2019年12月11日
「子規句集」より(昼寝)
歌書俳書紛然として昼寝哉
子規は、俳句だけでなく短歌への革新に情熱を費やした。
短歌では、源実朝、俳句では与謝蕪村を再評価した。
思いつくまま、本を手に寄せて読むので、本は雑然と置かれている。
その中で子規は昼寝をしている。
子規は、俳句だけでなく短歌への革新に情熱を費やした。
短歌では、源実朝、俳句では与謝蕪村を再評価した。
思いつくまま、本を手に寄せて読むので、本は雑然と置かれている。
その中で子規は昼寝をしている。
2019年12月10日
2019年12月09日
「子規句集」より(落葉)
月の出やはらりはらりと木の葉散る
先程から木の葉が散っている。
月の出によって、その光で木の葉が散るのが見える。
はらりはらりとという感じで。
月も秋の季語だがこの場合季語にしない。
先程から木の葉が散っている。
月の出によって、その光で木の葉が散るのが見える。
はらりはらりとという感じで。
月も秋の季語だがこの場合季語にしない。
2019年12月08日
2019年12月07日
2019年12月06日
2019年12月05日
2019年12月04日
「子規句集」より(大三十日)
前書きに「漱石虚子来る」
漱石が来て虚子が来て大三十日
上五句が七文字になっているのはまだしも、前書きに書かれている内容だ。
大三十日に二人が来てくれるが余程嬉しかったのだろう。
漱石は同年の友人、虚子は郷土の後輩。
虚子の俳号の名付け親は子規である。
虚子の本名は高浜清である。
キヨシがキョシが良かろう。
本人も断るわけにもいかない。
満更でもなかったようだ。
その経緯は、虚子が自書に書いている。さて漱石だが
前書きに「漱石来たるべき約あり」
梅活けて君待つ庵の大三十日
虚子さてどんな気持ちだったろう。
漱石が来て虚子が来て大三十日
上五句が七文字になっているのはまだしも、前書きに書かれている内容だ。
大三十日に二人が来てくれるが余程嬉しかったのだろう。
漱石は同年の友人、虚子は郷土の後輩。
虚子の俳号の名付け親は子規である。
虚子の本名は高浜清である。
キヨシがキョシが良かろう。
本人も断るわけにもいかない。
満更でもなかったようだ。
その経緯は、虚子が自書に書いている。さて漱石だが
前書きに「漱石来たるべき約あり」
梅活けて君待つ庵の大三十日
虚子さてどんな気持ちだったろう。
2019年12月03日
2019年12月02日
「子規句集」より(紫苑)
竹籠に紫苑活けたり軸は誰
子規は、漱石の寓居の一間を借りた。
そこでふたりは俳句談義をしたのであろう。
桔梗活けてしばらく仮の書斎かな
紫苑も帰郷のように紫色だったろう。
はて、その床の間にある掛け軸は、誰のもの。
子規は、漱石の寓居の一間を借りた。
そこでふたりは俳句談義をしたのであろう。
桔梗活けてしばらく仮の書斎かな
紫苑も帰郷のように紫色だったろう。
はて、その床の間にある掛け軸は、誰のもの。
2019年12月01日
「子規句集」より(蘆)
蘆の穂に汐さし上る小川かな
日本は豊葦原瑞穂の国と古くは呼ばれた。
稲の周りには蘆が茂っている風景を想像する。
小説家徳富蘆花はペンネームに蘆を使っている。
蘆は「悪し」で読み方が悪いので「葦」と書かれるようになった。
「葦」は「良し」である。
海辺に近い小川を汐が上って川面に垂れた蘆の穂を濡らしている。
橋やあらん漁夫帰り行く蘆の花
連作である。
日本は豊葦原瑞穂の国と古くは呼ばれた。
稲の周りには蘆が茂っている風景を想像する。
小説家徳富蘆花はペンネームに蘆を使っている。
蘆は「悪し」で読み方が悪いので「葦」と書かれるようになった。
「葦」は「良し」である。
海辺に近い小川を汐が上って川面に垂れた蘆の穂を濡らしている。
橋やあらん漁夫帰り行く蘆の花
連作である。