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2022年12月29日

『村上鬼城の句』より(新米)

                  新米を食うて養ふ和魂かな

鬼城には武士の心と日本人の心がある。
自由民権運動に燃えたこともあった。
俳句に熱中したそのことと無関係ではない。
米を食べるのは、体のためより心を養うためだという。
しかも最近刈り取った新米である。


  

Posted by okina-ogi at 07:07Comments(0)書評

2022年12月28日

『村上鬼城の句』より(雹)

                  雹晴れて豁然とある山河かな

上州人であれば、まったく実感する句になっている。
激しく雹が降った後、からっと晴れて上州の山河がくっきり見える。
こんな気象の中に住む人々の心に影響を及ぼしている。
上州人気質と無関係ではない。


  

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2022年12月27日

『村上鬼城の句』より(打つ田)

                  生きかはり死にかはり打つ田かな

鬼城は、平民になったが士族として生まれた。
百姓が黙々として田をおこしていることに感じるところがあった。
こうした作業を毎年やっている驚きと、世代を越えて引き継がれていることだ。
名句だと思う。


  

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2022年12月26日

『村上鬼城の句』より(けさの秋)

                  浅間山の煙出て見よけさの秋

私の俳句の師である高崎の秋池百峰先生(故人)は、「鬼城の句は剛速球のようだ」とこの句をあげた。
あまり技巧的な(変化球)の句ではないとおっしゃりたかったと思う。
高崎の並榎にあるこの句碑見たことがある。
鬼城の家から浅間山は良く見える。


  

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2022年12月25日

『村上鬼城の句』(時雨)

                  大寺や松の木の間の時雨かな

大寺は、高崎とは言い切れないが、大きな松が植わっている。
その木の間に時雨が降っているのがわかる。
時雨と言っているから冬の風景である。


  

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2022年12月24日

『村上鬼城の』より(泉)

                  泉わくやときヽ高く吹き上げる

泉は夏の季語である。
岩間から清水を流しているが、時々勢いよく吹き上げている。
上流にたまった水があふれているのか。


  

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2022年12月23日

『村上鬼城の句』より(小鳥)

                  小鳥この頃音もさせずに来て居りぬ

小鳥は渡り鳥で秋の季語になっている。
この頃啼きもせずやって来る。
啼かなくても来てくれるだけで嬉しい。


  

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2022年12月22日

俳人村上鬼城

俳人村上鬼城は、慶応元年(1965年)江戸に生まれた。
父親は、鳥取藩士で、鬼城は士族の子として産まれた。
母親は、呉服商を営む商人の娘であった。
士農工商の身分制度があった時代には、珍しい結婚であった。
父親の仕事の関係で、群馬県に住むことになった。
群馬県庁の役人になったが、高崎裁判所の代書人になり高崎に移った。
青年村上鬼城は、青雲の志をもって、陸軍士官学校の試験を受け、見事に合格したが持病の難聴があり入学を諦めた。
そして、父親の代書業を学び、向学心の強い鬼城は、漢学を学び俳句を作るようになった。
正岡子規の句に出会い、文通をするようになった。
鬼城の句は、子規の評価するところとなり、アララギ派の代表俳人となる。
結婚し、多くの子供に恵まれたが生活は苦しかったが、教育を与え立派に育てた。
高崎に亡くなるまで住み、多くの俳人に影響を与え「高崎の鬼城さん」として親しまれた。
市内には鬼城の句碑が多く残っている。


  

Posted by okina-ogi at 08:32Comments(0)日常・雑感

2022年12月21日

『一茶句集』より(ばせを忌)

                 ばせを忌と申すも只一人哉

一茶は芭蕉の生き方を尊敬していた。
命日を一人になっても忘れず故人を偲んだ。
六十歳になって、芭蕉の亡くなった年を越えたことも胸の内にある。


  

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2022年12月21日

『一茶句集』より(ばせを忌)

                 ばせを忌と申すも只一人哉

一茶は芭蕉の生き方を尊敬していた。
命日を一人になっても忘れず故人を偲んだ。
六十歳になって、芭蕉の亡くなった年を越えたことも胸の内にある。

  

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2022年12月20日

『一茶句集』より(麦の秋)

                  山寺は碁の秋里は麦の秋

一茶が碁を嗜んでいたかはわからない。
山寺では碁を打つことは知っていた。
そして里に来てみると麦が実り収穫を待っている。


  

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2022年12月19日

『一茶句集』より(線香花火)

                  膝の子や線香花火に手をたたく

夏の夜子供を膝の上に載せて線香花火をする。
手をたたいて喜んでいる。
子供はあどけない。


  

Posted by okina-ogi at 07:27Comments(0)書評

2022年12月18日

『一茶句集』より(蠅)

                  やれ打つな蠅が手をする足をする

この句も一茶の知られた句の一つである。
蠅だって殺されたくないから、手を合わせ足まで合わせているではないか。
命乞いは人間でもする。
蠅たたきで叩かないでおくれ。


  

Posted by okina-ogi at 07:38Comments(0)書評

2022年12月17日

『一茶句集』より(雪)

                  重荷負う牛や頭につもる雪

雪が降り続く中で、牛の頭に雪が積もっている。
冷たいだろうに気にする様子はない。
そして、歩み続ける。


  

Posted by okina-ogi at 07:57Comments(0)書評

2022年12月16日

『一茶句集』より(山焼)

                  

Posted by okina-ogi at 12:42Comments(0)書評

2022年12月16日

『一茶句集』より(はつ雁)

                  はつ雁も泊まるや恋の軽井沢

中山道にあって軽井沢は宿があったが、閑散として現在とはほど遠い土地であった。
宿場女郎との恋もあった。
一茶には関係ないことだ。
はつ雁は、人間ということになる。
芭蕉に

一つ家に遊女も寝たり萩と月

がある。
  

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2022年12月15日

『一茶句集』より(雀の子)

                  雀の子そこのけそこのけ御馬が通る

一茶の人口に膾炙する句になっている。
この句の説明はいらないだろう。
ただ、小動物への愛が注がれている。
それは裏を返すと自愛である。
五七歳の句である。


  

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2022年12月14日

『一茶句集』より(長閑さ)

                  長閑さや浅間のけぶり昼の月

一茶は、浅間山の句を何句か作っている。
江戸と故郷を往復する旅に見る山で、火山でもあり高峰である。
山の方面に月があり、麓は長閑である。


  

Posted by okina-ogi at 08:27Comments(0)書評

2022年12月13日

『一茶句集』より(おらが春)

                  目出度さもちう位也おらが春

六十にもなると、正月を素直にお目出度いと思えなくなる。
それでも正月である。
「私の正月を迎える嬉しさは中くらいかな」。
一休禅師に

正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

と比較したくなる。


  

Posted by okina-ogi at 07:51Comments(0)書評

2022年12月12日

『一茶句集』より(小てふ)

                  大猫の尻尾でじゃらす小てふ哉

小蝶が飛んでいるが、大猫の方に行く。
猫は煩わしいのか尻尾で追い払おうとするがまた飛んでくる。
その繰り返しである。
春の長閑な情景である。


  

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