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2019年10月31日

「子規句集」より(葉鶏頭)

          うつくしき色見えそめぬ葉鶏頭


子規は、鷄頭の花が好きだった。
自宅の庭(子規庵)に植えて楽しんだ。
         鷄頭の一四五本もありぬべし
は「子規句集」入っていない。
編集した高浜虚子は、この句を評価しなかった。
逆に短歌の斎藤茂吉は評価し、今日、子規の秀句として人口に膾炙されている。
  

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2019年10月30日

「子規句集」より(萩の花)

         地に引くや雀のすがる萩の花


   雀が萩にとまっている。
その重さで萩の枝が地面についてしまいそうである。
萩と雀の組み合わせが面白い。
萩の寺である新薬師寺でこんな風景を見たような気がする。
  

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2019年10月29日

「子規句集」より{秋の山)

       信濃路やどこ迄つづく秋の山


子規は、信州まで足をのばしている。
故郷の松山と違って、山並みは高く、麓の山々の紅葉が美しい。
どこまで行っても山又山である。
  

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2019年10月28日

「子規句集」より(秋の雨)

紫陽花や青にきまりし秋の雨


紫陽花というと梅雨の時期に咲き、夏の花だと思っていたが、長く咲いているので秋になっても花をつけている。
その花の色が青だったのである。
それも秋の雨と関係があると考えたのである。
季語は秋の雨である。
  

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2019年10月27日

「子規句集」より(鳥帰る)

湖青し雪の山々鳥帰る


どこの湖だろう。
雪に覆われた山がある。
多くの渡り鳥がいて、やがて飛び去っていく。
猪苗代湖を想像した。
雪の山は、磐梯山である。
  

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2019年10月26日

「子規句集」より(秋風)

秋風や妙義の岩に雲はしる


妙義山は上毛三山の一つで、岩肌がそのまま山になっている珍しい山である。
子規も聞いてはいたがそのスケールに驚いたのに違いない。
中山道からよく見える山でもある。
子規はこの道を徒歩で旅をしたのだろうか。
秋風に雲が流されて行く風景に惹かれるところがあった
。  

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2019年10月25日

「子規句集」より(秋立つ)

   
        
       旅人や秋立つ船の最上川
       旅の秋立つや船の最上川

季節は秋、初秋の船旅である。
芭蕉の句は五月雨の最上川であったが、秋立つ頃の最上川の水量は、それほど多くはない。
私も最上川の川下りをしたことがあるが、初秋の頃だった記憶がある。
  

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2019年10月24日

「子規句集」より(露)

生きて帰れ露の命と言いながら

前書きに、「従軍の人を送る」とある
子規も従軍記者となり、結核を発症して帰国している。
戦争の悲惨さを見ているのである。
日清戦争である。
「人はただ情けあれ花の上なる露の世に」という閑吟集の言葉もある。
富国強兵、軍国主義の時代、正直な感慨を述べている子規がいる。
後年、与謝野晶子も「君死にたもうなかれ」の詩を書いた。
  

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2019年10月23日

「子規句集」より(夏野)

絶えず人いこふ夏野の石一つ

道の脇にちょうど腰掛けるのに良い石がある。
自然のベンチのように使われている。
木陰もあって絶好の休憩場所になっている。
一つだから代わる代わるして使うしかない
子規がその石に座りたかったのはわかるが座れたかはわからない。
  

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2019年10月22日

「子規句集」より(畑打つ)

      山一つこえて畑打つ翁かな
      子を負うて1人畑打つやもめ哉

畑打つは、春の土起こし。種蒔きの準備である。
子規が旅して歩く中の風景に目にとまったのは、翁でありやもめである。
生きていくための農民の姿に惹かれるものがある。
打つ田には、村上鬼城の名句がある。
      生き変わり死に変りて打つ田かな
  

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2019年10月21日

「子規句集」より(春の波)

  

       宮嶋や春の夕波うねり来る

春の宮島である。
海に浮かぶように、社が建てられている。
2度訪ねているが、神殿に浸水しないかと感じた。
大きな門は、海底に基礎を作って建っているのではないという。
そう言われても信じられない。
子規も夕波がううねり来るのを自分が海水につかるのではないかと不安を持って見ていた。
宮島には鹿もいた。拙句だが
      春鹿の唯一点を見る眼(まなこ)
  

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2019年10月20日

「子規句集」より(涼しさ)

 明治26年の夏は余ほど暑かったのだろう。
「涼しさ」を詠んだ句も40近くある。
     
        寺に寢る身の尊さよ涼しさよ

寺の天井は高く、広々として山に近いところが多い。
寺に寝かせてもらうことの感謝と涼しさは格別だというのである。
そして、涼を求めて北に向かう子規がいる。
東北へどこまでかはしらぬが鉄道がひかれていたのだろう。     
       
        みちのくへ涼みに行くや下駄はいて

下駄を履いて松島に出かける姿は明治らしい。
  

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2019年10月19日

「子規句集」より(熱さ)

犬の子の草に寢ねたる熱さ哉
 
この年の夏、子規は、50を超える季語「熱さ」の句を作っている。
たまらない暑さを詠んだ句が多い。
子犬さえも暑さに耐えかねて草の上に寝転んでいるではないか。
避暑の句があるかと見れば
      
    ぬれ足に河原をありく熱さかな
これとて避暑の句ではない。
  

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2019年10月18日

「子規句集」より(紀元節)

人の世になりても久し紀元節

紀元節は、日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日をもって定めた祝日。
明治五年に定められたというから、子規の誕生後。
神の世では、もっと久しいことになるとの皮肉も感じる。
今日では、建国記念の日になっている
。  

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2019年10月17日

「子規句集」より(埋火)



       埋火(うずみび)や夢やはかなき事許(ばかり)

 今は電化が進んで、囲炉裏や火鉢で暖をとることは少なくなった。
埋み火の傍らで暖をとっていると居眠りをすることがある。
そんな時見る夢は儚いものばかり。
  

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2019年10月16日

「子規句集」より(嫁が君)

      行燈の油なめりけり嫁が君

家の鼠は嫌われる。
特に正月三が日に現れる鼠を嫁が君という。

      猫老て鼠もとらず置炬燵
という句もある。
嫁が君が現れたのは、そのためかもしれない。
  

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2019年10月15日

「子規句集」より(御下がり)

    御下がりの雪にならぬも面白き

正月三が日に降る雨や雪。
御下がりの年は、豊作になるとも言う。
拙句に
    御下がりも亦良き朝の道すがら
どうせなら雪が良いと思うが、雨でも面白いというのである。
  

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2019年10月14日

「子規句集」より(民の春)

    民の春同胞(はらから)三千九百万

日本の人口は、現代の半分以下だった。
子規は体力さえ許せば、軍人か政治家になりたかった。
国体護持の精神があった。
    
    十万の常備軍あり国の春
という句もある。
  

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2019年10月13日

「子規句集」より(枯野)

     松杉や枯野の中の不動堂

不動堂は松や杉に囲まれているが、そのまわりは枯野である。
野中にぽつんとある不動堂は良く目立つ。
稲田の中にあってのも良い。
田舎の風景である。
  

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2019年10月11日

「子規句集」より(五月雨)

明治25年からは、俄然句が多くなる。

    五月雨やけふも上野を見てくらす

子規の家は、上野に近く、子規庵として今も当時を伝える家が残っている。
JR鶯谷駅から歩いて近い場所にある。
この句は、病床にあって詠んだ句と思っていたがそうではなかった。
当時の上野は森で木々も多かった。
五月雨が数日続いて子規は外に出られなかったのであろう。
  

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