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2014年08月29日

社会保険労務士試験

今年も、夏の上記試験がやってきた。50代から仕事の合間に、自己流の勉強方法で、チャレンジしてきたが、合格には至っていない。ここ数年は、頂上も視野に入り、なんとか登れそうな気がしてきた。同じ山に登るのだから、登山に慣れてきたということもできる。頭が慣れて来たのか、違和感がなくなったような気もしてきた。今年の試験は、いやに満足感があった。ひょっとするとひょっとするかもしれない。解答予想をしばらく見ずに、その気分にしたっていたが、結果は、昨年並み。詳細に調べていくと、思い違いや、ちょっとした記憶違いが多い。合格の可能性は充分あった。前夜、友人からの励ましの電話をいただき、晩酌の酒量がいつもより多くなったからも知れないと、へんな言い訳も後の祭である。株も投資しない限り実りは生まれない。基本に立ち戻り、初学者の安価な通信講座受けて見ることにしようと思う。
言い訳の最たるものだと思うが、もともとこの資格のような実務的なものは苦手で肌にあっていない。保険や、法律ときているから尚更だ。違和感が少なくなったとはいえ、好きになったわけではない。嫌いだったものが好きになるということほど大変なことはない。修行のようなものだと考えても良い。「求道者」と揶揄されているが、まんざら間違った指摘ではない。
  

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2014年08月23日

住宅資金贈与の優遇拡大

8月23日の日本経済新聞の一面にこのタイトルの記事があった。住宅取得に対する資金を子供や孫に贈与した場合の非課税枠が広がるという内容。国土交通省が案を出している。成立したわけではない。住宅は、大きな消費であるから、経済効果はあるのは分る。相続税の改正があり、基礎控除が5000万円から3000万円になることが予定されているので、相続税を払う可能性のある人には関心のある記事である。
相続税に詳しいわけではないので、よくわからないのだが、いざ相続が発生した場合、この非課税分は、どのような扱いになるのだろうか。基礎控除や法定相続人一人600万円という条件がかわるのだろうか。そうだとすると、家を建てたことが、単純に相続税対策になるのか疑問である。親の名義で建て、相続時に相続資産となる場合との違いを考えておきたい。農地を転用して、宅地にして新築した場合資金は減るがかえって、不動産価値が上がり、贈与税が増えるというようなことはないか。このあたりのことは、専門家の意見を聞いておく必要がある。
  

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2014年08月22日

健大高崎健闘

準々決勝に進んだ健康福祉大学高崎高校が大阪桐蔭高校に敗北した。あのユニークな校歌を再度聞くことができなくなった。4回戦って3勝1敗だから立派な成績である。しかも、相手校は優勝候補である。ヒットの数もほぼ同じ。しかも盗塁数は、上回っていた。それにしても、塁に出ると良く走るチームである。得点の仕方も爽やかさがあった。群馬県のチームだけあって、競走馬ではないが走ることに特徴があって、良いチームである。月並みではあるが、よく健闘してくれました。  

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2014年08月18日

教育の原点、塾




『日本に今一番必要な男黒田官兵衛』原口泉著を購入して読んでいたら、著者が編集したコンパクトな歴史小冊子を発見。『松蔭の夢、松下村塾の魂』。図入り、写真、絵もあって読みやすい。来年の大河ドラマは、松蔭の妹が主役である。予習のつもりもある。今日、義務教育から始まり、大学まで学校が教育の場であるが、松蔭の生きた幕末には、寺子屋や、塾があった。教えたいという人がいて学びたい人が集まった。学ぶための密度は極めて高い。緒方洪庵が大阪に開設した適塾からは、福澤諭吉や大村益次郎といった有為な人材を輩出しているが、医学や、西洋文化を基礎にしているが、松下村塾は、特異で、師である吉田松陰の人柄、魂が入門した弟子に伝えられた。しかも、師と弟子は対等で、共に学んだ。吉田松陰は、安政の大獄で刑死するが、牢にあっても学び、囚人同士でも学びあった人である。
春雨村塾というのがある。師は、30年以上前に他界し、いない。しかし、死の直前まで学生に講義したテープが残り、それを活字にして学んでいる。人として心の在り方が、テーマになっていて、私自身も塾生の一人に加えさせていただいている。生業のために学んでいるわけではない。宗教とも違う。進学塾なども世の中に多いが、塾は、教育の原点を考えさせる。師とは、数学者の岡潔である。平成30年には、郷土和歌山県橋本市に記念館がオープンする予定である。
  

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2014年08月14日

山本五十六記念館訪問記

山本五十六は、明治十七年に生まれた。父は貞吉、母は峯である。山本五十六の名は、父貞吉五十六歳の時の子であることに由来する。父貞吉は養子として高野家を継いだので、山本五十六は、高野五十六として生まれた。
貞吉は高野家の娘峯の姉である美保、美佐とも婚姻し、美佐との間にも子供をもうけている。そのため、美佐との間に生まれた長男は、五十六の甥でありながらも八歳も年長であった。この時代、家の相続が重要であり、こうした今からすれば不思議な姻戚関係が生まれたのである。
山本五十六の生家は、長岡駅に近い。古びた生家は、保存されていて、敷地は公園になっている。軍服姿の胸像は黒く重厚な雰囲気があり、生家を見つめているようである。台座もりっぱで人の背丈を越える高さがある。背後には四本のヒマラヤスギが植えられている。山本五十六記念公園から歩いて数分の場所に、平成十一年に開館した山本五十六記念館がある。一見すると民家のように見える。
会館に入ると中央に置かれた翼の残骸がまず眼に写る。ブーゲンビル島で撃墜された一式陸攻の翼である。日の丸は褪せているが、その朱は色を失っていない。搭乗していた山本長官の座席も展示されている。はるか南洋の島からこの地に運んできた山本記念館設立の委員の想いが伝わってくる。
近代戦争にあって、一国の海軍の最高司令官が戦場において死ぬということはまずもってない。イギリスのネルソン提督が、スペインの無敵艦隊との戦い中で死に、英雄となった時代とは違う。思えば、あれほど戦争に反対した山本五十六は、いざ開戦になったとき、一切は武人にもどり、生きて帰ることはないと覚悟していたふしがある。このあたりは、河井継之助の心境と同じである。
山本五十六の揮毫した掛軸があり、その書は見事である。
国雖大好戦必亡 天下雖安亡戦必危
中国の兵法書からとっている。大意は
「大国であっても力が強くそのいきおいにつられて、好んで戦争することは、国家の滅亡につながる。一方、平和の中に安住していても、国が危ういときは国を救おうとする気概がなければこれもまた国家の滅亡にいたる」
人類はいつも戦う宿命にあるということを言っているのではない。言葉を変えれば、人生順調にいっているときは過信せず謙虚になれ。また平穏な日々にも命がけで生きようとする気概をもっておけ。という意味にとった。〝常在戦場〟まさしく長岡藩の家風である。また隣には、明治天皇の御製を書にして
ときおそきたがいはあれど貫かぬ 
こと無きものは誠なりけり 
と書き記している。
「誠」という言葉ほど日本人をひきつける言葉はない。ただこれほど実行し難きものもない。明治天皇の御製で誠について詠んだものに
目に見えぬ神にむかいて恥ざるは 人の心の誠なりけり
武士の世では「忠」という言葉が「誠」を表していたと言っても良いが、封建時代でなければ成立しないかもしれない。四民平等、民主主義の時代になると、忠義を何に向って果たすかの対象がはっきりしない。むしろ主が自分になっているのが現代である。
高野家は、古くから儒者の家系である。儒教の始祖孔子は、目上を敬い、父母に仕えその愛を尊ぶことを教えた。近年になって自我や、自己が確立すると「誠」をつくすべき対象は何かということになる。ともあれ、山本五十六という人は誠という言葉が好きで、それを生涯かけて実行した人に思える。
長男義正氏の『父山本五十六』を記念館で買って読む。通読して思う事はただ一つ
〝優しい〟人だなあということである。
〝黒い手帳〟という章がある。毎朝父五十六は一人ぼんやりと時を過ごすことがあった。黒い手帳をめくっていたのである。そこには亡き部下のことがしるされていて、郷里の住所まで書かれている。部下のことをこれほど想うリーダーはまれである。病床を見舞い、時には墓前や遺族の前で涙する山本五十六のことを息子義正氏は綴っている。軍の最高司令官のこの優しさはどこからくるのか。
山本五十六は、日露戦争に従軍する。日本海海戦のとき軍艦日進の伝令役となった。二十二歳の少尉候補生で、日進は殿(しんがり)軍艦のため敵弾を集中的に浴びた。日進の艦橋で炸裂した砲弾の破片により、左手の人差し指と中指を失った。加えて右腿の肉を赤ん坊の頭ほどえぐりとられた。生死にかかわる重傷であった。もし左手の指をもう一本失っていれば軍にとどまることはできなかった。〝廃兵〟という屈辱的な身分となり現役を去らなければならなかったのである。療養中にも左手の傷口から入った黴菌のため腕を切断する危機もあった。
この体験が、山本五十六の人格形成におおいに影響を与えたとみて良い。
「天は我に新しい生命を授け、軍人としてもう一度国のために尽力するように命じられた」という自覚を持った。「死」は天命であると。
部下には妻が寡婦になることを考え結婚を勧めなかった山本五十六は、三十代半ばにして結婚する。妻になった人は三橋礼子といって会津藩士の娘であった。このとき、山本は、自分の体の事を包み隠さず身上書をもって親族や見合いの相手に伝えたという。礼子が後年息子に語ったことは
「あの人は自分の欠点ばかり書いて長所らしい点は何も書いていなかった」ということである。
肉体に負った傷の他に山本五十六には心の傷があった。山本五十六と長兄の間には三十二歳の年齢差があった。長兄譲の子、甥力(ちから)は五十六よりも十歳の年長であった。大変な秀才で未来を嘱望されていたが、二十四歳で夭折する。父貞吉は力に高野家の再興をかけていたのである。
貞吉の落胆は大きく十四歳であった五十六少年に向って
「おまえは高野家にとってどうでもいい存在だ。力に替わっておまえが死んでくれたらよかった」
この言葉は生涯山本五十六の心に深く刺さってとれなかった。心と体に大きな傷を持ちそれを自分の十字架として負ったことが山本五十六の心の優しさと無縁ではなかったであろう。彼は三十になった頃、姓を高野から山本に改めた。長岡藩で家老職を務めていた山本家を継いだ。養父は山本帯刀である。北越戦争では河井継之助の率いる軍の大隊長となった人であるが、捕らえられ斬首された。二十四歳であった。その人物を知った政府軍には助命しようという声もあったが
「藩主は自分に降伏せよとは言わなかった」
としてそれを拒んだ。市内長興寺に山本五十六の墓と並んで眠っている。
山本家も高野家も儒者の家柄であった。「誠」「忠」は武人の目指す気高い心ではあるが、山本五十六には庶民的な気さくさと人間臭さがあった。情にもろいことは悪いことではない。また数学が得意で合理主義のところもあり、近代海戦に航空兵力の価値を見出し、実戦して見せた人である。
米英と戦うべからずと三国同盟に反対した山本五十六を右翼の人間がその弱腰を批判した時
「大和魂は不敗だというが、アメリカにはアメリカ魂がある。それにアメリカの煙突の数は日本と比べものにならない」
といって追い返したことがある。
教条主義、観念主義、全体主義、絶対価値論者、学者肌こうした言葉と無縁なのが山本五十六であると思う。そして良きリーダーの典型ではなかろうか。山本五十六連合艦隊司令長官の下で戦った人々は幸せだったかもしれない。
「やってみせ、させてみて、言って聞かせ、褒めてやらねば人は動かじ」
陣頭指揮、思いやり、豊富な知識。あまりにも有名な言葉である。最後は南洋の島ブーゲンビル島の上空で死んで見せたのである。こうしたリーダーのためなら死んでもよいというのが部下の心理である。ただ地位や権限で強制し、自分は常に後方で指揮をとるようなリーダーには心の底から部下は身を任せるようなことはない。
長岡の街は、雄大な信濃川が流れ、良寛や貞心尼のゆかりの史跡があったり、与謝野鉄幹、晶子夫妻が愛した自然豊かな地であるが、今回の旅ではあまりにも山本五十六元帥への意識が大きかった。
長岡の夏の花火は有名である。一週間後の八月二日と三日がその日である。その日は自分の誕生日でもある。いつかその日に訪ねることがあるかもしれない。その時は、今回果たせなかった元帥の墓前に花束を手向けたいと思っている。
  

Posted by okina-ogi at 13:58Comments(0)旅行記

2014年08月14日

『日本に今一番必要な男黒田官兵衛』原口泉著



『日本に今一番必要な男黒田官兵衛』原口泉著 幻冬社 1000円+税
鹿児島県に住む、FBの友人でもある古瀬徹さんが紹介してくれた本である。著者も鹿児島に住み、二人は交流がある。現在、鹿児島県立図書館の館長である。本を手にして、この方の本を読んだことを思い出した。『龍馬を超えた男小松帯刀』である。大河ドラマ『龍馬伝』の年に読んだのだろう。今回も『軍師黒田官兵衛』の大河ドラマが放送されていることと無関係ではない。著者は、大河ドラマと縁が深く、時代考証でいくつかの作品に関与したことがあるらしい。『篤姫』がそうである。薩摩藩のお姫様だから、鹿児島県在住の著者には思い入れが強い。戦国大名の中で、島津義久を個人的に取り上げてほしいと著者は考えている。大河ドラマになる前に、原口氏の執筆で島津義久を紹介してほしい。
この本で描かれる黒田官兵衛は、大筋既に出版されている黒田官兵衛像に重なっているが、タイトルの〝日本に今一番必要な男〟というところが、著者の視点になっている。それは、黒田官兵衛が「知」の人だけでなく「情」の人でもあったという点であり、そのバランスこそ今の日本人に求められるということ。もう一つの視点は、情報の収集と分析の能力である。そして、新たな発見は、領民を大切にした事実である。「神や主君の罰よりも臣下・百姓の罰を恐れよ」である。黒田官兵衛は、クリスチャンになったことがある。
  

Posted by okina-ogi at 09:09Comments(0)書評

2014年08月13日

『山本五十六の真実』



8月11日のNHKBS-1でこの番組を見た。山本五十六と海軍兵学校の同期であった堀悌吉に宛てた山本五十六の手紙が公開され、開戦前の山本五十六の心情が赤裸々に綴られていた。堀悌吉は、山本五十六の無二の親友で、海軍兵学校の席次も首席で中将までなったが、50代で予備役になった不遇の提督と言われている。堀悌吉の紹介もあり、彼は大分県の人である。山本は、書簡を送るだけでなく遠路、大分まで堀を訪ねている。堀は、海軍軍人でありながら、戦争は悪だと考えていた。あくまで、軍備は抑止力であり、戦争は避けなければならないという考えの持ち主であった。最後まで、日米開戦に反対であった山本五十六のよき理解者であった。
真珠湾攻撃は、山本五十六の発案であり、堀に打ち明けているが、最高機密だと記していた。そのなかで、表現は違うが、相手と刺し違える覚悟だとも書いている。持久戦なら日本の戦争の勝利はなく、初戦で大打撃を与えなければならないと考えていたようだ。信長が今川義元に対して勝利した桶狭間の戦いを連想する。
  

Posted by okina-ogi at 07:12Comments(0)日常・雑感

2014年08月12日

『トラ・トラ・トラ』

終戦記念日が近づいている、8月9日、BS―TBSで『トラ・トラ・トラ』が放送された。日米合作の映画だが、上映されたのは1970年だという。高校生だったから、映画館では見ていない。テレビで何度も放送されているから、それを見たのだろうと思う。映画や戦記ものに関心が強い、友人が近所に住んでいて、しかもBSが見られないことを知っていたので、お誘いした。彼は、『トラ・トラ・トラ』の本を持参した。著者は、アメリカ人である。原作があったことも知らなかった。
映画に登場する人物は、鬼籍に入った人が多く懐かしい顔ぶれである。戦闘場面は、迫力があり、40年以上前に良くこんな映像が撮れたと感心した。アメリカの映画会社の資金力があったからであろう。それは、ともあれ、著者のまえがきには、「日本とアメリカがふたたび戦火を交えることがないように・・・・」と書かれている。著者は、ゴードン・W・プランゲという元海軍少佐である。
  

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2014年08月09日

地政学リスク

最近、新聞の経済紙面を見るとこの言葉が良く使われている。日銀の黒田総裁も発言の中にこの言葉を使っていた。ある特定の地域に紛争が起き、経済に悪影響を与えるのではないかという危惧である。ウクライナ情勢は、国内だけではなく、ロシアと欧米との経済摩擦や外交上の不協和音を生じている。これが拡大されれば、国際経済に悪影響を与えることは、必死である。
中近東に目を向ければ、イスラエルとガザ地区の紛争がエスカレートしている。アラブ側が不利で、日増しに民間人の死者が増えている。シリアは、相変わらず内戦状態で、都市が破壊され、死者も増えている。アメリカ軍が撤退したイラクでも反政府側が勢いを増し、オバマ大統領が空爆を実施すると発言すると一気に株価が下落した。
それなりの事情があれ、人類は争いをやめない。近年の紛争を見ると、経済的な事情が背景にあるにしても、民族間の考え方、とりわけ原理主義的な思想が、協調を難しくしていると感じる。
パレスチナ問題として、渦中の国イスラエルは、ユダヤ教の国である。キリストの死後、ローマ帝国に支配されていた、ユダヤ人が反乱を起こしたことがあった。ヨセフスという人が『ユダヤ戦記』という本を著している。勝ち目のない戦いであったが10年近く続いた戦乱であった。詳細は忘れたが、指揮官が投降する状況になった時、自決しようということになった。ところが、ユダヤ教の神は、自殺を認めていない。そこで、くじ引きで順番に相手を殺すことになった。そして、最後にヨセフスともう一人の指揮官が残った。そして二人は、相談して生きる道を選んだ。卑怯という言葉もあるが、無益な戦いや死をやめる決断だった。矛を収めることも勇気がいる。
  

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2014年08月06日

書斎の分散

一人暮らしを前提とした、高齢者の住まいには、読書好きといっても作家ならともかく、書斎はいらない。なるべく家をコンパクトにするためには、本を分散すれば良いのではないかと考えるようになった。一つは、客間(和室の一面)、一つは居間の一部、一つは寝室といったように。あえて書斎とするならば、和室に広縁を設けてその端にデスクをおくようにしたら良いと思う。座右の書というものがあれば、寝室に置けばよい。そして、不要な本は生きているうちに処分することだ。  

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