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2022年10月31日

『一茶句集』より(雀の子)

                  赤馬の息吹きかけり雀の子


馬の鼻息は荒い。
巣だった雀の子が赤馬の息に吹かれているというユーモラスな句である。
四十九歳の句で小動物を詠んでいる
  

Posted by okina-ogi at 07:52Comments(0)書評

2022年10月30日

『一茶句集』より(桜)

                  象潟や桜を浴びてなく蛙


象潟は、秋田県の景勝地。
近くには鳥海山もある。
一茶が見た象潟は、現在とは違い、松島のように浅瀬に島が点在していた。
200年前に、地震により島一帯が隆起し現代の風景になった。
島は、丘のように残り稲田がとりまくようになった。
一茶がこの地を訪ねた時、桜が咲いていた。
そして蛙が啼いていた。


  

Posted by okina-ogi at 08:26Comments(0)書評

2022年10月29日

『一茶句集』より(蝗)

                  枯々の野辺に恋する蝗かな


稲刈りも終わって蝗の恋の季節は終わったと思っていたら、枯野につがいの蝗を見つけた。
まだまだ子孫を残すのに遅くない。
雌は雄より体が大きい。
  

Posted by okina-ogi at 08:13Comments(0)書評

2022年10月28日

『一茶句集』より(蟋蟀)

                 蟋蟀のなくやころころ若い同士(どし)


コオロギ、それも若い蟋蟀同士である。
友達か恋人かわからないが、ころころ仲良く鳴いている。
一茶の得意とする小動物のスケッチが五十歳に近くなると多くなる。
  

Posted by okina-ogi at 08:22Comments(0)書評

2022年10月27日

『一茶句集』より(涼風)

                 涼風や力一ぱいきりぎりす


夏も深まり、野には虫の声がしきりとするようになった。
きりぎりすも力いっぱい鳴いて心をなぐさめてくれる。
秋なんだなあと思う。
涼風も気持ちよい。
  

Posted by okina-ogi at 08:42Comments(0)書評

2022年10月26日

『一茶句集』より(女郎花)

                  よろゝは我もまけぬぞ女郎花


風が吹いて女郎花が揺れている。
自分もよろよろと老いのせいで歩くようになったが負けないぞと思う。
女郎花に身を移して力得る。
  

Posted by okina-ogi at 09:07Comments(0)書評

2022年10月25日

『一茶句集』より(花)

                  花さくや欲のうき世の片隅に

多くの人は花見を楽しんでいる。
桜の下で手拍子でうたっている。
自分は一緒にならず離れて桜を眺めている。

                   夕ざくらけふも昔に成りにけり

昼の桜を見て夕桜も闇に消えて行く。
その日の情景は昔になった。
蕪村にも名句あり。


遅き日のつもりて遠きむかしかな

  

Posted by okina-ogi at 17:09Comments(0)書評

2022年10月25日

『一茶句集』より(ちる花)

                  ちる花や既におのれも下り坂


花の散るのを見て我が身の老いを感じる。
一茶の時代は、人生五十年と考えられていた。
初老は、四十歳。
芭蕉の句に

老いの名もありとも知らで四十雀

一茶の句は四十八歳で詠んだものである。
  

Posted by okina-ogi at 08:16Comments(0)書評

2022年10月23日

『一茶句集』より(菖蒲ふけ)

                菖蒲ふけ浅間の煙しづか也


菖蒲は、あやめのルビがあり、けむりとあり文字は旧字でけぶりのフリガナが書いてある。
現代人には鑑賞に困る。
菖蒲ふけは五月の節句に使う。
一茶が故郷信州の行き来に碓氷峠から軽井沢通ったことはわかる
四七歳の時の句。
見識の高い読者には簡易でも所見いただきたい
筆者の頭のなかには浅間の煙がけぶっている。
  

Posted by okina-ogi at 23:59Comments(0)書評

2022年10月23日

「一茶句集』より(親雀)

五六間鳥追いけり親雀

ひなのいる巣があるのか、近づいてきた鳥を、追い払うようにが親雀が威嚇する。
子雀が巣から迷いだしたすのも考えれば、そのはれなれるのは
五六間が限界。
親雀は晩春の季語である
  

Posted by okina-ogi at 09:01Comments(0)書評

2022年10月22日

『一茶句集』より(日永)

                  大鶴の身じろぎもせぬ日永かな


春になって日が長くなっている。
そんな日大鶴が姿をみせた。
遠くから気づかれないように見ているが身じろぎもしない。
見事なすがたである。
  

Posted by okina-ogi at 18:44Comments(0)書評

2022年10月16日

『一茶句集』より(巣燕)

                  巣燕何をつぶやく小くらがり


燕が巣を造り、子供を育てている。
少し暗くなってよく見えないが、口を空いて。
何かつぶやいて話しかけているように見える。
  

Posted by okina-ogi at 16:00Comments(0)書評

2022年10月14日

『一茶句集』より(なでしこ)

                  秋霧や河原なでしこりんとして


撫子は可憐な花ある。
河原に咲いているのは珍しい。
しかもりんとしている。
それを秋の霧がつつんでいる。
季語(主役)は撫子にしたい。
  

Posted by okina-ogi at 13:51Comments(0)書評

2022年10月11日

『一茶句集』より(時雨)

                  切株の茸かたまる時雨かな


芭蕉に限らず時雨を季語にした句が江戸期の俳人には多いような気がする。
一茶にしても例外ではない。
そして、名句が多い。
この句には茸が登場する。
  

Posted by okina-ogi at 07:15Comments(0)書評

2022年10月10日

『一茶句集』より(桜)

                 かんこ鳥しなのの桜咲きにけり


信濃の句が時々登場するのは、江戸に住んでも故郷を訪ねているのがわかる。
信濃の春は良い。
私自身、何度も長野県に足を延ばし、高原の少し遅い春にしたって来た。
閑古鳥は郭公の別名
である。
  

Posted by okina-ogi at 06:34Comments(0)書評

2022年10月09日

『一茶句集』より(時鳥)

                 時鳥火宅の人を笑うらん


一茶は、自分を火宅の人だと思っている。
いわゆる煩悩を持った俗人である。
時鳥は、それを笑うように鳴いている。
  

Posted by okina-ogi at 07:27Comments(0)書評

2022年10月08日

『一茶句集』より(桜)

                  人寄せぬ桜咲きけり城の山


山城に桜が咲いたが庶民は当然に城域に入ることはできない。
遠くから眺めるだけだ。
「荒城の月」(滝廉太郎作)のモデルとされた岡城址もそんな城だ。
桜の時期ではないが一度訪ねたことがある。
  

Posted by okina-ogi at 07:39Comments(0)書評

2022年10月07日

『一茶句集』より(雁)

                 鳫鳴くや旅寝の空の目に浮かぶ


今住んでいる家に雁の鳴き声が聞こえる。
すると旅先の空を雁が飛びながら鳴く姿を思い出すのである。
一茶も旅の俳人だった。
  

Posted by okina-ogi at 08:17Comments(0)書評

2022年10月06日

『一茶句集』より(秋の雨)

                  ほろほろとむかご落ちけり秋の雨


山芋の実であるむかごも少しずつ地に落ちる。
その様をほろほろと表現したのである。
ちょうど秋の雨が降って、むかごが落ちるのを徐長しているようだ。
  

Posted by okina-ogi at 06:54Comments(0)書評

2022年10月05日

『一茶句集』より(蝉)

                  せみ啼くや梨にかぶせる紙袋


梨の実を作るまでには大変な手間がかかる。
一茶の時代には、消毒という発想はなかったと思うが、実をすぐったり、花粉付けはしただろう。
防虫のため、袋掛けが済んだ梨畑に、蝉が啼いている。
  

Posted by okina-ogi at 07:58Comments(0)書評