2023年04月16日
ちょっと難しいが大事な言葉⑧
「敬天愛人」
明治の元勲の一人西郷隆盛の好んで揮毫した言葉である。
西郷の人生は、受難そのものに感じる。
島津斉彬に見いだされ、若くして国事に奔走し、幕府の実権が井伊直弼が握り政治犯として追われ、死を覚悟した。
勤皇僧月照とともに錦江湾に身を投げた。
西郷だけが蘇生し、島津藩は幕府の追及を恐れ、西郷は死んだと届け、奄美大島に遠島した。
再度政治に復帰するが、藩主島津久光の怒りをかい島流しになる。
政治犯だから狭い家に拘束され、劣悪の環境で過ごすことになった。
それでも学問と国事の事は忘れなかった。
「敬天愛人」はその時に至った境地である。
罪をゆるされ、明治維新、明治政府の重鎮となり変革の時代に功績を残した。
征韓論に敗れ、国に帰り平穏な人生を送ろうとしたが、不平士族に担がれ、西南戦争に敗れ、部下に首を切らせ、鹿児島の城山で死んだ。
錦江湾の見える丘に、薩軍の兵士の墓があり、西郷の墓は一段と大きい。
一度墓参したことがある。
墓地の近くに、勝海舟の歌碑があり
ぬれぎぬを干そうとせず子供らのなすがまにまに果てしきみかな
とその死を悼んだ。
明治の元勲の一人西郷隆盛の好んで揮毫した言葉である。
西郷の人生は、受難そのものに感じる。
島津斉彬に見いだされ、若くして国事に奔走し、幕府の実権が井伊直弼が握り政治犯として追われ、死を覚悟した。
勤皇僧月照とともに錦江湾に身を投げた。
西郷だけが蘇生し、島津藩は幕府の追及を恐れ、西郷は死んだと届け、奄美大島に遠島した。
再度政治に復帰するが、藩主島津久光の怒りをかい島流しになる。
政治犯だから狭い家に拘束され、劣悪の環境で過ごすことになった。
それでも学問と国事の事は忘れなかった。
「敬天愛人」はその時に至った境地である。
罪をゆるされ、明治維新、明治政府の重鎮となり変革の時代に功績を残した。
征韓論に敗れ、国に帰り平穏な人生を送ろうとしたが、不平士族に担がれ、西南戦争に敗れ、部下に首を切らせ、鹿児島の城山で死んだ。
錦江湾の見える丘に、薩軍の兵士の墓があり、西郷の墓は一段と大きい。
一度墓参したことがある。
墓地の近くに、勝海舟の歌碑があり
ぬれぎぬを干そうとせず子供らのなすがまにまに果てしきみかな
とその死を悼んだ。
Posted by okina-ogi at 11:22│Comments(0)
│日常・雑感
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