思議となかった。だから、「四季報」のような分厚い情報誌は読んだことがない。ここにきて、「四季報」が孫子の兵法からすると必読書に思えてきた。会社(彼)を知らなければ株という味方(敵ではない)のことがわからない。方や己については、今までどおりで良いと思っている。余剰資金の中での楽しみという身の丈の運用である。
2019年01月24日
冬草
雑草のは蔓延った空き地、田畑をよく見ると、緑を残した草があるのを目にする。枯れ草の影にひっそりと生きているので目立たない。人も厳しい環境の中にあって、辛い時、目立たぬように生きて、捲土重来を図る。
地に低くいのち潜めて冬の草
地に低くいのち潜めて冬の草
2019年01月23日
シンプルイズベスト
大相撲初場所11日め、横綱白鵬が休場から再出場の御嶽海に敗れ、全勝にストップがかかった。決まり手は押し出しである。優勝を経験した力士だが得意は押しである。まわしを取って投げたり寄り切ったりする白鵬のような力士も安定感があって面白いが、単純のように見える御嶽海の相撲も光っている。同じことが貴景勝にも言える。低い姿勢から、突き放して押し出す相撲は魅力がある。横綱、大関陣が休場、不振、引退したりしている間に場所を盛り上げている。貴景勝は先場所優勝し、今場所も勝ち越した。年齢も22歳と若い。「突貫小僧」と呼んでいるが、買っても負けても取り組みが面白い。相撲だけでは、ないが一つの形を持っている人は魅力がある。
2019年01月22日
昭和は遠くなりにけり
今年の5月から新たな元号になる。昭和から平成を経て30年。決して短い年月ではない。筆者は、戦後間もない昭和の生まれである。昭和の産物は、レトロな感じがする。草田男の句に「降る雪や明治は遠くなりにけり」がある。昭和は、遠くなりけりというのは、実感である。20代に、明日香を散策したことがる。
石舞台あたり昭和の緑あり
という句を創った。爽やかに晴れた日だったことを覚えている。石舞台は、蘇我馬子の墓という伝承がある。平成の文字が入った句もある。40代に九州の友人と佐賀を旅した時の句である。
吉野ヶ里平成の世を秋津飛ぶ
この日も爽やかな秋空だった。
石舞台あたり昭和の緑あり
という句を創った。爽やかに晴れた日だったことを覚えている。石舞台は、蘇我馬子の墓という伝承がある。平成の文字が入った句もある。40代に九州の友人と佐賀を旅した時の句である。
吉野ヶ里平成の世を秋津飛ぶ
この日も爽やかな秋空だった。
2019年01月21日
天地人
大河ドラマ「西郷どん」も終了した。最終回は、敬天愛人だった。西郷さんが好んで揮毫した言葉でもあり、人生観である。天を敬い、人を愛する。実行できる人は稀である。だから、目標でも良い。「天地人」という言葉がある。人は天の下、地の上に生きている。秋に結婚した二人がいた。花向けのつもりで俳句を贈った。
天地人黄菊白菊出会う時
菊花展に行くと、三本に幹を仕立て、大輪を咲かせる鉢が多く出品されている。花の高さが違うようになっている。高いのが天ということになるののだろう。白菊もあり黄菊もある。ひらがなが一つという句も珍しい。
天地人黄菊白菊出会う時
菊花展に行くと、三本に幹を仕立て、大輪を咲かせる鉢が多く出品されている。花の高さが違うようになっている。高いのが天ということになるののだろう。白菊もあり黄菊もある。ひらがなが一つという句も珍しい。
2019年01月20日
俳句鑑賞
丘の上にある我が家からは、榛名山が連なっているのが見える。日常目にしているがなかなか句にならなかった。春になると、麓から若葉が頂きを目指し、やがて靑山になる。山が若葉になった時、「山笑う」という季語があるが、この場合、「萌える」を使い
頂きを目指し木の葉の萌え出づる
としたが写生文のようで深みがない。
季節が夏を過ぎると、頂から紅葉が始まる。秋の季語で「山粧う」がある。
麓にも紅く装う峰の使者
装う峰で季語としているが、問題ないか自信がない。麓でもまばらに紅葉する木があっって、麓の紅葉の先駆けになっている。それは、頂からの使者だと感じたのである。この句のほうが、ロマンチックな感じするが、技巧的匂いがしなくもない。
頂きを目指し木の葉の萌え出づる
としたが写生文のようで深みがない。
季節が夏を過ぎると、頂から紅葉が始まる。秋の季語で「山粧う」がある。
麓にも紅く装う峰の使者
装う峰で季語としているが、問題ないか自信がない。麓でもまばらに紅葉する木があっって、麓の紅葉の先駆けになっている。それは、頂からの使者だと感じたのである。この句のほうが、ロマンチックな感じするが、技巧的匂いがしなくもない。
2019年01月17日
季語「枯野」2題
今は冬である。枯野は冬の季語である。次の2句は名句として、敢えて説明する必要もないのだが好きな句である。
山は暮れて野は黄昏の薄かな
作者は蕪村である。日は落ちて、山は暮れている。野は残照で薄が風に揺れている。前方には、家人が待つ家の灯が見える。藁葺屋根の粗末な家である。その家に向かって歩いて行く。欅や楢の落葉樹が道脇にあって、鳥たちもねぐらに急ぐ。明治のはじめの武蔵野にはこんな風景もあったろう。まして、蕪村は江戸時代の人である。
遠山に日の当たりたる枯野かな
高浜虚子の句である。遠山(とうやま)にだけに日が当たっている。日は作者の背後にある。近くの枯野は対象的に日が当たっていない。こんな風景にはなかなか出会わないが、スケールの大きい句である。
山は暮れて野は黄昏の薄かな
作者は蕪村である。日は落ちて、山は暮れている。野は残照で薄が風に揺れている。前方には、家人が待つ家の灯が見える。藁葺屋根の粗末な家である。その家に向かって歩いて行く。欅や楢の落葉樹が道脇にあって、鳥たちもねぐらに急ぐ。明治のはじめの武蔵野にはこんな風景もあったろう。まして、蕪村は江戸時代の人である。
遠山に日の当たりたる枯野かな
高浜虚子の句である。遠山(とうやま)にだけに日が当たっている。日は作者の背後にある。近くの枯野は対象的に日が当たっていない。こんな風景にはなかなか出会わないが、スケールの大きい句である。
2019年01月16日
芭蕉晩年の句を考える

芭蕉が亡くなったのは大坂御堂筋にあっった、弟子の家だっった。近辺を散策し、石碑でもあるか探してみたがついとわからなかった。芭蕉がこの地に来たのは、弟子の 仲違いのためだっったといわれている。体調を崩し、病床に伏すようになる。下痢がひどく、死を意識するようになる。結果的に、辞世の句なっったが最後の句は多くの人知るように
旅に病んで夢は枯野を駆巡る
であるが、死ぬほどではないが体調を崩したときに、脳裏に過去の情景や近い将来のやらねばならぬ課題が消えては浮かぶのは、体験するところである。季語が「枯野」としたところが芭蕉の人生観である。人生は、死へ向かう旅であると。
この句前に詠んだのが
秋深き隣は何をする人ぞ
であるが、後世の俳人が、寂しさを感じたが。見も知らない人に想いを寄せたと感じた人もいる。私は後者である。人生は旅で、多くの旅をして紀行を書いているからである。