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2012年12月19日

人を信じること

 「他人を見たら泥棒と思え」という言葉がある。現代人は、他人を疑いこそすれ、信じることは少ないのかもしれない。昔の人は、どうだったかわからないが、契約社会のためかと思ったりしてしまう。「信義」などという言葉は、死語にはなってはいないが、あまり使われなくなっている。自分はどうかと問われ、自問してみても自信がないが、努めて他人は信じるようにしている。
次の話は、私の尊敬する数学者の岡潔先生の本に書いてあったものである。京都産業大学の講義録にも載っている。

 明治の初めの頃の話である。母と子が二人で住んでいた。数え年で、13歳になった時、子は母に禅の修行をしたいと言いだした。母は、子供を送り出す時
「お前の修行が上手くいって、世の人がちやほやしてくれている間は、わたしのことなんか忘れてしまってよろしい、しかし、もし修行が上手くいかなくなって、人がみなお前に後ろ指をさすようになったら、必ずわたしのことを思い出して、わたしの所へ帰ってきておくれ、わたしはお前を待っているから」
それから30年が経った。息子は、禅の修行が上手くいって、偉い禅師になって、松島の碧巌寺という大きな寺の往持をしていた。この時、郷里から飛脚が来て
「お母さんが年をとって、この頃は床につききりである。お母さんは何とも言われないが、我々がお母さんの心をくんで言うのだが、早く帰って会ってやってほしい」
こう言ってきた。
 それで禅師はとるものもとりあえず家へ帰って、寝ている母の枕辺に坐った。そうすると、母は顔をもたげて、息子の顔を見て、こう言った。
「私はこの30年、お前に一度も便りをしなかった、しかし、お前のことを思い出さなかった日は一日もなかったのだよ」

 岡先生は、この話を初めて聞いた時、涙が出て止まらなかったという。涙というものはかような時に流すものだとおっしゃっている。「母の愛は、海より深し」ということだが、「人を信じる」ということについて教えられた。これは余談だが、友人に「信義」という名前の人がいて、あるときから所在不明になった。どうやって暮らしているのか、毎日とは言わないが気にとめている。


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