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2012年10月31日

山寺へ(1)

 二十一世紀に入り、今回が四回目の元旦東北行きとなった。東日本旅客鉄道発行の「正月パス」という切符を利用しての旅だが、有効期間は一月一日限りである。新幹線のグリーン席は別料金が必要になるが、指定席が四回とれる。北海道の函館の日帰りも可能である。利用する人が多くなったのだろう。JR東日本は強気になって、今年からは、一万二千円に値上げした。二割増でも遠距離を目的地にすれば、通常料金よりは、はるかに安い。民営化になって、様々な企画がなされるようになった。結構な事である。「青春18切符」などというのもある。在来線の普通列車に五日間乗り放題、一万一千五百円。時間のある高齢者なら、ゆったりとした楽しい旅ができるかもしれない。ネーミングも粋である。JRの宣伝のつもりではないからこれくらいに留めておきたい。
 今年の目的地は、山形市郊外にある山寺にした。同じ榛名町に住む友人の提案でそうなった。目的地をどうしようかと考えていたところ
「一緒に行きましょうよ」
ということになった。彼のご子息は、東北大学の医学部に学んでいる。自慢の息子さんである。他に候補地にしていたのは、松島と平泉だったが、結果的には山寺で正解だったかもしれない。
 大晦日に雪が降り、安中榛名駅までは、息子の車に乗せてもらうことにした。土産は奮発しないといけない。旅先から携帯電話で注文をとって、帰りの運転も頼むことができた。路が凍結していて、女性の運転手というわけにはいかない。
 山寺が正解だったというのは、雪と関係がある。水墨画のような山寺を見ることが出来たし、雪のためか初詣の客も意外と少なく、芭蕉が「山寺は、とりわけ清閑の地である」という雰囲気を味わうことができたからである。平泉の中尊寺あたりを訪ねていたら人出が多く、都会の雑踏の中にいる気分になったに違いない。今年のNHK大河ドラマは「義経」である。
 『春の雲』、『夏の海』、『秋の風』、『冬の渚』と紀行文を書き、一区切りしたという気持は強い。失礼ながらに謹呈した友人知己諸氏にも、暫くは充電してからにしたいと申し上げたが、人生という旅は続いている。暮れになって、近年来の旅行症が生じてきて、紀行文を書き続ける気分になった。
深川の庵から、旅から戻って二年もしない年の暮れに、白河の関を越えたくなり、なにかに憑かれたかのようにじっとしていられなくなった芭蕉ほどではないにしても、この性癖は死ぬまで直りそうもない。
本を渡される方からしたらご迷惑に違いないから、紀行文は書き溜めて置いても、しばらくは発行しないでおこうとも考えている。芭蕉の『奥の細道』も旅が終って、五年後に出版されている。推敲に推敲を重ねて世に問う程の真剣さと器量はないから、そのような大それた野心があるわけではない。ただ、テーマと本の名前は決めておこうと思う。『翁への道』という書名にした。翁とは、もちろん芭蕉を指しているが、これから年を重ねていくであろう自分自身のことでもある。旅先は、芭蕉ゆかりの地であることも意識したいし、そうした旅を重ねながら芭蕉という人の人生観を少しでも理解したいという意味も含まれている。
芭蕉を慕い、その足跡を辿りつつ本を書いた作家や俳人は数多い。それほどに、日本人にとって芭蕉は魅力的な人物である。既に読んだ作品の中でも、俳人の加藤楸邨の『芭蕉の山河―おくのほそ道私記』(読売新聞社)、『月山』で芥川賞を晩年近くに受賞した作家、森敦の『われもまた おくのほそ道』(日本放送出版協会)は、自分の体重をかけて書いている雰囲気のある好著である。体重をかけていると言ったのは、読者の意識に迎合するような書き方ではないというほどの意味である。二人の著名な先人の足元には及びもしないが、『翁への道』も全体重をかけて書くようにしたい。そのためには、芭蕉の句にさらに多く触れてみなくてはならない。加えて自分の心の識を高めなければならないが、後者の方が数十倍大変なことである。
      拙著『翁草』より
  

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2012年10月31日

『厚生労働白書』(24年版)を読む(9)―P・50とP458

公的年金制度は、賦課方式による世代間扶養の仕組みである
 現在、年金を受給している高齢者のお金は、現役世代の保険料が使われているという説明になっています。そして、少子化により保険料収入が少なくなり、年金の減額ということが、近い将来議論されるでしょう。20代でまだほとんど、年金を拠出していない人達の中には、自分たちが高齢者になった時は、年金が支給されないから、国民年金保険料などは払わないという人もいるでしょう。しかし、良く考えてみると少子化になっても、誰もが確実に保険料を収めていれば、この世代間扶養の賦課方式は、破綻しないはずです。年金積立金というのがあります。このお金を運用しているわけですが、経済状況が変化し、このところ苦戦しているようですが、統計によれば2012年で19.7兆円の累積収益額があります。ここ10年間の平均収益率は、1.57%となっています。税金も投入して財源措置もするはずです。高齢者になった時に、無年金者が増えることによって、生活保護費が増大するようになったら大変です。若者よ、年金制度を信頼しよう。
  

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2012年10月30日

もう一つの五稜郭(2012年10月)

 
 


 幕末、函館戦争の幕軍の拠点なった五稜郭が、日本にもう一つ存在することを、最近知った。しかも、群馬県の隣県である長野県の佐久市にある。灯台もと暗しに近い。職場の山岳愛好家のグループで、八ヶ岳の麓の清里に近い、飯盛山登山の話がもちあがり、その途中立ち寄ろうということになった。
 
 この日は、朝から雨になった。山登りは中止になった。佐久のパーキングエリアで作戦会議。「もう一つの五稜郭」に直行することに決した。佐久市臼田を目指す。地域医療で有名な、佐久総合病院に近い。規模は、函館より小さいが、堀がめぐらされ、石垣も見事に積まれている。石垣の上には桜が植えられていて、季節が春だったら花見の場所にもなるであろうことが容易に想像できた。
 
 大手門の入口近くに、彫刻がある。大給恒(おぎゅうゆずる)という人。この城を築城した人物である。城内を見学した後、資料館に立ち寄って分かったのだが、なかなかの人物なのである。松平乗謨(のりかた)という殿様で、愛知三河の徳川家と先祖を同じにする。「もう一つの五稜郭」の城主であり、城の名は、龍岡城という。
 資料館で購入した、『大給恒と赤十字』北野進著からどのような人物か概略を紹介する。一八三九年に江戸に生まれている。父親は、三河奥殿藩の藩主であったが、小藩であった。若い時から、学問を良くし、幕末には珍しくフランス語を学んだことが、幕府の中でその才能を認められることになった。函館の五稜郭もそうだが、城の様式は、フランスの城を元にしている。約三年半の工事に、四万両の費用がかかった。城としては、日本最後の城ということになるらしい。
 
 この城は、戦いのために使用されることはなく、今日では小学校の敷地になっている。田口小学校という鉄筋の建物が、現在建っている。校庭も広く、歴史的にも意味ある場所で学べる生徒は仕合わせである。大給恒は、江戸幕府の老中、陸軍総裁の要職を務めただけではなく、明治維新後は、枢密顧問官となり、伯爵になっている。殿様だったから、そのような身分になったということではなく、日本赤十字を佐野常民とともに設立した功績と、賞勲局総裁になった功労による。フランスの勲章を研究し、今日の叙勲に使用される勲章は彼の図案が元になっていると北野進氏の著書に書かれている。その後、小諸の懐古園で新そばを食べ、海野宿も訪ねることもできた。
  

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2012年10月29日

法律門外漢のたわごと(雇用保険法⑤)


失業した場合の話になってしまいますが、雇用保険は、失業保険と呼ばれる位、仕事がなくなってしまった人へのセーフティーネットの役割を果たしています。昨年の3月に東北地方を襲った地震と津波によって、多くの人々が職を失いました。雇用保険に加入していた人達は、自然災害が原因となって働けなくなったわけですから、自己都合で離職した場合と違い、基本手当の支給にも手厚い配慮がなされました。そのひとつに、広域延長給付というのがあります。岩手県、宮城県、福島県の3県は、広域延長給付の対象地域となったと聞いています。この地域に居住する人は、ハローワークで手続きをして、その対象者と認められれば、90日の基本手当の延長がなされたはずです。広域延長給付などという制度はあっても、なかなか適用されることはないと思っていたのですが、今回の震災のようなケースが対象になるのだと知りました。
  

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2012年10月28日

法律門外漢のたわごと(健康保険法②)

被保険者(法人の代表者)
健康保険は、業務上のケガや病気には適用されないことを原則にしています。健康保険の適用事業所の代表者である社長や、理事長という立場にある人は、労働者ではありませんから労災保険は、適用されません。シルバー人材センターの仕事でケガをした人のように、健康保険の被保険者であっても、職場で事故にあったりしても保険適用がなく、全額自己負担になったら大変です。
労災保険の特別加入という制度があります。中小企業の事業主で、事務の処理を労働保険事務組合に委託している場合に加入できることになっています。加入できない場合は、どうするのでしょうか。ごく、小規模な会社の場合は、業務上のケガも一般従業員と同様健康保険が適用されることになっていますが、加入できない事業者には、会社で何らかの保険に加入しておく必要があります。こうしたことを想定せず、健康保険が使えると思いこんでいる会社はないでしょうか。
  

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2012年10月27日

法律門外漢のたわごと(健康保険法①)

被扶養者
 過日、娘の健康保険の被扶養者である父親が、シルバー人材センターで仕事をしていたらケガをしてしまい、健康保険も労災保険も適用にならず全額自己負担となり、裁判を起こしたというニュースがありました。シルバー人材センターは、高齢者の技能を生かし、労働の場を提供しているのですが、雇用関係はなく労災保険が適用されません。また、健康保険は、業務上のケガには、国民健康保険と違い適用にならないことになっています。裁判の結果がどうなるのかわかりませんが、どのような場所でケガしても医療保険が使えるようになっていることは、大事です。シルバー人材センターでは、団体傷害保険のようなものがあるようですが、この人は加入していなかったのでしょうか。健康保険の被扶養者は、自身では保険料の負担はしておらず、収入が少なく、同居していたり、親族だったりという条件を満たしていなければなれません。
  

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2012年10月26日

法律門外漢のたわごと(労働者災害補償保険法①)


ローサイ、ローサイと呼んでいるのがこの「労働者災害補償保険」です。保険料は、事業主が全額負担し、適用になると基本的には個人負担がありません。通勤途上と業務上の災害となっていますが、最終的に適用になるかどうかは、政府が決めます。
出勤や退勤の途中の事故ならば通勤災害ですし、業務中ならば業務災害ですが、場合によっては労災保険が適用にならない場合があるので、事故やケガをした時の状況を正確に報告することです。事業所が勝手に労災にならないと決めて、本人が申請しようと思っても認めないというのは、問題です。
労災保険に適用する頻度が多い職場は、メリット制というのがあって、保険料が見直され高くなることがあります。そうであれば、事故やケガのない職場環境や、職員教育を心がけそのようにならないようにすることです。
例えば、こんなケガはどうなるのでしょう。職場の駐車場にロープが張ってあって、入口を指定してあるのを、職員が出勤時間に間に合うように近道をしようとして、ロープに引っ掛かって骨折し、長期入院するほどのケガをしてしまった。急いでいたのでしょう。しかし、本来なら通り抜ける場所ではありません。これは、本人の責任だから健康保険を使うようにと管理者が指示するというのは正しい判断でしょうか。労災の場合、というよりも保険事故の場合、故意に起こした災害には保険を適用しないようになっていますが、過失の場合は、適用されることがあります。これは、あくまで保険者の判断になります。
  

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2012年10月25日

「竹田の子守唄」

心に浮かぶ歌・句・そして詩44

「竹田の子守唄」は、京都伏見の竹田という場所で歌われていたものを、フォークグループの「赤い鳥」が広めた曲として知られています。今日まで知らなかったのですが竹田という地区は同和問題と関係があるんですね。学生時代、京都におりましたから、被差別部落のことを意識したことがありました。住井すゑ原作の『橋のない川』の映画や、島崎藤村の『破戒』などを読み、同和問題を考えさせられた時期もありました。しかし、この曲が同和問題と関係があったとは知りませんでした。歌詞の中に出てくる「在所」は部落の意味があるようです。今もそうですが、ただ、良い曲だなあと思って歌っていました。

「竹田の子守唄」
守りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし
盆がきたとて なにうれしかろ
帷子(かたびら)はなし 帯はなし
この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら
はよもいきたや この在所(ざいしょ)越えて
むこうに見えるは 親のうち
  

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2012年10月24日

宮崎康平の「島原の子守唄」

心に浮かぶ歌・句・そして詩43
日本の代表的子守唄で浮かんでくるのは、「五木の子守唄」であるが、同じ九州に「島原の子守唄」がある。誰となくその地方に歌い継がれて民謡となっている場合が多いのだが「島原の子守唄」は、作詞が宮崎康平とある。あの『幻の邪馬台国』の著者である。この歌を創った時、妻は去り宮崎康平のもとには、二人の乳飲み子が残された。宮崎康平の視力は弱く、盲目に近かった。貧しさもあった。そんな絶望的な境遇の中で生まれた歌だという。
いつだったか、テレビで歌手のさだまさしが、宮崎康平に影響を受けたことを語っていたのを思い出す。九州には友人がいるが歌詞は、「五木の子守唄」以上にわかりにくい。
しかし、心の琴線に触れて来るものがある。
  
「島原の子守唄」
おどみゃ島原の おどみゃ島原の
ナシの木育ちよ
何のナシやら 何のナシやら
色気なしばよ しょうかいな
早よ寝ろ泣かんで オロロンバイ
鬼(おん)の池ン久助(きゅうすけ)どんの連れんこらるバイ

帰りにゃ 寄っちょくれんか
帰りにゃ 寄っちょくれんか
あばら家じゃけんど
芋飯(といもめし)ゃ粟(あわ)ン飯 芋飯ゃ粟ン飯
黄金飯(こがねめし)ばよ しょうかいな
嫁御(よめご)ン 紅(べ)ンナ 誰(た)がくれた
唇つけたら 暖(あ)ったかろ

沖の不知火(しらぬい)に 沖の不知火に
消えては燃えるヨ
バテレン祭の バテレン祭の
笛や太鼓も 鳴りやんだ
早よ寝ろ泣かんで オロロンバイ
早よ寝ろ泣かんで オロロンバイ
  

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2012年10月23日

『厚生労働白書』(24年版)を読む(8)―P・454


信頼できる持続可能な年金制度の構築

与党民主党と野党の自由民主党・公明党の3党間で「社会保障・税一体改革に関する確認書」により、8月10に法案が成立した。年金関連でその主なものを列挙すると
1. 基礎年金国庫負担2分の1の恒久化
2. 受給資格期間の短縮(25年→10年)
3. 産休期間中の社会保険免除
4. 遺族基礎年金の父子家庭への拡大
5. 短時間労働者への社会保険の適用拡大
6. 低所得等の年金額の加算
7. 公務員、私学教職員も厚生年金に加入
8. 共済年金の「職域年金」の廃止
この中で、2と6は議論の余地がありそう。短期間で受給権者になれたり、低額の年金者に加算金(案では月6,000円)が支給されることに、不平等感が生まれたりして、年金加入意識が低下しないかという危惧がある。
  

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2012年10月22日

『厚生労働白書』(24年版)を読む(7)―P・82


スウェ―デンの高負担と高競争力の関係
高福祉、高負担の経済はどうなっているのか。スウェ―デンは、ボルボという自動車会社や、エリクソンという電子通信機器の大きな会社があることで知られているように、経済的に競争力は高い。労働時間も短く、余暇を楽しむような暮らしをしているという印象があるので意外な感じがする。
スウェ―デンは、企業が倒産することは結果責任と考え、公益資金で救済することをしない。新しい、成長産業に失業者を就職できるように、再就職の支援をしている。失業期間の生活保障や、教育訓練が充実している。JALを政府系の銀行で救済するようなことは、しなかったであろう。東電のような場合は、どう対処するのだろう。スウェ―デンの電力供給がどのようになっているのか興味を持った。
  

Posted by okina-ogi at 08:19Comments(0)書評

2012年10月21日

藤本敏夫と「ひとり寝の子守唄」

心に浮かぶ歌・句・そして詩42
加藤登紀子の作詞、作曲で「ひとり寝の子守唄」というのがある。我々世代からすれば、すっかり懐メロの部類の歌である。故人となっているが、彼女の夫は、藤本敏夫さんである。学生運動で、投獄された藤本さんとの獄中結婚は有名である。その藤本さんが、榛名湖畔に講演にきたことがあった。千葉県に農場を持ち、自然食品販売を手掛けていた頃の話である。その日、藤本さんが宿泊した「ゆうすげ元湯」の部屋に訪ねた。
お酒が入っていたこともあり
「『ひとり人寝の子守唄』は、獄中の藤本さんのことを思って作った歌じゃあないんですか?」
藤本さんは、照れたように
「それは、女房に聞いてくれ」と答え、真相に近いと確信した。そのご縁で、法人の広報誌に原稿をいただいたことがある。

ひとりで寝る時にゃよぉー
ひざっ小僧が寒かろう
おなごを抱くように
あたためておやりよ

ひとりで寝る時にゃよぉー
天井のねずみが
歌ってくれるだろう
いっしょに歌えよ

ひとりで寝る時にゃよぉー
もみがら枕を
想い出がぬらすだろう
人恋しさに

ひとりで寝る時にゃよぉー
浮気な夜風が
トントン戸をたたき
お前を呼ぶだろう

ひとりで寝る時にゃよぉー
夜明けの青さが
教えてくれるだろう
ひとり者もいいもんだと
ひとり者もいいもんだと
ラララ・・・・・
ラララ・・・・・

刑務所体験は幸か不幸か            藤本敏夫 
 
二十五年前、学生運動は過激であった。運動の前線に位置していた僕は三年八カ月の実刑判決で、栃木県の黒羽刑務所に収容された。
 世間的な常識に沿えば、刑務所に収容されたということは恥ずべきことであり、本人にとっても一日も早く忘れ去るべき忌わしい出来事なのだろうが、僕にとってこの収容生活はとても大切な価値ある体験であった。まず何より健康になった。
 起床は毎朝六時半で夜七時には就寝可という素晴らしさだ。生活はあくまでも規則正しく、三度の食事も定刻に配食される。食事の内容も完全な健康食で、麦飯と野菜を中心とした簡素な副食。勿論、酒、煙草は駄目でショートケーキや大福が鱈腹食べられる訳がない。更に与えられた仕事は「構内清掃衛生夫土工」という役名の肉体労働であったから、これで健康にならない方がおかしい。
 お蔭様で出所時は五十四キロの軽量ながら、五体の隅々まで気力溢れるしなやかな体に仕上がった。そして、体力だけではなく、「固定観念」をはずし、物事を決めつけて見ない柔らかな思考性、前頭葉の柔軟さの素晴らしさを教わった。刑務所で「つっぱってる」と疲れるし、第一無駄だ。
 今までにない別の角度から見れば、懲役者達の立場や過去が、そして今の心が理解できる気がするし、その気持との関係で自分がほのかに見えてきたりもする。確かに刑務所生活は辛くはあったが自己能力の啓発を導く原点回帰の経験であった。
 プラスとマイナスは表裏一体であり、見る立場でそれはどちらにでも表現される。本来、プラスとマイナスとはそういう関係のものだと思う。マイナスはマイナスのみで終わることはない。マイナスをプラスにするものは、万物の生々化育の中で自らも変化しているという「流れ」の自覚であろうと思われる。生命とは流れであって固定ではない。「流れ」の立場より見れば、今の不幸は必ずや幸福に転化する。刑務所に入ったらそのことがよく分かる。
 
藤本敏夫(ふじもととしお)。一九四四年生まれ。同志社大中退。一九六八年全学連委員長。七一年下獄。出所後、大地を守る会会長を経て「自然王国」代表。          (平成六年・秋号)
  

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2012年10月21日

法律門外漢のたわごと(国民年金④)

保険料の免除
 『厚生労働白書(24年度版)』を読んでいると、若年層の雇用状況が厳しいことが感じ取れます。かなり多くの若者が、就業できなかったり、非正規、あるいは、アルバイトのような就業形態で低収入であることが想像できます。国民年金の保険料は、平成24年度では14,980円ですから、生活費を考えれば、遠い将来の年金は後回しにしたくなるでしょう。
 国民年金は、20歳から60歳まで、国民連帯の理念のもと強制加入となっていますが、所得の少ない人には免除の制度があります。法定免除と申請免除がありますが、申請免除について確認しておきましょう。
障害者でもなく、世帯主、配偶者がいないと想定した場合です。
(全額免除)
前年の所得が、57万円以下の人
(4分の3免除)
前年の所得が、78万円以下の人
(半額免除)
前年の所得が、118万円以下の人
(4分の1免除)
前年の所得が、158万円以下の人
 申請することによって、この期間は加入者となり、将来の受給資格を得るための期間となり、申請中に障害を受けた場合、障害基礎年金が支給されます。また、将来収入が多くなった時に、10年前に遡って「追納」することもできます。それほど、面倒な手続きではないので、自分のためにも社会のためにもしていただきたいと思います。
  

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2012年10月20日

新しい「児童手当制度」

『厚生労働白書』(24年版)を読む(6)―P・310
新しい「児童手当制度」
一律23,000円の「子供手当」は、その後どうなったのか。「児童手当制度」に戻り、以前の「児童手当」よりは、支給が手厚くなった。所得制限(960万円)が設けられたが、特例で当分の間5,000円が支給される。大雑把に言えば、5,000円増額したという感じか。しかし、配偶者や、扶養者控除がかわり、家庭の収入にあまり変化がないともいう。このページで詳しく説明しているわけではない。少子化対策でいろいろな試みがなされているが、「子供手当」は、〝ばらまき〟の税金の使い方の典型だった言われても仕方がない。育児休業も少子化対策だが少しずつ改善されてきているが、「子供手当」のように財源に根拠がないと途中で制度が頓挫してしまう。子供は、社会全体で育てることに反対しないが、「勤勉さ」を失う国にならないことを一番に危惧したい。
  

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2012年10月19日

『青空までとどけよ祈り』

  ―銀座の地蔵画家夫妻の歳時記― 小川安夫+小川美佐子 春秋社 1,300円
初版が昭和59年10月20日とある。古本として購入したので、1,300円ではない。おそらく増版されてはいないのだろう。消費税のない時代に出版された本である。インターネットでアマゾンから『遠い旅の詩』から購入し、この本の存在を知り読んでみようと思った。小川安夫さんや、家族の写真が載っていて、皆自然体で絵になっている。夫婦の旅姿の写真は、二人三脚という感じする。二人で人生行路を歩む姿になっている。『遠い旅の詩』と同様に、小川安夫さんの絵も収録されている。彼の語る言葉は、まるで句のようにあどけないが、常人には語りえない深さを感じる。一人旅で得た実感なのであろうが、武者小路実篤や岡潔との出会いで学んだ人生観も加わっているのだろう。「自分を後にして他人を先にせよ」は、岡潔が生涯祖父の遺訓として実行したものだからである。銀座の地蔵画家として世に知られてからの出版なので、高石ともや、喜多郎などと交友ができた。森繁久弥も小川さんの生き方に賛辞を送っている。一番圧巻なのは、美智子妃殿下に東宮御所にお招きをいただいたことが書いてあることだ。小川安夫さんが一人旅をしていた頃、軽井沢で絵が美智子さまの目にとまり、お買いいただいたことがあり、そのことを憶えておられたのである。
小川美佐子さん、小川安夫さんの奥様である。愛媛大学で哲学を学んだ才女で、夫婦の心模様、自身の内面を赤裸々に書いている。彼女の両親から望まれた結婚ではなかったことがよくわかる。生活保護も受けた時代もあり、子育ては大変だった。夫への不満も書いている。彼が世に知られた後の小川さん家族は幸せだったのかと考えてしまった。昭和61年に小川安夫さんは亡くなり、数年後小川美佐子さんもクリスマスの日交通事故で亡くなったという。二人のお子さんのその後はどうなったのだろう。
  

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2012年10月18日

103歳の作家(?)

老人ホームに居ながらにして執筆をしている人がいる。今日が103歳の誕生日である。明治42年10月18日の生まれである。陸奥新報に『銀の鎖』を連載している。既に連載の回数は100回を超えた。完結するのはまだ先で、いずれは出版ということにもなるかもしれない。原稿料もあるだろうから立派である。それよりも、この年にして、新聞に掲載される文書を書けるということがすごい。この人を拙著『白萩』と『侘助』に紹介したことがある。太宰治ゆかりの人で、生年も同じである。

「仲秋の津軽」から抜粋
近年、太宰の作品を読むようになったのは、20年来の知己である吉澤みつさんの影響が大きい。今年10月で100歳になられるが、太宰と同じ年であり、太宰とも少なからずご縁があり、太宰の死後も「桜桃忌」に参列し、太宰ゆかりの人々とも親交を続けてこられている。太宰に係る著述も書かれ、数少ない生き証人の一人である。100歳を前にして『ふたりだけの桜桃忌』という好著を出版された。吉澤さんは、弘前市に近い黒石市の出身である。著書の出版にあたり、取材の記者に語った
「昔若かった人も、今若い盛りの人も、これから生まれる人も、惻隠(そくいん)という優しさを持った太宰の深い思いを知ってほしい」
という太宰への鎮魂の想いと、太宰、吉澤さんを育てた津軽地方の風土に惹かれたのが、今回の旅の動機になっている。

「我もまた城崎にて」から抜粋
今年は、太宰治の生誕百年の年である。『二人だけの桜桃忌』の著者、吉澤みつさんは、太宰と同年の明治42年の生まれである。十月の誕生日が来れば、満百歳になる。ユーモアもあり、記憶力、思考力は衰えていない。吉澤さんのご主人が、太宰の最初の妻、小山初代の叔父にあたる。吉澤さんは、太宰に会ったのはただ一度だけである。玉川上水に山崎富栄に入水した一カ月ほど前のことで、文人の集まりの後、自宅に寄るようにという主人の託けのためだった。そのとき、今回は都合がつかないと断っているが、揉み手をして申し訳なさそうにしている太宰の姿が印象的だったと随想に書いている。
 太宰は、志賀直哉に対して反感を持っていたらしい。紀行風の小説『津軽』の中で、名ざしにはしなかったが、中央文壇の重鎮らしき作家は、志賀直哉とみて間違いないというのが文芸評論家達の定説となっている。志賀直哉も何かの座談会で、こちらは名指しで批判した。その内容は詳しく知らない。その後太宰も『如是我聞』で反論したが、決着や和解ということはなく、太宰は他界してしまう。
 『二人だけの桜桃忌』の著者、吉澤さんにこのあたりのことを話すと、志賀直哉は、太宰の品行を認められなかったのだろうという。しかし、太宰は書くことが好きだったし、晩年は、体を蝕まれ、命を削るようにして生きた作家だったと認めてあげたいともいう。また、何人もの女性と関係したことに触れると
 「女性にもてるのよ。相手が好きになってしまう。女たらしということではないのよ。だから、太宰は幸せ者です。美知子夫人は賢婦でした」
と言った。百歳の方の証言だから重く受け止めたい。
  

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2012年10月17日

今道友信先生追悼

 哲学者の今道友信の訃報が、新聞で報じられている。今から10年前の2002年6月14日に、公開教養講座の講師としてお話しいただいたことがある。その時の、講演の模様を、法人の広報誌にかかせていただいた。先生には、巻頭言に原稿をいただいた。その両方を記載し、先生のご冥福を祈りたい。なお先生は、「ナベツネ」こと読売新聞会長渡邉恒雄氏の東大哲学科の先輩で、「今道さんの頭の良さには脱帽した」という文章を、渡邉氏の著書で読んだことがある。
「福祉と芸術」(講演のタイトル)
「今道友信先生は、高名な哲学者である。今日までに、多くの講師の講演会を開催してきたが、聴講者の中には、「よく講師としてよべましたね」という方がいたように、今道先生は、一級の学者である。哲学者の話は、難しいはずだが、わかりやすい言葉で話していただいた。「芸術作品は、生活が困窮したときに真っ先に売るものだ。しかし人類にとってかけがえのないものだ」と冒頭に話された言葉が印象的であった。言葉ひとつひとつを選び、ある時は、眼にうっすらと涙を浮かべながらパリ時代の思い出を語られ、御人柄が伝わってきた。愛についても言葉を超えて語りかけられた気がした。

「違った考えについて」(巻頭言のタイトル)  今道友信
 違った考えを言う人がいると、すぐ色をなして間違っているという人もいる。どうも日本の社会の困ったことのひとつは一律でみんなで渡れば怖くない式の群集心理による同一行動をとっていると安心するところがある。
 私も何も個人がみな散りじりに一人となって共同作業などできはしないような、恣意的な利己主義者にみちた社会がよいなどと言っているのではない。恣意すなわち我がままではなく自由を大切にし、利己主義すなわち自分さえよければ他人はどうでもよいという考えではなく個人主義すなわち他人も自分も個人として相互の独立的人格を認め合う社会になるべきだと言っているのである。
 そうすれば企業ぐるみ、省庁ぐるみ、党ぐるみのごまかしや悪企みはいくらか正しく直される機会が内部から生じてくるのではあるまいか。会議があっても社会の風潮や国家の方針や経済の力に呑まれてしまって大勢の赳くままに、それと違った考えが言えないのではなく、考えられもしないような一律主義の社会は全くあぶないものだと思う。大衆を扇動する者があらわれて調子のいいことを言って叫びを上げると、我を忘れてひとつになりそうだ。
 違った考えをひとつ書いてみようかと思う。それは、サッカーのことだ。あれほど非人間的でばかなスポーツはない。人間が文化を高めて来たのは「手により、頭脳による」というのはアナクサゴラースが大昔に言ったことだが多分そうだろう。「物すごい速度の球を手を使わずヘディングすれば、一回どれだけの脳細胞が死ぬか、手は正々堂々と使わずにいれば退化するだろう。サッカーは非人間化のスポーツだ」こういう考えもあるので、あまりサッカー試合でナショナリズム的興奮に陥るのもあぶないきざしだろう。こういう考え方について笑って話し合えるのが人間社会だ。
 思えばおたがいに違った考えをもっていればこそ対話も生きる。

今道友信(いまみちとものぶ)1922年東京生まれ。東京大学文学部哲学科卒。英知大学教授。東京大学名誉教授。『美の位相と芸術』他著書多数。
  

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2012年10月16日

法律門外漢のたわごと(国民年金③)

国民年金の後納制度
国民年金の保険料は、2年経過すると支払いができなくなります。ただ、学生の時に支払いが出来なかったり、30歳未満で所得が少なく支払いの免除の申請した場合は、遡って10年まで支払いができます。これは「追納」と呼んでいます。
 平成24年10月から、「後納」制度ができて、3年間に限ってですが、申請すれば、10年遡って保険料を納めることができるようになります。近い将来、国民年金の受給権は、25年から10年になります。無年金者を減らし、納付率を高めることが目的だと思われます。具体的にどうしたら、「後納」できるかというと、自分の国民年金を管理している、年金事務所に行き、申請します。年金手帳か年金の基礎番号がわかる書類を持参し、自分であることを証明するもの。免許証などを見せ、年金履歴を確認してもらうことになります。確認できると「国民年金後納保険料納付申込承認通知書」が発行され、そこに「後納」の期間が示され、年度単位で支払いの希望を言うと、1か月単位から、1年単位までの納付書を出してくれます。支払いは、コンビニでもできることは、ご承知のとおりです。支払いが済むと、2月(10月から12月支払い)または、11月(翌年1月から9月の支払い)に「控除証明書」が年金機構から届きます。確定申告または年末調整で税の免除に使用できますので、本人が収入がなければ、親が税を免除してもらうことができます。
  

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2012年10月15日

『厚生労働白書』(24年版)を読む(5)―P・79


福祉レジーム
○自由主義レジーム(アメリカなどのアングロ・サクソン諸国)
○社会民主主義レジーム(スウェーデン、デンマークなどの北欧諸国)
○保守主義レジーム(ドイツ、フランスなどの大陸ヨーロッパ諸国)
日本は、どこに所属するかというと、自由主義レジームと保守主義レジームをくみあわせたようになっていると指摘している。それぞれのレジーム概略的に述べると、自由主義レジームは、市場の役割が大きく、リスク管理は、個人的な責任で、社会保障は貧困層に限られた給付がなされる。社会民主主義レジームは、国家の役割が大きく、高所得者でも低所得者でも同じ社会保障の給付が受けられる。高福祉、高負担となっている。保守主義レジームは、家族や職域の役割が大きく、リスクの共同負担(連帯)と家族主義を志向している。歴史的背景としては、カトリック教会とギルドの影響があるとされる。社会保障は、先進国に学ぶのは良いとしても、その国の人々が納得しやすいかたちで進めるのが良い。税の福祉への使い方は、これから本格的に議論されるが、『厚生労働白書』は、一度目を通しておいた方が良いと思う。
  

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2012年10月14日

放浪の画家、俳人「小川安夫」という人

心に浮かぶ歌・句・そして詩41
最近、尾崎放哉のことを調べていたら、なんとなくこの人の名前を思い出した。お会いしたことはないが、長くお付き合いがある方から何度となく小川さんの話を聞いている。親しくしていた二人が、入院中の文化勲章を受章した数学者岡潔を訪問した。40年以上前のことである。小川さんは、野に咲く犬ふぐりを上手に花束にしてお見舞いした。その時の詳しい状況は、失念したが、飄々とした感じの人だったことが伝わってきた。
   昭和61年に51歳で亡くなっている。自殺だったと思う。小川さんは、高崎市の出身で、放浪のような生活をして、数寄屋橋で地蔵画を描いて有名になったらしい。そして、俳句も作った。尾崎放哉のように、自由律の俳句で、群馬県立土屋文明記念館で見たことがある。その句を許可を得て、コピーしていたのだが見つからず、小川さんが本(『遠い旅の詩―ある身障詩人の半生記』)を出版していることを知り、そこから代表的な句をとりあげてみた。小川さんは、尾崎放哉と同様、西田天香が創設した一燈園にいたこともあるようである。

手をふれると涙がでそうなふるさとの木
生家に花梨の木があった。7歳の時に癌で亡くなった母親の思い出が詰まっている。
あるだけのものを着て寝て月夜
終戦直後の彼の家は、貧しかった。
信じあっている青空に山が出ている
青空までとどけよいのり
冬の海風ばかりぼうぼう
雲ながれて水ながれて春の夢
ふるさとは遠く夕焼け
遠きわかれに祈りあって青空
小川さんは、空が好きだった。とりわけ青空が。そこに吹く風、流れる雲に一人旅の淋しさを癒した。
  

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