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2017年04月26日

『ルポ税金地獄』 朝日新聞経済部 文春新書 780円(税別)



フェイスブックの友人から紹介された本。ほとんど、日常税金のことは、無意識に過ごしているが、世の中、税金を無視しては生きられない。過度な関心は、我が人生観ではないが、基本的なことは知っておこうと思って読んでみた。
本を読み進めていくと、新潟県湯沢町のリゾート開発に触れている。テーマになっているのは固定資産税である。市区町村に入る税金で湯沢町の税収になる。馬鹿にならない金額である。マンションの所有者が払うが、定住している人は少ない。税金を滞納している人も多く、問題になっている。今年退官したが、財政学が専門だった友人の名前が出ていたのには驚いた。先年、リゾートマンションに一緒に泊まったことがあった。
30年ぶりに家を新築し、固定資産税と向き合った。市役所に行って、固定資産台帳の写しももらった。4月は、無料で見られる。良く見れば、課税の内容もわかる。土地の評価額は、将来の相続税の元になる。こちらは、国税になる。意識すれば意識するほど、生活のあらゆるところに税金が掛けられている。この本とは別に、税の基本的な仕組みを学ぶために、ファイナンシャルプランナーの通信講座を学んでいる。「タックスプランニング」という科目がある。
  

Posted by okina-ogi at 12:35Comments(0)書評

2017年04月19日

青春詩

息子夫婦に母屋を明け渡し、書斎を整理していたら、大学を卒業した頃に作った詩の一部が出てきた。短編小説や詩を学生時代に書いた記憶があるが、全て捨ててしまったので、残っているとは思っていなかった。筆で清書してあった。気に入っていたのだろうと思うが稚拙な青春詩である。タイトルは、『霧中の離婁』となっている。離婁とは、中国の伝説上の人物で、百歩離れたところから髪の毛先が見えたという程、視力がすぐれていた。ところが霧の中では見えない。霧は恋であり、離婁は自分である。タイトルからして生意気なのである。
霧中の離婁
君と僕とは硝子の向かい合わせ
君の沈黙の微動は
僕の神経の戦慄
君の優しげな微笑は
僕の驚愕

君と僕とは海と岸辺の人
澱み一つない滄海
細波すらない
神聖なその表面は
金剛石の輝き
眼下の光景は僕の憂鬱

君と僕とは小鳥と山上の人
碧落を染まず舞い飛ぶ清い白
紫外線と高地の冷気を
上下に浴びた空間の焦点
頭上の囀りは
僕の永遠の夢世界

君と僕とは織姫と牽牛
夜空を渡る無数個の粒
その岸に突出してきらめく
高貴な印象
七夕の天空は
僕の薔薇の思い出

美しきものは
皮肉な逃亡者
愛らしきものは
混沌の創出者
感受性の強い柳は
君の些細な動きにも動揺する
  

Posted by okina-ogi at 13:01Comments(0)日常・雑感

2017年04月18日

『風蘭』 岡潔著 角川ソフィア文庫 821円



岡潔のエッセイが最初に出たのは『春宵十話』であった。自ら執筆したと言うのではなく、口述筆記によるものであった。次に出版された『風蘭』も口述筆記による。昭和52年2月に、友人に誘われて、奈良の自宅の一室でお会いし、話を聞く機会があった。強烈な印象として残り、岡潔の書籍を求めたが、当時ほとんどの書が絶版になっていて購入することができなかった。古本屋の店頭を探したが見当たらなかった。
出版から50年近くなって、復刻版が出るようになった。『風蘭』もそうである。日本の将来への心配、とりわけ教育の問題が語られている。良い子を育てるにはどうしたらよいか、自分の孫の生い立ちを調べながら、大自然の働き{造化}があることを確信していく。今回の春雨忌で、この本に登場する洋一さんに初めてお会いした。明るいお人柄で良いご家族を築いている。禅僧と母親の話、飼い猫ミルとの別れの話は、心に残る。
  

Posted by okina-ogi at 11:16Comments(0)書評

2017年04月08日

「本居宣長記念館」



三重県松阪城址の一角に、本居宣長記念館がある。本居宣長が住んだ家も移築されて当時の姿を残している。江戸時代の国学者として知られているが、彼の業績と言えば『古事記伝』を後世に残したことである。この時代まで、古事記の内容は理解されていなかったと言って良かった。彼には師がいた。賀茂真淵である。伊勢を訪れた賀茂真淵が、松阪に立ち寄った時、対面し教えを請い、弟子となる許しを得たのである。有名な「松阪の一夜」である。古事記の研究は、宣長へとバトンタッチされたのだが、真淵の宣長への教えは厳しかった。資料館にも、その手紙が残っている。
本居宣長は、商人の子供である。江戸で生まれている。松阪城を築いたのは、蒲生氏郷であるが、滋賀の日野から商人を大勢連れてきて城下に住まわせた。三井財閥の始祖、三井高利は、宣長の家のすぐ近くに生まれているし、木綿の取引で財を成した、長谷川家の屋敷は、今も商人の館として保全され公開されている。長谷川家も宣長の屋敷に近い。「東京物語」、「晩春」などの映画作品で知られている小津安二郎監督も、東京の墨田区に生まれているが、ルーツは松阪であり、しかも宣長とも繋がりがある。
「本居宣長記念館」来館は二度目であるが、彼の人生の過ごし方は、尊敬に値する。医学を学び、生活の糧を得ながら、国学の研究に打ち込み、『古事記伝』の完成には、30年以上費やしている。古事記の内容は難しく、当時としては資料も少なかった。その持続力と集中力には、頭が下がる。
資料館に展示されている数々の資料を見ると、非常に几帳面な性格だったことがうかがえる。文字などは楷書で丁寧に書かれている、若いときから向学心があることは、中国皇帝の系図「神器伝授図」の書き写し(15歳)、日本地図の写し「大日本天下四海画図」(17歳)を見てわかる。
還暦を過ぎて、特に人生のテーマもないが、本居宣長にならって向学心を書きたててみるのも良い。人のためにならなくても、老いの生きがいになれば良い。
  

Posted by okina-ogi at 12:29Comments(0)日常・雑感

2017年04月04日

春めくや人様々の伊勢参り(2017年4月)

 四月一日(土)、新年度最初の日の伊勢参りは、心改めるにはふさわしい日に感じられる。東日本大震災の年から、三度目の参拝になるが、六十二回の遷宮は、昨年既に済み、新しい神殿に神様は、お移りになっている。この日は、春雨が参道の砂利を濡らしていた。生涯五度目の伊勢参りになった。何ゆえに、この地に歩を進めるかと問われれば、西行法師が詠んだ和歌の心境というしかない。
 何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる
どうしても、人は自分が大切になってくる。思い通りにならないと悩み、他人を憎んだりする。その果てには、生きがいも失うことになる。大いなるものに生かされているという自覚は生まれてこない。伊勢神宮の神域に、大御心を求め、とりわけ内宮に参拝することは、説明はつかないが、日本人として大事な行為だと思っている。天皇崇拝ということではない。
 日本人としての自覚を呼び覚ましてくれた人物がいる。故人となって久しい。数学者岡潔である。春雨忌という故人とゆかりのあった人たちが集う会に今年も参加することになった。同行したのは、以前から尊敬する彫刻家の大先生である。春雨忌に参加するメンバーは、春雨村塾の塾生でもある。この方は、塾頭と言ってもよい。同じ群馬在住なので、高崎駅で待ち合わせ、奈良までの往路をご一緒した。渥美半島の伊良湖崎のホテルに一泊し、翌朝、フェリーで鳥羽まで渡り、伊勢神宮に寄り、松坂の本居宣長の記念館を訪問するコースを提案したら、喜んでご一緒しましょうということになった。
 渥美半島は未踏の地であった。豊橋から伊良湖崎に行くには大変な距離があるが、駅にホテルのバスが迎えに来る。無料サービスになっている。駅前で食事をして、バスに乗り込んだが、すっかり雨になり、窓はくもって景色は見られない。海岸線や、常春の半島と言われる春の風情を感じてみたかったが、雨は容赦なく降り続いている。途中、保美という地名があり、ここに芭蕉門下の俳人が住んでいた。というよりは、幽閉された流刑の地であった。
 

 芭蕉の紀行文に『笈の小文』がある。芭蕉の死後、世に出されたものだが、旅に伴ったのが杜国である。杜国は、富豪な商人であったが米の先物買いが発覚し、死罪は免れたが、財産を没収された。渥美半島の保美の里で、罪人として静かに過ごす身分であった。芭蕉は、杜国の才能を高く買っていたが、今風な言葉で言えば、イケメンであったらしい。年も若い。
 伊良湖崎にも連れ立った。杜国が、遠路わざわざ訪ねて来た師を労ったのだろう。
鷹一つ見付けてうれしいらご崎
という句を残している。鷹は、杜国なんだと言いたいところなのだろう。それにしても素直な感情を吐露した句である。句の中に「うれし」などという言葉は、俳聖と称される芭蕉には、不具合な感じがする。
 『笈の小文』の中には好きな句が多い。
草臥て宿借る比や藤の花
雲雀より空にやすらふ峠かな
ほろほろと山吹散るか滝の音
若葉して御目の雫拭はばや
蛸壺やはかなき夢を夏の月
故郷、伊賀上野、奈良、吉野そして明石まで足を伸ばしている。六カ月の長旅である。路銀はどうしたのだろう。もしかして、杜国に隠し財産があって工面したのかも知れない。
宿泊した伊良湖ビューホテルは、高台にあって眼下に浜辺が見える。恋路ヶ浜と名づけられている。柳田国男が若き日この地を訪ね、岸に打ち上げられた椰子の実を発見した。そのことを、島崎藤村に話すと、それをヒントに想像を豊かにして名作「椰子の実」の詩が生まれた。大中寅二によって曲がつけられ、今日まで多くの人に歌い継がれている。昼から降り出した雨は、降り続いている。海は煙っているが、沖には島が見える。三島由紀夫の小説の舞台になった神島である。岬と島の間を、大きな船が何隻も通過していく。岬の森には霧が立っている。彫刻の大先生の美意識には感心した。そうした風景を美しく深く観察して語ってくれる。藤村の程の詩才があれば、それをヒントに新たな名作が生まれるのだが及ぶべきもない。
 名も知らぬ遠き島より
 流れよる椰子の実ひとつ
 故郷の岸を離れて
汝れはそも波に幾年月
杜国は、船で漕ぎ出し伊勢で芭蕉に再会し、旅を共にする。我々は、芭蕉と杜国の関係ではないが、早朝この海を渡る。一時間とかからない。

  

Posted by okina-ogi at 17:56Comments(0)旅行記