2023年07月27日
『松尾芭蕉俳句集』より(冬ごもり)
折々に伊吹をみては冬ごもり
「千川亭に遊びて」という前書きあり。
千川亭からは伊吹山が見える。
時々眺めては部屋に戻って冬ごもりをする。
現代の伊吹山は、頂上が削られて無残な姿になっている。
「千川亭に遊びて」という前書きあり。
千川亭からは伊吹山が見える。
時々眺めては部屋に戻って冬ごもりをする。
現代の伊吹山は、頂上が削られて無残な姿になっている。
2023年07月25日
2023年07月23日
『松尾芭蕉俳句集』より(いざよふ月)
やすやすと出ていざよふ月と雲
雲に隠れて見えないと思ったらやすやすと雲を離れ、その姿を見せている。
雲のない空に長く、とどまって月見をさせてくれる。
十六夜の月である。
拙句に、冬の月だが
薄雲を溶かして渡る冬の月
がある。
2023年07月22日
2023年07月20日
『松尾芭蕉俳句集』より(かんこどり)
うき我をさびしがらせよかんこどり
厭世の身、独り暮らしは寂しい。
そうした閑居に逢って、更に寂しい環境を自覚して句を作ることにつなげたい。
うき我れの句は多いのだが、この句がもっとも芭蕉の心境あっているような気がする。
かんこどり(閑古鳥)の語音がそう思わせるのだろう。
かんこどりは「郭公」のことである。夏の季語である。
厭世の身、独り暮らしは寂しい。
そうした閑居に逢って、更に寂しい環境を自覚して句を作ることにつなげたい。
うき我れの句は多いのだが、この句がもっとも芭蕉の心境あっているような気がする。
かんこどり(閑古鳥)の語音がそう思わせるのだろう。
かんこどりは「郭公」のことである。夏の季語である。
2023年07月19日
『松尾芭蕉俳句集』より(山吹)
山吹や笠に指すべき枝の形り
芥川龍之介はこの芭蕉の句が好きだった。
どのような感慨をもって鑑賞するかは人それぞれであるが、普通には風流を感じる句である。
七重八重花は咲けども山吹の実の一つ無きぞかなしき
という歌もある。
芥川龍之介はこの芭蕉の句が好きだった。
どのような感慨をもって鑑賞するかは人それぞれであるが、普通には風流を感じる句である。
七重八重花は咲けども山吹の実の一つ無きぞかなしき
という歌もある。
2023年07月17日
『松尾芭蕉俳句集』より(合歓の木)
合歓の木の葉ごしもいとへ星のかげ
合歓の木と星の組み合わせが美しい。
「いとへ」は厭へと書き大事にするという意味である。
薄明かりの中を合歓の花が咲いているのだろう。
合歓の木と星の組み合わせが美しい。
「いとへ」は厭へと書き大事にするという意味である。
薄明かりの中を合歓の花が咲いているのだろう。
2023年07月15日
『松尾芭蕉俳句集』より(ほととぎす)
京にても京懐かしやほととぎす
重ねて京都を強調しているところは、芭蕉の心境を伝える。
京にいても京が懐かしく思うのはほととぎすの存在がかかせない。
それにしても今日の夏は暑い。
重ねて京都を強調しているところは、芭蕉の心境を伝える。
京にいても京が懐かしく思うのはほととぎすの存在がかかせない。
それにしても今日の夏は暑い。
2023年07月14日
『松尾芭蕉俳句集』より(夏木立)
先たのむ椎の木も有夏木立
エッセイ『幻住庵記』の中にある句。
当時の庵が復元されていた幻住庵に行ったことがある。
木立に囲まれた涼しそうな場所であった。
「とくとくの清水」という湧水も今も残っている。
エッセイ『幻住庵記』の中にある句。
当時の庵が復元されていた幻住庵に行ったことがある。
木立に囲まれた涼しそうな場所であった。
「とくとくの清水」という湧水も今も残っている。
2023年07月12日
『松尾芭蕉俳句集』より(行春や)
行く春や近江の人とおしみける
「望湖水惜春」の前書きのとおりである。
湖は琵琶の湖である。湖に舟を浮かべ、近江ゆかりの人と、惜春を堪能した。
芭蕉は、晩年だが近江が好きで石山寺の近くにある幻住庵にしばらく住んだ。
その時書いたのが『幻住庵記』である。
「望湖水惜春」の前書きのとおりである。
湖は琵琶の湖である。湖に舟を浮かべ、近江ゆかりの人と、惜春を堪能した。
芭蕉は、晩年だが近江が好きで石山寺の近くにある幻住庵にしばらく住んだ。
その時書いたのが『幻住庵記』である。