☆☆☆荻原悦雄のフェイスブックはこちらをクリック。旅行記、書評を書き綴っています。☆☆☆

2012年12月03日

映画鑑賞(のぼうの城)

映画鑑賞(のぼうの城)

埼玉県行田市に忍城がある。といっても、戦後復縁されたもので、元の位置に建てられたわけではない。幕末まで忍藩があり、城主は松平氏であった。映画「のぼうの城」は、この城を舞台にしているが、時は、はるか遡って戦国時代の物語である。豊臣秀吉は、天下統一を目指し、小田原の北条氏を攻めた。関東一円の北条氏に味方する城も同時に攻略しようとした。忍城攻めの総大将は、石田三成である。


忍城にたてこもったのは、武士が500人、農民が3000人。対して石田軍は、2万人。とうてい勝ち目のない戦が予想されたが、先に小田原城が落城し、忍城はもちこたえた。忍城は平城ながら攻めるのに難しく、守るには易い城であり、石田三成は、秀吉にならって水攻めを行う。利根川の水を引き込むために、28キロに及ぶ堤を築いた。その一部が、現代も「石田堤」として残っている。


少し、前置きが長くなったが、映画の内容に触れる。城主が、小田原に出陣したため、城代になったのが、成田長親(ながちか)である。この男は、農民に親しまれていたが、木偶の坊のように思われていた。城主の一族だから、木偶の坊とはよべず「のぼう様」と呼ばれていた。映画のタイトルとなった「のぼう」である。


小田原に移った、城主は、密かに秀吉に和議を申し入れていたが、三成には、知らせず、三成が交渉し、その結果降伏するように考えた。ところが、交渉に立った男が悪かった。傲慢さのある態度に、成田長親は、「戦う」と言いだす。これには、家臣も驚いた。勝ち目のある戦でない。しかも、開城することに決めてあったからである。力の強いものが、力の弱いものを見下すことに対しての「益荒男の意地」が、家臣と農民を奮起させた。


印象深い、シーンがあった。水攻めで農民が城内に閉じ込められた時、寝る場所もない中、「のぼう様」は館を提供する。農民が、水で泥足になり、上がるの遠慮すると、自ら庭に下りて、泥足にある。城主の娘にも泥足になるように言う。お互いに顔に泥を塗り、農民の笑いをさそう。まさに、人心掌握なのだが、人柄が自然とそのような行為になっている。


圧巻は、湖のようになった城の外に船を出し、船上で踊りを披露する。主役に抜擢された、狂言師野村萬斎の芸の見せどころである。ひょうきんな踊りに、敵の兵士も笑い興じて、一緒に踊りだし、歌うものも出てくる。敵の兵隊の人心をも掌握してしまう。大胆にも、船は堤に近づき、三成は、大谷吉継の制するのも聞かず、狙撃を命ずる。弾は、肩にあたり船から落ちるが、味方に救助され難を逃れる。「のぼう様」自らを犠牲にして、味方の奮起を期待した捨て身の作戦だったのである。


しかし、戦いが長期化すれば、最初から勝ち目はないのである。そうしている内に小田原城が落城したという知らせが入る。もはや、戦う必要はなくなった。開城には、石田三成が自ら望んだ。名将「のぼう」の顔が見たかったのである。また、傲慢な男が、無条件降伏ともとれる内容を持ちだすと、「のぼう」は、「開城しないで戦う」と言いだす。家臣は、真っ青になるが石田三成は、「のぼう」の条件を飲む。大した男なのである。「のぼう」は。どこかに、こうしたリーダーがいてもおかしくない。


同じカテゴリー(日常・雑感)の記事画像
俳人村上鬼城
『高浜虚子句集』より(浮葉)
俳句自選(金木犀)
俳句自選(秋明菊)
「近代の秀句」水原秋櫻子より(鮠)
俳句自選(百日紅)
同じカテゴリー(日常・雑感)の記事
 閑話休題⑥ (2023-10-07 19:10)
 閑話休題⑤ (2023-10-06 10:22)
 閑話休題④ (2023-10-05 11:46)
 閑話休題③ (2023-10-04 11:38)
 閑話休題② (2023-10-03 18:25)
 閑話休題① (2023-10-02 16:35)

Posted by okina-ogi at 21:12│Comments(0)日常・雑感
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
映画鑑賞(のぼうの城)
    コメント(0)