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2020年04月30日

「漱石句集」より(秋の空)

                我一人行く野の末や秋の空


またしても秋空を詠んでいる。
元号も大正になって、時の移り変わりを感じている。
野の先は秋の空である。
行くのは、自分一人である。
  

Posted by okina-ogi at 00:03Comments(0)書評

2020年04月29日

「漱石句集」より(鶏頭)

           御かくれになったあとから鶏頭かな

明治天皇が崩御された。
七月三十日、夏真っ盛りの日鶏頭が伸びていた。

           厳かに松明(まつ)振り行くや星月夜
とも詠んでいる。
  

Posted by okina-ogi at 10:54Comments(0)書評

2020年04月28日

「漱石句集」より(涼しさ)

            灯を消せば涼しき星や窓に入る

部屋のあかりを消すと、夜の星星が窓越しに見える。
そして夜も涼しい。
  

Posted by okina-ogi at 08:45Comments(0)書評

2020年04月27日

「漱石句集」より(散る木の葉)

            風に聞けいずれか先に散る木の葉

人の命は木の葉のようなものである。
いつ散るかは風が知っている。
木の葉には、いつ散るかはわからない。
木の葉を自分に見立てて生きていく心境になった。
  

Posted by okina-ogi at 08:34Comments(0)書評

2020年04月26日

「漱石句集」より(赤蜻蛉)

                肩にきて人懐かしや赤蜻蛉


何事もないように赤蜻蛉が漱石の肩にとまった。
赤蜻蛉に情があるように感じ、人がいやに懐かしく思われた。
  

Posted by okina-ogi at 05:53Comments(0)書評

2020年04月25日

「漱石句集」より(案山子)

            骨ばかりになりて案山子の浮世かな

痩せこけてまるで案山子のようになってしまった。
自由に動きまわることもできなくなった。
それでも浮世である。
  

Posted by okina-ogi at 11:31Comments(0)書評

2020年04月24日

「漱石句集」より(赤蜻蛉)

            生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉


漱石は空を見上げて句を作ることが多い。
この空は秋空だが赤蜻蛉に焦点が行っている。
生きていることのありがたさも感じている。
  

Posted by okina-ogi at 08:38Comments(0)書評

2020年04月23日

「漱石句集」より(鬢の霜)

生き残るわれ恥ずかしや鬢の霜

世にいう修善寺の大患で吐血した漱石は命拾いをした。
体はやせこけ頭髪に白いものが目立ち、鬢は霜のような白髪になった。
今に残る写真にも衰えた漱石の姿が感じられる。
  

Posted by okina-ogi at 09:14Comments(0)書評

2020年04月22日

「漱石句集」より(白萩)

病んでより白萩に露の繁き降る事よ

病気をすると、いつもの自然の営みも刺激的になる。
白萩を濡らす露も多くなった。
ただ、萩ではなく白萩というところも。
  

Posted by okina-ogi at 09:32Comments(0)書評

2020年04月21日

「漱石句集」より(黍)

           黍行けば黍の向こうに入る日かな


満州大陸での一句。
大陸では黍を植えるのかという新鮮な驚きと、一面広範囲の畑である。
その先には夕日が沈もうとしている。
  

Posted by okina-ogi at 07:16Comments(0)書評

2020年04月20日

「漱石句集」より(朝寒)

              朝寒や自ら炊ぐ飯二合

漱石先生も自炊をすることがあった。
二合の米をといで釜土にかける作業だが文豪も台所に立つことがあったのである。
  

Posted by okina-ogi at 09:07Comments(0)書評

2020年04月19日

「漱石句集」より(春の雪)

南天に寸の重みや春の雪


昔は、南天の木は、トイレの近くに植えられることが多かった。
手洗い(手水鉢)に出てみると春の雪が南天の葉に少しかかっている。
しばらくすれば解けるほどの雪である。
  

Posted by okina-ogi at 05:32Comments(0)書評

2020年04月18日

「漱石句集」より(枯野)

わが影の吹かれて長き枯野かな

自分の影が陽を受けて長く枯野に落ちている。
風もあり身に着けているものも揺れている。
影が長いのは斜陽のためか。
  

Posted by okina-ogi at 12:41Comments(0)書評

2020年04月17日

「漱石句集」より(春の水)

              春の水岩を抱いて流れけり


春になると雪解け水によって川の水が少し増量する。
しかし、川の石が覆われることはなく、石と石の隙間を流れる。
岩を抱いてという表現もよくわかる。
  

Posted by okina-ogi at 00:01Comments(0)書評

2020年04月16日

「漱石句集」より(秋の空)

雲少し榛名を出でぬ秋の空


伊香保の湯が目当てで、榛名山を見ることになったのかも知れない。
漱石の好きな秋空が広がって、山の形もすっきりしている。
雲は少ない。
  

Posted by okina-ogi at 08:43Comments(0)書評

2020年04月15日

「漱石句集」より(春の風)

加茂にわたす橋の多さよ春の風


加茂は京都を流れる川のこと。
言われてみれば橋が多い。
京都に学生時代を過ごしたが橋の数を意識したことはなかった。
  

Posted by okina-ogi at 08:52Comments(0)書評

2020年04月14日

「漱石句集」より(御降)

          御降になるならん旗の垂れ具合


御降は、元日または三が日に降る雨や雪のことである。
国旗の垂れ具合から御降になるのかを想像している。
最近は、正月に日章旗飾る家も見かけなくなった。
  

Posted by okina-ogi at 10:22Comments(0)書評

2020年04月13日

「漱石句集」より(木蓮)

           木蓮の花ばかりなる空を瞻る


瞻(み)るは、仰ぎ見ること。
木蓮は大木なのであろう。
花をたくさんつけている。
青空があって白い花が一段と目立つ。
  

Posted by okina-ogi at 12:02Comments(0)書評

2020年04月13日

「漱石句集」より(昼寝)

           楽寝昼寝われは物草太郎なり

季語は、昼寝であり夏の季語である。
やる気がなく、疲れたと思えば寝る。
家人から物草太郎と言われたのか。
  

Posted by okina-ogi at 07:09Comments(0)書評

2020年04月12日

「漱石句集」より(暮れの秋)

               手向くべき線香もなくて暮れの秋

留学中、正岡子規が亡くなったことを手紙で知った。
子規の葬儀にはもちろん参列できない。
手向ける線香もない暮れの秋。
  

Posted by okina-ogi at 18:57Comments(2)書評