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2013年06月02日

『福祉を廻る識者の声』19(近石綏子)

ときめきの出会いを重ねて           近石綏子
何故老人ホームの芝居を書いたのか、と自問自答してみるとやはりそこに劇を感じたからとしか言えない。豊穣しつづける精神と減退する機能、その葛藤が内なる火花を散らしている人間の老年期ほどドラマチックなものはないと思う。五十代の私にとって、六、七〇代は新しい生の体験のページであり、八、九〇代は計り知れない発見のある未知の世界だと思うようになった。十年ほど前に芝居がご縁でお付き合いをさせていただいている老人の方々から私は啓発された。家庭の中の、家族から見た老人でない、より人間的に自己を全うしようとしている方々との出会いにより「楽園終着駅」と言う芝居を生むことができた。その感動的発見?の一齣を御紹介すると、七十二歳の教師のSさんが九十二歳の学者のKさんに自分の性の悩みを相談され、「一体人間は幾つまで?」。K老人曰く「人間灰になるまでです」。本当にそう言ったんですよと言うS老人の真顔を今も思い出す。K老人が亡くなられて数年たち、今回の再演の改稿にそのエピソードを少し書かせていただいた。老人ホームでK老人と親しくしていらっした方々が、芝居を見に来られた。場を出る時、八十五歳のN女さんは声をはずませ私の耳元に囁いた。「あの方よく、そうおっしゃってましたもの。とても残念だわ、お聞きしておけばよかった。(声をひそめ)ご自分はどう処理していらっしたのかしら?」冗談ともまじめともつかぬ面持ちで去って行くN女さんを見送りながら、こんな素敵な内緒ばなしは同年配の友人からは聞かせて貰えないと思った。お訪ねするといつも泰然としてトルストイの話など聞かせて下さったK老人の新たな魅力の発見でもあった。
井上勝也先生の御紹介により、原慶子さんとお目にかかる事が出来たのは、書き手の私にとって衝撃的な事件だった。三年ほど前、新生会をお訪ねして目を見張ったのは職員の方の人間に対する認識の深さだった。榛名憩の園ではご老人が固有名詞を持った人間として人格が尊重されている事も発見した。再演でのテーマを深める上で私の中に嵐をまき起こして下さった事から心から感謝している。

近石綏子(ちかいしやすこ)。一九三二年生まれ、劇作者。二男の母。「楽園終着駅」他数作品を劇団東演により上演。                            (昭和六十二年・秋号)


楽園終着駅               (昭和六十二年・秋号)
東京の俳優座で「楽園終着駅」という演劇を見た。老人ホームで生きる老人達を描いている。作者は、今回の〝新生〟の巻頭言をかいてくださった近石綏子さん。ご主人は、俳優の近石真介さんで、この劇を上演している劇団東演を主宰しておられる。近石綏子さんは、数年前に新生会を取材された。その印象が登場人物にも反映されている。
ダイナミックな人間模様が展開され、登場する老人達が個性的に描かれていることに好感を持った。〝ひかり輝く老戦士達の愛の調べ〟という近石さんの主題は、〝老人ホームとは、その人らしく生きられる場所〟ということを指摘しているように思えた。
老人ホームが、老年期における特殊環境であるという根強い社会通念の再考を促す作品として一度観賞することを勧めたい。施設関係者には、老人ホームを客観視できる良い機会になるはずである。(翁)


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Posted by okina-ogi at 06:59│Comments(0)日常・雑感
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