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2013年07月05日

『福祉を廻る識者の声』53(小倉襄二)

 〝福祉と記憶・情報〟のこと          小倉襄二
 いま、福祉の現場にとって、この奔流のような情報の隘出の意味するものがどこまでも視(み)えているのか、私はこの点に関心があります。市民福祉情報という領域は、日々のマスコミにその量、質にわたって拡充しています。私にはやや過剰とさえ思えます。福祉の現場としては、この情報をそれぞれに選択とか選別する必要があり、このあたりがあまり留意されていないと考えています。
 私は、福祉の現場には、〝用の美〟というか、柳宗悦の民芸運動が唱えたような手づくりのたしかな手ごたえが基点として在ると主張したことがあります。私自身、いま、情報化のなかで、霊脳(まことにイヤな語感)的マルチメディアとか、パソコンとかインターネットなどには全くの無縁(自分では操作しないしできない)人間です。その意味ではもはや過去の人かとの自嘲もあります。しかし、霊脳的機材のシステムはあくまでなにかを効率的に伝える手続きでしょう。それがわかっていてもこの凄まじく精微な機材のシステムはその情報の伝え方を介して私たちの思考や、そして感性までを絡めとリ、枠組み固着していくのではないでしょうか。司馬遼太郎氏や池波正太郎氏の手書き原稿をとても美しいと思いました。ワープロはくっきりとして無機的で私のいう〝用の美〟はありません。
 ミラン・クンデラというチェコの作家は、〝なにを措いても記憶しつづけること。それが無力に近い民衆が権力に対抗できる唯一の手段〟と語ったそうです。私は福祉の現場がかかわり、サービスを供給する当事者にとってこの人々の記憶、その内奥に秘め、忘じ難く、そこには感性もかさねて生の支えともなっているものより添っていく仕事だと考えています。本来の顛倒のないようなとりくみのためのシステム、とくに情報の処理、選択が求められています。福祉の現場では記憶へのたしかめと配慮が軸であって情報のあくまで手段にすぎません。福祉と人権といったことの保障もこの世紀末に生きる人々の歴史とその記憶の処からあらためて視るべきだと思います。
 
 小倉譲二(おぐらじょうじ)。一九二六年京都生まれ。同志社大学文学部教授。新島学園理事。『社会状況としての福祉』(法律文化社)他著書多数。 (平成八年・夏号)

柔軟な思考                 (平成八年・夏号)
 囲碁、将棋の趣味を持つ高齢者は多い。囲碁はインテリ層、将棋は庶民といった時代は過ぎて、すっかり大衆化した感がある。コンピューターソフトの普及、テレビ放映のおかげである。
 将棋界では、スーパースターが誕生している。その棋士は羽生善治である。谷川王将からタイトルを奪って七冠を独占した。棋力伯仲するプロの間では奇跡に近いといわれる。多才棋士で有名な米長九段が評して〝羽生は天与の華〟といった。誠に名言である。女優の畠田理恵さんと結ばれて八冠を獲得したという人もいる。六月には名人も防衛している。
頂点に立てば人は守勢になるものである。しかし羽生名人はまだ二十五歳、勝負より棋理の追求を全面に出す。〝求道心〟などと言わないところが良い。一つの戦法に固守することもなく思考も柔軟である。人柄もいたってさわやかな現代青年である。(翁)
 


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Posted by okina-ogi at 13:23│Comments(0)日常・雑感
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