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2021年11月30日

『蕪村俳句集』より(春雨)

                 春雨や小磯の小貝ぬるるほど

春雨は磯辺にも降っている。
それも小磯である。
そしてちいさな貝にも降っている。
小さな命にも心を注いだ句だ。
  

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2021年11月29日

『蕪村俳句集』より(春水)

                 春水や四条五条の橋の下

鴨川の春の水の流れを見ている。
四条から五条に下って見る。
蕪村は晩年京都で暮らした。
  

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2021年11月28日

『蕪村俳句集』より(朧月)

                 よき人を宿す小家や朧月


良き人は友ととってよいであろう。
家に泊まって話もはずむ。
そこに朧月が出た。
  

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2021年11月27日

『蕪村俳句集』より(うぐいす)

                 うぐいひすの啼くやちいさき口明(あい)て


蕪村は鶯の句を多く読んでいる。
平凡だが、鶯の啼き方である。
小さな口をあけて鳴くのである。
これも蕪村の観察、写生である。
  

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2021年11月26日

『蕪村俳句集』 岩波文庫 550円(税別)



与謝蕪村は、江戸中期(1716~1783)の俳人である。
書の解説に「自分の句集など出さなくてよい」というのが口癖だったが、自選句集を書き進めていた。
存命中には、出版されることはなかった。
蕪村は芭蕉を尊敬していて墓は芭蕉庵がある京都左京区の金福寺にある。
画家でもあり俗化した句を文学に戻そうとしたが、蕪村の名は存命中には広がらなかった。
世に出たのは、後世になってからである。
  

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2021年11月25日

『郷愁の詩人与謝蕪村』 萩原朔太郎著 岩波文庫 460円(税別)



与謝蕪村の評論である。
群馬県の詩人萩原朔太郎の著である。
詩人の目で蕪村の句を評論している。
著者は俳人ではない。
俳句を評価せず、読むことも少なかったが蕪村の句は例外であった。
そして好きだった。
その理由は、どこにあったか著述している。

君あしたに去りぬ
ゆうべのこころ千々に何ぞ遥かなる
君を思うて岡の辺に行きつ遊ぶ
岡の辺何ぞ悲しき

この詩の作者を隠せば、明治の新体詩の詩人の作だと思うに違いない。
蕪村には、近代的詩人の素質がある。
蕪村の俳句は

写実主義、印象主義的である。
技巧的である。
叙景派の詩人である。
客観的な詩人である。

正岡子規の写生主義の俳人という評価だけではないという主張である。
  

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2021年11月24日

『芥川竜之介俳句』より(秋立つ)

                  秋立つや金剛山に雲もなし


日本にも奈良と大阪の境に金剛山はあるが、朝鮮の金剛山だと考えられる。
朝鮮に滞在した時の句が前後にあるからだ。
古来から白頭山とも呼ばれている。
岩肌が多い山である。
  

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2021年11月23日

『芥川竜之介俳句』より(七夕)

                 七夕は高麗の女も祭るべし


七夕の行事は、中国から日本に伝わった。
高麗は、朝鮮だが、七夕を知らぬわけではないと作者は思い、祭るべしとの主張になった。
このことは、とりわけ、女性に言いたい。
  

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2021年11月22日

『芥川竜之介俳句』より(草青む)

                   草青む土手の枯草日影


前書きから、湯河原温泉で詠んだ句ということがわかる。
もう冬というより春である。
土手に枯草もあるが、やがて青草に覆われて行くだろう。
  

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2021年11月21日

『芥川竜之介俳句』より(合歓の花)

                  金身の仏おがまん合歓の花


黒ずんだ日本の古寺の仏像とは対照的に中国の仏像は、輝くような金色である。
そんな仏像にも合歓の花が情緒をかもしている。
  

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2021年11月20日

『芥川竜之介俳句』より(無季)

                  水夫らが甲板を拭う椰子の実よ海よ

中国を訪問した時の句である。
無季であり、破調の句でもある。
乗船した時の印象が詠まれている。
「椰子の実よ海よ」という言葉の響きが良い。
  

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2021年11月19日

『芥川竜之介俳句』より(春雨)

                 春雨に濡れ細りなる挿木かな


春から挿木をするのはどんな植物があるのか興味を持った。
挿木をするなら梅雨の時期だと思っていたからだ。
薔薇などは典型的な植物だ。
梅雨と言えども水を欠かさないようにする。
根の出るのを祈るような気持ちで世話をする。
  

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2021年11月18日

『芥川竜之介俳句』より(花つつじ)

                  庭先のこみちまわりぬ花つつじ


芝庭ことがよく詠まれているところから、芥川の家は庭に芝生が植えてあったことが想像できる。
そして小路があって、しかも躑躅が植えられている。
西洋文学にも深い造詣がある人物だから洋風の庭にしたのであろう。
  

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2021年11月17日

『芥川竜之介俳句』より(萱草)

                  萱草も咲いたばってん別れかな


「ばってん」と言えば九州の言葉であろう。
しかし、大分県、宮崎県、鹿児島県では、使われないようだ。
野辺に萱草の花が咲くころに分かれようと決めていたのであろうか。
  

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2021年11月16日

『芥川竜之介俳句』より(夕立)

                  夕立や我は真鶴君は鷺


前書きに「奴の扇に」と書いている。
この奴をどんな心境で見ているのだろう。
艶っぽい感じもないでもない。
夕立で少し涼しくなった扇を使って涼む。
真鶴の絵柄の扇である。
  

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2021年11月15日

『芥川竜之介俳句』より(茂り)

                    昼中は枝の曲がれる茂りかな

暑い夏の陽である。
大気も揺れて、木の枝が曲がって見える。
温度の上がる昼中はそんな風景になっている。
芥川に暑さの句は多い。
  

Posted by okina-ogi at 07:32Comments(0)書評

2021年11月14日

『芥川竜之介俳句』より(ひなげし)

                 ひな芥子は花びら乾き茎よわし


ひなげしの花も満開を過ぎて、勢いがなく乾いているように見える。
そして茎も弱弱しく揺れている。
群れて咲き誇った時の面影はない。
  

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2021年11月13日

『富岡日記』 和田英 ちくま文庫 680円(税別)



これが4度目の富岡製糸場の訪問になった。
高校時代からの友人の運転で、彼もひとからならぬ富岡製糸場への思い入れがある。
今、NHKで渋沢栄一を描いたドラマが放映されている。
渋沢も富岡製糸場の建設に深く関わっているが、最初の工場長になったのが渋沢のいとこで尾高淳忠という人である。
漢学を学び、渋沢にとっては師でもある。
末裔に群響の指揮者となった、尾高忠明がいる。

最初は官営であったが日本の殖産の先頭に立ったような役割を果たした。
いつもは、建造物に目がゆくが、ここで働いた女性たちに興味を持った。
展示室の中に図書コーナーがあってこの本が置かれていた。
著者和田英さんの回想録のようになっているが、創設当時の富岡製糸場の様子が良く描かれている。
そして、著者の心境も
目に留まったのは、工場長の高邁な人格であった。
そして、高額で雇われたといえフランス技師たちの配慮である。
休みは毎週日曜日、途中に休憩時間があり、工場内には太陽光が差し込んでいた。
お盆や正月には休みをもらえた。
『女工哀史』にはほど遠い労働環境であった。
15歳から25歳ほどの女性たちには辛い労働であったであろうが、技術を身に着け郷土に帰り指導者になっていった。
和田英さんは長野松代藩士の娘。
「武士の娘」である。
全国各地から富岡製糸に入場したのは、武士階級の女性が多かった。
訪問の折には是非手に取ってお読みいただきたい本である。
  

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2021年11月13日

『芥川竜之介俳句』より(暑さ)

                 竹の根の土に跨る暑さかな

竹の根が地上に出て、又地に戻る。
そして先に伸びてゆく。
その様子を地をまたがるといったのである。
地上に出た竹の根を見て夏の暑さを感じた。
  

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2021年11月12日

『芥川竜之介俳句』より(あやめ)

                  盃中花さきに咲いたはあやめかな


盃中花とは花の種類ではない。
花を盃に入れたりコップに入れて花を愛でること。
江戸時代、中国から伝わったと解説書にある。
あやめのような大きい花を盃中花にするのは珍しい。
  

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