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2015年04月30日

法律門外漢のたわごと(人事考課)

組織にとって人事考課ほど難しいものはないのだろう。しかし、大事なことには違いない。人が人を評価することの困難さは、評価する人の主観が入るからである。昔、人事に関係した部署にいたので人事考課のあり方を考えたことがあったが、決定的な考えには至らなかった。銀行に勤めている友人に聞いてみたことがある。「銀行の人事はどうしてる」返ってきた答えは「好き嫌いだんベえ」。痛く納得した。県の監査があった時、この話を県の職員にしたら否定しなかった。
事務方としては、二つのことに注意した。評価される職員に関する個人的な見解を述べないこと。職務評価のような詳細なデータは、職場にその慣習がないので提供できないから、勤務年数、年齢、役職履歴、給与だけを役員に提供することにした。決定は、役員会で決めるのは当然である。
それでも、「なぜあの人が」という声が出る。しかし、致し方ない部分もある。人事権がある人が決めているのだから。長い年月働いていれば、その仕事ぶりは周囲に伝わるもので、評価を気にして仕事をすることは本質的なことではない。人望というものは、伝わるものである。讒言と諫言という言葉は似て非なるものである。北朝鮮のような国ならともかく、上司に言いにくいことを提言してくる職員の声には耳を傾けたい。イエスマンだけが評価されるようになったら、組織にとって不幸なことになる。「お気に入り」もよろしくない。
人事考課の用語で「ハロー効果」というのがある。光背効果ともいう。後光に騙されてはいけない。人は多面的に捉える必要がある。
  

Posted by okina-ogi at 12:58Comments(0)日常・雑感

2015年04月29日

『はじめて楽しむ万葉集』 上野誠著 角川ソフィア文庫 705円(税別)




群馬県立土屋文明記念文学館の企画展に置かれていたので購入した。著者は、この企画展に関わっている。奈良大学の文学部の教授で、万葉集に詳しい。本の帯には、NHKの「100分de名著で話題!」と紹介されている。100首近くの歌を解説しているが、男女の恋の歌が多い。解説も分かりやすくて面白い。
赤裸々に恋の感情を歌に詠んでいると思っていたら、意外や人の目や噂を気にしている。大和乙女の恋心というか、恥じらいもあり、彼氏を待ちわびる健気さもある。逆に皮肉たっぷりにやり返す歌もあって、当時もいろいろの男女関係があったことは、当然と言えば当然。
「君待つと我が恋ひ居れば我が屋戸の簾動かし秋の風吹く」
額田王が天智天皇を思い作った歌。秀歌だと思う。
書斎に万葉集関係の本が久しく読まずに置かれているが、少しずつ読むようにしたい。そう思わせてくれた本である。
  

Posted by okina-ogi at 12:46Comments(0)書評

2015年04月28日

企画展「歌の古代を探る」―万葉集・土屋文明・東国文化―




群馬県立土屋文明文学記念館で企画展が開催されている。第88回の企画展で、100回も近い。土屋文明の常設展示があり、文明をとりあげる企画は久しくなかった気がする。万葉集は、雄略天皇の御製から始まり、約4500首の歌が収録されている。高貴な人から庶民まで、飛鳥から平城京に都があった時代のものである。土屋文明は、文献を調べ、ゆかりの地を訪ね、万葉集の私註を著した。長い年月をかけた大作である。その解説を展示で見たが、かなり辛辣な批評になっている。近代的自我の持ち主文明の目から見た万葉集である。
万葉集には植物が多く登場する。文明も植物に関心が強かった。一家に後ろめたいことがあって、学校には下を向きながら通ったというエピソードある。自然と草花に目がいったという。宮澤正樹さんの写真とともに万葉集の植物の歌が紹介されている。展示室でひときわ目を惹くのは、当時の衣装が再現されており、実に美しい。高松塚古墳の壁画も参考にして山口千代子さんが作成したものである。対照的に庶民は、麻でできていて、いかにも貧しい感じである。
隣室には、群馬ゆかりの俳人が紹介されている。その三人の一人に松野自得がいた。このお弟子の秋池百峰さんに俳句の手ほどきを受けたから、孫弟子になる。
風吹けば風から生まれ赤とんぼ 自得
散る花の地蔵は全て見てござる 悦雄
秋池先生が選んでくれた句であるが、添削もあった気がする。どことなく、松野自得に類似する感じがある。松野自得は、僧侶であり美大に学び絵も描けた。竹久夢二とも親交があった。
夢二の碑に氷湖がきしむ音よせて 悦雄
という句は、先生に大変褒められた記憶がある。
村上鬼城も紹介されている。
「生きかわり死にかわりして打つ田かな」
の短冊も展示されている。もう一人、長谷川零余子は初めて知る人物である。
  

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2015年04月23日

『この世この生』 上田三四二著 新潮文庫

上野の東京国立博物館の特別企画展で、鳥獣戯画が展示される。それに伴い、京都栂尾高山寺のゆかりの品も展示される。高山寺と言えば、明恵上人である。紅葉がまだ早い季節、男一人で訪ねたことがあった。傘の用意もなく雨に濡れた記憶が残っている。しかたなく、神護寺で雨宿りした。
河合隼雄や白洲正子の著書に導かれ明恵上人を偲ぶことができたが、他に明恵上人に触れている作家はいないかと探していたらこの本に目が留った。4人の僧をとりあげている。西行、良寛、明恵、道元である。4人とも心惹かれる人物である。人物の紹介も為されているが、著者の死生観を語っている。上田三四二は京都帝国大学の医学部を卒業し、医師になった人だが、2度大病して死を見つめるようになった。
明恵は「顕夢明恵」というタイトルで紹介されている。長い年月、自分の見た夢を書き綴ったことで知られている。心理学者の河合隼雄はこの点に着目した。上田三四二は、歌人でもある。「あかあかやあかあかやあかあかやあかあかやあかあかや月」という明恵上人の歌をとりあげ、明恵上人は自然詩人であるといっている。
上田三四二の死生観だが、吉田兼好の死後の世界を意識しない生き方に共感しているようだが、西行をとりあげ比較しているところを読むとそれほど断定的なものではないようだ。病気をすれば死を意識するのも当然だが、『病状六尺』を書いた正岡子規の言葉を思い出した。「悟りというのは、いかなる場合にも平気で死ねることかと思ったが、悟りとは、いかなる場合にも、平気で生きていることであった」
  

Posted by okina-ogi at 11:58Comments(0)書評

2015年04月13日

目に見えぬ神にむかいて恥じざるは人の心の誠なりけり


これは、明治天皇の御製ではなかったかと思う。昭和天皇も良い御歌を御作りになっている。決して皇国主義者ではないが、為政者ではなく国民の象徴としての立場であっても、陛下の御言葉、行為というものは国民から畏敬の念を寄せることはあっても、批判されるものではない。否定するとすれば、イデオロギーと言うことになるのでしょう。
 最近、神社やお寺に被害を与えるような行為がなされているようだ。何の動機かわからないが、日本人ならこうした行為はしないと思う。自分のご先祖を冒涜することになるからです。犯人は一人ではないと思う。何か政治的な、行為に見えてくる。
 イスラム社会でも、癌のような政治集団が文化財を破壊している。しかも自分のご先祖のようなものを。なぜこのようなことができるのかと考えてみた。自己否定ですね。歴史文化と言うのは継承されているのであって、知(イデオロギー)ではなく情(想い)に比重があります。つぶやきですが、安部政権に対する抗議?
  

Posted by okina-ogi at 22:28Comments(0)日常・雑感

2015年04月11日

イルカの打ち上げ

茨城県の海岸に160頭のイルカが打ち上げられ、懸命な救助が行われているという報道を見た。どうしてこのようなことになったのか?大震災の前触れだというインターネットの書き込みもあった。
イルカは、哺乳類であり、捕獲は欧米などでは反対する声が多い。和歌山県では古くからイルカ漁を続けており、その対応に苦慮しているようだ。昔、清水漁港の近くの魚屋さんでイルカの肉を買った記憶があるが、固くてそれほど美味しいという記憶は残っていない。
金子みすずの生誕地ということで有名になった山口県の仙崎という所では、昔からクジラ漁が行われていた。捕獲したクジラの胎内に子供がいると、戒名を付けて慰霊したという。今回も打ち上げられたイルカをしめしめと解体して売ってしまおうなどと考えそうな国と日本は違う。幕末、アメリカが日本に開港を迫ったのは理由の一つには捕鯨船のためであった。クジラの肉は捨て、油だけを本国に持ち帰っていた。冷凍技術ない時代、肉を持ち帰ることはできないにしても、なんと生き物に対して無慈悲なことか。
  

Posted by okina-ogi at 11:43Comments(0)日常・雑感

2015年04月08日

おもてなし(2015年4月)

 春雨忌という集いがある。聞けば、今年で三六回になるという。故岡潔の供養の集まりである。岡潔は、昭和五三年の三月一日に他界している。世界的数学者として文化勲章も受章している。晩年は、数学の研究から離れ、心の世界を追求し、人がどのように生きれば人類が幸福になれるかを、命を削るようにして著述や講演で訴え続けた。訪ねて来る人には拒まず対面して話した。
 死後も、その深い思想に惹かれるようにして、有志が集まりを持つようになった。岡潔には、住み込みで日常を共にする書生ともいうべき人がいた。話を聞くところによれば、当初は、この人達が事務局になって春雨忌の案内を出し、集いの裏方を務めていた。ただ、会場を提供したのは次女夫婦であった。遠方の訪問者を泊め、手造りの食事まで用意して、父親の想いを身を持って伝えた。
「花燃ゆ」では、松下村塾が登場しているが、まさに塾のようである。長年、この会に参加して思うことは、共に学ぶという姿勢である。師は、亡き岡潔である。幸運なことに多くの著作が残っており、京都産業大学の講義のテープも残っている。集う人の自覚が深まるように互いに語り合い、自分の心の向上計るよう再会を約して別れた。一口に三六回と言っても大変な時間が流れている。加えて会を支えた次女夫婦、そしてご子息のご苦労は大変なものである。最近使われる「おもてなし」と言う言葉でも表現しきれない。見返りを求めることが、一切ないからである。「自分を後にして他人を先にせよ」というのは岡潔の教えであり、大変さを岡潔の遺族は微塵も見せない。頭が下がる。そのことに報いるためには、師の言葉を借りれば自分の識を高めることである。それだけには留まらず、菩薩のように狭くても自分の周りの人々やご縁のある人に情を寄せることである。世のためなどということでなくても、一隅を照らせば良いのであって、仏教の言葉を借りれば「衆善奉行」と考えるようになった。
 今年の正月、春雨忌で親しくなった友人が亡くなった。伝え聞くところによると、元旦子供達と団欒の後、忽然として世を去ったのである。人の世の無常を感じる。会津八一の歌が好きな人でいつも『鹿鳴集』を持参していた。彼を偲び、この本を持参し、春雨が柔らかく降り注ぐ、春日大社あたりを朝早く起きて一人散策した。
 春霞 禰宜の中道 ひとり行く
新薬師寺の狭い脇道を抜け、春日大社の参道に抜ける道がある。全くの山道で、原始林のような森になっている。木の標識があって、「禰宜の中道」と書かれてあった。途中人に出会うこともなく、雀らしき鳥の鳴き声だけである。春日大社の社殿に近い場所に出る。今年は二〇年に一度となる式年造替の年にあたっている。伊勢神宮のように新たな場所に社殿を立て替えるわけではない。社殿の大修理が行われるのである。来春、社殿を参拝することにして、奈良公園に向かう。
 参道の脇にしばし腰掛け『鹿鳴集』を開く。会津八一も季節季節にこのあたりを歩き、万葉を彷彿させる歌を詠んでいる。春の歌を二首揚げる。
 たびびと の め に いたき まで みどり なる
 ついぢ の ひま の なばたけ の いろ
高畑にてと前書きがあるが、このあたりには築き地塀が多い。崩れた塀の間から見える菜の花に目がとまった。
 ならざか の いし の ほとけ のおとがひ に
 こさめ ながるる はる は き に けり
奈良盆地の北に、奈良坂がある。ここからは、大仏殿が良く見える。その坂道の登り口に「夕日地蔵」という石像がある。
 バス通りに出る手前に広々とした草原のような場所があり、飛火野と言って多くの鹿がいる。高円山や春日山が背後に見えるが、春霞で見えない。若いカップルが鹿の間をぬって鹿苑の方向に歩いて行く後ろ姿が霧に隠れて行くように見えた。鹿は、見向きもせず草を食べている。
 春鹿や ゆくりゆくりと 草を食む


一時間程の散策だったが、宿泊させていただいた次女宅に戻ると朝餉の用意ができている。ありがたい限りである。食後、京都産業大学での岡先生の講義を録音テープで前日の宿泊者と、昼の食事会、午後の墓参に参加する人達と拝聴した。内容は難解だが、ただただ肉声が懐かしい。
 
 三日目の朝、有志で古市古墳群を見にゆく。こちらは事務局の計らいである。会費を集め、添乗員のように電車の切符の手配、食事場所の世話までしてくれる。事前に下見もしている。これまた無償の「おもてなし」である。
 近鉄奈良駅から西大寺で乗り換え、橿原神宮駅で再度乗り換えて古市で下車。この近くに古墳群が集中している。代表的な古墳が応神天皇陵である。大きさは仁徳天皇陵に次ぐ。周囲は、住宅になっている。全体像は見られない。誉田八幡宮を参拝して、応神天皇陵の拝所まで歩いて行く。誉田八幡宮の境内にある桜は古木だが満開である。拝所から見る陵の森は、小山のようになって別世界である。こうした形で、町の中に自然が残されていることも意味がある。応神天皇は、実在した天皇とされる。一五代の天皇で神功皇后の皇子である。中国の書物から年代が推測できると言う。四世紀の後半のことで、大陸の文化が日本にもたらされた時代であった。
 次の古墳に向かう。距離があるのでタクシーになった。搭載されているナビを見ると大小の古墳が点在していることがわかる。白鳥陵は日本武尊の陵とされている。東征を終えて大和に帰る途中病を得て三重の地で亡くなるが、魂は白鳥となってこの地にたどり着いたとされる。そして最後は天上に昇って行った。そのことから、羽曳野という地名が生まれたのだという。


 応神天皇陵のある古市古墳群と仁徳天皇陵のある百舌鳥古墳群は、世界文化遺産への登録を目指している。既に登録されていると思っていたので意外な感じがした。

  

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2015年04月02日

老害と老咳

幕末にはコレラや結核が流行して多くの人が命を落としたと言われている。政治運動に身を投じた若者も例外ではない。奇兵隊の創設者、高杉晋作もしかり。新選組の剣豪、沖田総司もしかり。当時は、老咳といってその原因もわからなかった。静養し、栄養価の高い食べ物を食して体力を回復するしかなかった。伝染性の病気ということも知られていなかったので、感染者が増えた。結核菌の発見は、明治になってからで、治療法が確立し、治癒する病気になったのは戦後のことである。
 老害は、病気ではない。高齢者の人格的尊厳を傷つけないように配慮しなければならないので慎重な言い回しをする必要がある。生涯現役という言葉があるように、心身ともに健康で定年もなく労働できることは、素晴らしいが、能力の低下による職務遂行能力の限界はある。スポーツ選手は、結果がはっきりしているので引退の時期は必ずくる。そこで思い出すのは、勝海舟の言葉である。「毀誉は他人の主張、行蔵は我にあり」。出処進退は、自分で決める。職責を果たせないと思えば仕事を辞める。老害の汚名を受ける前に。
  

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2015年04月01日

『大愚良寛』 相馬御風著  考古堂 




良寛研究者としても知られている相馬御風が大正7年に出版した本の復刻版である。新著で購入すると5000円程の大著である。古本で購入したが、それでも3000円近い。半分ほど読んでみたが、味わい深い。今まで知らなかった良寛の側面をうかがい知ることができる。文体も現代とは違い読みにくくはあるが、最近夏目漱石全集を読み始めたためかあまり抵抗がなく済んでいる。江戸時代の参考文献も登場するが、渡辺秀央氏の校注があり助かっている。
良寛の生家があった出雲崎には、良寛の記念館があるが2度訪ねたことがある。友人と佐渡旅行に行った折、彼を記念館に案内しようとしたら
「記念館なんぞには行かん。人は歌や文字で判断したらよろし」
ということだった。その彼の言葉をこの本を読みながらかみしめている。歳を重ねるほど良寛の偉大さが感じられてくるが、この本は良寛が書いたものではない。相馬御風の人物像を先ずは思い浮かべなければならないだろう。華々しく都会でデビューした相馬御風が30代で田舎に籠って良寛を研究した思いはいかばかりかと考えて見るべきである。
  

Posted by okina-ogi at 09:06Comments(0)書評