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2019年09月30日
(近代の秀句)水原秋櫻子より(稲刈り

稲刈りは機械化されて、手早く刈り取り、籾にするコンバインは、効率的である。
それは乾燥機にかけられる。
小型の手動の刈り取り機は、稲を束ねてくれる。
そして束ねられた稲は田で天日干しにして乾燥される。
それを稲架といって、東北で見たものは、人が何人も立っているよう見えた。
稲架は、ハザと読み、地方によってはハンデよ読んでいる。
昔は稲刈りを人力でしたために腰を曲げながらの重労働になった。
一家総出の一大行事である。
乾燥した稲の脱穀も大変である。
稲刈のたけなわにして野は静か 軽部鳥頭子
稲を刈る田は多く、稲を刈る人も多い。
皆黙々として刈って居るので静かである。
作者は、小高い丘から見ているのである。
2019年09月29日
俳句自選(金木犀)

我が家には、樹齢が10年を超える、金木犀がある。
その独特な香りは数十メートル先でもわかる。
この金木犀の花の香りで秋の到来を感じる。
花が咲いている期間は短く、その香りも消えてしまう。
ベランダに腰掛けて本を読んでいたら、秋風にのって良い香りがしてきた。
秋風もさわやかで、振り返ると、金木犀が咲いている。
花は咲き始めで小さい。
何の香と振り返え見れば金木犀
2019年09月28日
(近代の秀句)水原秋桜子より(秋の日)

全山に秋日が隈なく当たり、明るく澄んだ景色である。谷の方に目をやると橋がかかっている。人が何とか渡れるほどの吊橋である。人影は見えないが、一匹の猫が、しっぽを立てて渡って行く。あどけない感じがする。
秋の日や猫渡り居る谷の橋
猫は、どこから来たのかわからないが、渡りきるまで見ている。自然と谷あいの秋日に照らされた景色が目に入る。もしも犬だったらどうだったろうか。橋の上が嫌いな犬が多いのではないだろうか。昔飼っていた犬は、繋がれているロープを引っぱって嫌がった。
2019年09月27日
(近代の秀句)水原秋櫻子より(芭蕉)

芭蕉は、バナナの木に似ているが、似て非なるもである。
実もなるようだが食することはできない。
松尾芭蕉が俳号にした程に儚い感じのする木である。
葉は強い風に吹かれてか破れてしまう。
夏目漱石の自宅「漱石山房」には芭蕉が植わっていたが、自宅の庭に植える家は珍しい。
私も目にしたのは土手のような場所である。
寿命は長いのか高校に通学した道沿いに今も健在である。
川端茅舎も風流な俳人だったのかか、何句か芭蕉の句がある。庭に芭蕉があったのである。
明暗を重ねて月の芭蕉かな
月明かりに照らされた芭蕉のスケッチである。この場合月も秋の季語だが芭蕉に比重がかかっている。
2019年09月26日
俳句自選(秋明菊)

群馬県川場村に、吉祥寺という古刹がある。
寺は山裾にあるのだが境内は広く、庭には季節にあった花が植えられ、鑑賞することができる。
大きな池もあって枯山水の風情も素晴らしい。
友人たちとハイキングのつもりで立ち寄ったのだが、この寺がメインだった。
ある程度、俳句に親しむ人間にとって植物の名前は知っているつもりだが、今まで目にしたことのない白い花が咲いていた。
秋明菊古刹の庭に咲き揺れる
同行した友人に名前を教えてもらったのだが、一変にこの花が好きになった。今は、家の庭に白と紫の花を咲かせている。
2019年09月25日
(近代の秀句)水原秋桜子より(秋の月)

滝廉太郎に「秋の月」という曲があるのを最近知った。
「花」があまりにも有名なために、コンサートで歌われることは少ない。
月といえば秋の月なのだが仲秋の名月だけでなく親しまれている。
十六夜(いざよい)、十三夜。
とりわけ十三夜は、後の月ともいい晩秋の名月とされている。
仲秋の名月より大気は冷たくスッキリしている。
滝廉太郎の「秋の月」も清澄な響きがある。
月高く稀なる星の美しき
月の光が強く、いつもなら見える星が見えない。
見えるのは一等星や金星などの明るい星である。
その星が作者にはいつになく美しく感じられた。
2019年09月24日
(近代の秀句)水原秋櫻子より(今日の月)

今日の月は、十五夜のこと。
仲秋の月ともいう。
この月を愛でる俳句は多い。
満月の夜は明るい。
けふの月馬も夜道を好みけり 村上鬼城
今は、馬を飼う人は皆無に近い。
田を耕す農民は馬の力を借りた。
荷を運ぶこともした。
大正時代の句である。
飼い主と一緒に歩く馬もことさら嬉しそうである。
月に照らされ、虫の音を聞きながら昼の暑さもなく気持ちの良い夜である。
2019年09月23日
近代の秀句」水原秋櫻子より(鳴子)

稲作農家にとって雀は害鳥である。
実った稲の実を食べてしまうからである。
カスミ網で捕まえるのは大掛かりで、逆に生態系に影響があるからできない。
雀を稲田から遠ざけるしかない。紅白のテープを張って裏表が風に吹かれ雀が驚くしかけを見たことがある。
定期的に、爆音を立てる方法もある。
古くから、雀を驚かすのは案山子だが、雀も賢くなって人間ではないと学習するのか、そういう風景を見ない。
これも古くから行われているのが鳴子であるが、この方法も今は見ない。
稲作地帯である、新潟や秋田に行けばみられるのだろうか。
稲穂波鳴子進むが如くなり
風が吹いてたわわに実った稲穂が波を打っている。
鳴子もが音立てている。
鳴子が稲穂の波に乗って進んで見えるようである。
2019年09月22日
(近代の秀句)水原秋桜子より(鰯雲)

鰯雲は、秋空にかかる代表的な雲である。
この雲をを見上げて秋だなあと思う。
この雲が現れると鰯が取れると漁師は信じている。
名前の由来もここから出ている。
鰯雲は長く空を覆い長く消えないでいることが多い。
夜でも月明かりで見える。そして次のような句ができたのである。
鰯雲昼のままなる良夜かな
美しい描写である。
私などは夕焼けに映えた鰯雲が好きである。
2019年09月21日
(近代の秀句)水原秋櫻子より(雁)

雁ゆくや照る海と月ありて 山口波津女
作者は、海辺に住んでいる。
それも少し高台の家である。
いつも、この時期に雁が渡る。雁の鳴き声がしたので、縁側に出たが過ぎ去ってしまって姿が見えない。
庭に出て家を振り返り、雁をを見つけようと思ったがもういない。
また振り返って海の方を見ると、月明かりで海が見える。
そして、新たに雁が渡って行くのが見える。
雁と月で季重ねだが、この句では、月は季語にしない。
雁と月と海。美しい情景である。
ふと、記念切手のことを思い出した。
今でも高価で売られている「月と雁」である。
そしてこの句の作者は、女性である。
「見返り美人」もまた高価である。

2019年09月20日
(近代の秀句)水原秋櫻子より(虫の声)
我が家は農地を転用して建築したために、畑に接している。
すっかり秋めいてきて、虫たちも快い音を聞かせてくれるようになった。
虫の声というが、羽根をこすって音を出している。
雑音がない夜の闇から聞こえてくる。昼の声もあるがを意識しにくい。
「虫の声」という童謡、唱歌があるが、子どもたちにわかるように虫の声を文字にしている。
しかし文字では伝えにくい。
鈴虫などカゴで飼うこともあるが、野原に出て聞いて見ないと実感できない。
歌詞の一番に鈴虫が登場する。「りんりんりんりん」と鳴いている。
次の句は、正岡子規のものだが、好奇心の強い子規の感性が出ている。
窓の灯の草にうつりて虫の声

すっかり秋めいてきて、虫たちも快い音を聞かせてくれるようになった。
虫の声というが、羽根をこすって音を出している。
雑音がない夜の闇から聞こえてくる。昼の声もあるがを意識しにくい。
「虫の声」という童謡、唱歌があるが、子どもたちにわかるように虫の声を文字にしている。
しかし文字では伝えにくい。
鈴虫などカゴで飼うこともあるが、野原に出て聞いて見ないと実感できない。
歌詞の一番に鈴虫が登場する。「りんりんりんりん」と鳴いている。
次の句は、正岡子規のものだが、好奇心の強い子規の感性が出ている。
窓の灯の草にうつりて虫の声

2019年09月19日
(近代の秀句)水原秋櫻子より(秋の空)

秋晴れの日は気持ちが良い。
雲も浮かんで、しばらく見上げてしまう。
草山に馬放ちけり秋の空 夏目漱石
牧場には、馬が放たれていて、思いのままに行動している。
草を喰む馬もある。
駆けている馬もある。
牧の中には、桔梗、女郎花、野菊、吾亦紅などが咲いているが作者の目は秋空に向く。
漱石は空に関心があって
濃やかに弥生の弥生の雲の流れけり
という句も作っている。
2019年09月18日
(近代の秀句)水原秋桜子より(柿紅葉)
柿紅葉 地に敷き天に柿赤し 松本たかし

柿の葉は固く艶があり秋が深まると徐々に紅葉していく。
実が熟していくと、枝から落下して足元を落ち葉として埋めていく。
枝に紅葉した葉が残っている間に柿は収穫されるが、家の庭の柿などは裸木になっても実が残っていることが多い。
その実は、鳥たちの餌になる。
あえてそうしている場合は「木守柿」という。
作者は、柿の木に近づき地面に落ちた柿の葉を見て、青空を見上げ柿の実の赤を印象的に見ているのである。
柿紅葉も数枚枝についている。

柿の葉は固く艶があり秋が深まると徐々に紅葉していく。
実が熟していくと、枝から落下して足元を落ち葉として埋めていく。
枝に紅葉した葉が残っている間に柿は収穫されるが、家の庭の柿などは裸木になっても実が残っていることが多い。
その実は、鳥たちの餌になる。
あえてそうしている場合は「木守柿」という。
作者は、柿の木に近づき地面に落ちた柿の葉を見て、青空を見上げ柿の実の赤を印象的に見ているのである。
柿紅葉も数枚枝についている。
2019年09月17日
(近代の俳句)水原秋櫻子より(野菊)

文部省唱歌「野菊」は、戦中、昭和17年に作曲された。
作曲は、下総皖一である。
「七夕」などもそうで清澄な感じの曲である。歌詞は
遠い山から吹いてくる
小寒い風にゆれながら
けだかくきよく匂う花
きれいな野菊うすむらさきよ
薄紫の野菊よりも白の野菊を見ることが多いが、鉢の中で大輪に咲く菊も良いが秋の野に咲く野菊には趣きがある。
野のかなた連なる色は野菊かな
2019年09月16日
(近代の俳句)水原秋櫻子より(月見草)

太宰治は、「富嶽百景」の中で、「富士には月見草が良くにあう」と書いている。
野原に群生する待宵草と間違えたのではないかという人が多い。
ただ、夕方から宵にかけて可憐に咲く点では同じである。
待宵草は黄色が多いが、月見草は、何種類かあるようである。
このように書くのは、月見草を自覚して見たことがないからである。
月見草雲の夕焼(ゆやけ)が地を照らす 橋本多佳子
夕焼けの色も月見草によく似合うのだろう。太宰治の小説には「斜陽」がある。

2019年09月15日
(近代の秀句)水原秋櫻子より(葛)

葛の葉の上を風吹く暑さかな 星野立子
女性俳人の句である。葛はたくましく、日がさすところでは他の植物を凌駕する。
つるで伸びるので、木に覆いかぶさることもある。
その葛の葉の上を風が吹いていく。
その繁茂した葛と夏の暑さが相乗効果になっている。
私の畑の隣地が、耕作を放棄しているので葛の駆除が大変である。
根は葛粉の原料になる。
浅間の鬼押出しの近くに、鎌原という地区があって、天明の大噴火で火砕流がおき、多くの犠牲者を出した。
資料館があり、当時の惨状を詳しく説明している。
資料館の近くに句碑があって
葛咲くや嬬恋村に字いくつ
と刻まれていた。
作者は、石田波郷である。
句意はともかく、溶岩が冷えた後に葛なら生えるのではと想像した
2019年09月14日
(近代の秀句)水原秋桜子(夏の芝)

ゴルフ場や野球場などの芝はよく手入れがされていて綺麗である。
民家の庭にも芝が使われている。
たいがいが高麗芝だが、雑草がはびこって管理が難しい。
我が家も芝を庭に植えているが、芝を刈り込むことで雑草を抜くことはしない。
土を草で覆うことができれば良いと思っている。
足立美術館の芝は、見事だった。
庭には、様々な来訪者がある。
野良猫が日光浴をしていたり、次の句のように鳥の到来もある。
刹那的な瞬間を捉えて微笑ましい。
並び歩く鳩と雀や夏の芝
上5句が6字になっているのは問題ない。
並び歩くというところが作者言わんとするところである。
2019年09月13日
「近代の秀句」水原秋櫻子(畦塗り)
稲作は日本の文化である。
瑞穂の国とも言われる。
現在は、機械化して農作業も楽になった。
田植えをするまでの作業は、重労働である。
土を起こし、水を入れて稲の苗を植えられるくらいにかき混ぜる。
それだけでなく田の縁にかき混ぜた土を塗る。
そうしないと畦に穴が開いて田に入れた水が流れてしまう。
地方では黒塗りとも言っていた。今はどうしているのか知らないが。
てんがという道具で柔らかくなった土をすくい、畦の端に塗りつける。
その上部に、小豆を撒いて収穫する人もいた。
家族総出の作業で黒塗りは、熟練した高齢者がすることが多かった。
それでも重労働には違いない。
老の腰尚も曲げてぞ畦濡れる
瑞穂の国とも言われる。
現在は、機械化して農作業も楽になった。
田植えをするまでの作業は、重労働である。
土を起こし、水を入れて稲の苗を植えられるくらいにかき混ぜる。
それだけでなく田の縁にかき混ぜた土を塗る。
そうしないと畦に穴が開いて田に入れた水が流れてしまう。
地方では黒塗りとも言っていた。今はどうしているのか知らないが。
てんがという道具で柔らかくなった土をすくい、畦の端に塗りつける。
その上部に、小豆を撒いて収穫する人もいた。
家族総出の作業で黒塗りは、熟練した高齢者がすることが多かった。
それでも重労働には違いない。
老の腰尚も曲げてぞ畦濡れる
2019年09月12日
「近代の秀句」水原秋櫻子より(蓬)

畑など耕作地を長く放置すると蓬がはびこって大変である。
耕作し栽培するのには厄介な草である。そんな蓬でも役にたつことがある。
今はあまり見かけないが蓬を乾燥してお灸に使う。
それよりも餅に混ぜて突いた蓬餅である。
草餅ともいう。
甘いものは控えているが、草餅だけには目がない。
蓬摘みの句がないか調べていたら、高野素十の句があった。
ひざまづき蓬の中に摘みにけり

一面に蓬が群生している場所を見つけたのである。
しばらくは目を凝らして蓬を見つけては摘んでいたが、今いる場所はひざまづいて摘むことができる。
楽園に来た気分であろう。
蓬を詠んだ句には芭蕉の
春雨や蓬を伸ばす草の道
があるが、季語は春雨である。
この句を評して数学者の岡潔は、百年の春雨をみるようだと言った
2019年09月11日
(近代の秀句)水原秋櫻子より(蕨)

春になると山野に食用にできる植物があって、それを収穫するのも楽しいものだ。
成長すれば、厄介な蓬も春に摘めば、よもぎ餅の材料になる。
蓬と違い、山に行かないと収穫できない山菜もある。
タラの芽、ゼンマイ、蕨など。最近はコシアブラが人気があって店頭に並ぶことがある。
他にも食用にできる山菜はあるが、まちがって毒のあるものを摘むことに気をつけないといけない。
野を来しがいつ山路なる蕨かな
作者は、山菜採りにきたのではない。山路を超えて隣町に出かけたのかもしれない。
平坦な里道から坂道になり、道脇に蕨を見つけた小さな驚きを句にした。
山菜を知らない人には蕨は目にとまらなかっただろう。
山路で菫に目を留めたのは、芭蕉である。