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2013年06月03日

『福祉を廻る識者の声』20(飯田徳明)

世話になれ、お世話しろ            飯田徳明
 足掛け十四年榛名憩の園でお世話になっていた母が、昨年十一月に天父に召された。もう一月で八十五歳になるところであった。現職の牧師であった父は、東京の聖ルカ病院で胃癌の手術を受けたが、既に手遅れ。病名を知らされず、術後回復中と思い込んでいる父は、所属教区から帰任するに及ばずとの通知を受けて、憤慨するばかり。当時立教大学チャプレンであった私の直接の上司であった北関東教区の大久保主教のお奨めで、療養を兼ねた嘱託のチャプレンという名目をいただいて、父は、既に顕著に老人性痴呆の症状を示していた母を伴って、榛名荘病院に赴いたのだった。
 父の病状は半年を経ないうちに悪化し、東京で逝ったのだが、母は直前に病院の廊下で転倒し、左大腿骨を骨折していたため、動かすことができず、そのまま寝たきりとなって、榛名憩の園でお世話を受ける身となってしまった。私の九州教区帰任が決まった時、母を九州の老人ホームに移すことを御相談したのだが、老人には環境の変化が命取りになると説得されて、その儘となってしまった。しかし、母が榛名憩の園にお世話になったお陰で、老人ホームの重要性に目が開かれた想いである。二十一世紀の日本では、老人人口がピークに達すると言う。現在の東京中心の政策が大幅に変更されない限り、地方の老人人口の割合は増幅されることが予想される。医学の進歩によって細菌性の病気が殆ど克服された現在、母のようなケースは益々多くなって行くであろうし、核家族化してしまった情勢を過去の三世代四世代同居家族に引き戻す、よすがもないとすれば、老人達はどこに最後の安住の地を、人間らしく死ねる所を見出せばよいのであろうか。「遠慮なく世話になれ、見返りを求めずお世話しろ」とある先輩から言われたことがある。どんな健康な人でも、生まれて育つ時と死ぬ時は、否応なしに人様のお世話になる。しかし誕生と死の中間では、必要としている人の世話をするのが人間の務めではなかろうか。九州の地で老人ホームを開設することが、長年母を世話下さった榛名憩の園への恩返しだと思っている。
 
飯田徳明(いいだのりあき)。一九二九年生まれ。日本聖公会九州教区主教。(昭和六十三年・冬号)

追悼                       (昭和六十三年・冬号)
昨年の十一月、相次いで新生会にご助力いただいた二人の役員が逝去された。
その一人、古川慎吾氏は、榛名荘の創立理事であり、戦前、近く完成予定の〝ジョージが丘三ホーム〟の立つ敷地購入にあたり尽力された方である。音楽にも造詣が深く、初代榛名春光園の落成記念に、東京交響楽団を高崎の音楽センターに招いたのも氏の功績の一つである。
加藤善徳氏は、原理事長の古くからの友人である。青年の頃、後藤静香の希望者運動に熱き血を燃やした同志でもあった。「ボクの弔辞は誰にもましてこの人に」というほどの友人の死に、理事長は悲しみを情熱にかえて事業にとりくもうとしている。氏はまた、「次郎物語」の下村湖人に師事した文人でもあり、日本点字図書館での業績も偉大なものがある。心よりご冥福を祈ります。(翁)


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Posted by okina-ogi at 06:55│Comments(0)日常・雑感
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