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2013年12月18日

『侘助』(拙著)上野周辺散策

上野周辺散策
 彼岸入りした三月二〇日(土)、東京国立博物館で開催されている特別展「長谷川等伯」を見に行く。会期が短く、二日後には終了することもあってか、入場まで三〇分もかかり、しかも展示会場になっている平成館の中も人で溢れている。近くに寄って作品を鑑賞するのも難しい。四月一〇日からは京都国立博物館で開催されるのだが、四月三日から六日まで奈良方面に出掛ける予定があるが、日程が重ならない。翌日の日曜日は、悪天候が予想され、この日の選択となったのである。
 以前、『上野周辺散歩マップ』という小冊子を手に入れ、東京国立博物館の芸術鑑賞のついでに上野の森の周辺を散策してみたいとも思っていたので、この日は彼岸期間中ということもあり、谷中墓地に行くことにした。老人ホームに勤務したこともあり、墓参の習慣はあるほうだと思うが、我が家の墓地にはお勤めを果たしていないようで、妹から釘をさされていたこともあり、その日の朝、珍しく墓参をした。うっかり、前日娘が用意してくれた水の入ったペットボトルを忘れてしまったが、昨夜来の雨で花差しに水が溜まっていたので、それで良しとすることにした。後から墓参する妹からまたご先祖様に対する感謝の念がないと言われそうである。
 JR日暮里駅を降りるとすぐに谷中墓地に着く。ここには著名人の墓がある。地図にも記されているが、徳川慶喜の墓を別にすれば、案内板が出ているわけではない。だいたいこのあたりだろうと推測して訪ねることになる。行き着くまでは、行ったり来たりということになった。線香や切り花を売る店があって、なかなかの賑わいである。桜にはまだ早く花見で一杯という風景はないが、生死が共存している空間という感じがする。先祖とともに墓地で酒を飲んでも不敬ということにはならないだろう。
 谷中墓地周辺には、北原白秋や幸田露伴といった文人が住んでいたが、いまその住居はない。墓地があったからではないだろうが、空襲の被害を受けなかった地域らしい。幸田露伴邸跡には、当時から植えられてあった珊瑚樹が残っている。幸田露伴の小説に描かれた『五重の塔』も戦災に遭わなかった。しかしこの塔は、昭和三十二年に焼失してしまった。放火のためであった。この塔の下で、男女が灯油をかぶり心中したのである。今は塔の礎石だけが残っていて、焼失前の塔と夜中に炎をあげて燃え上がる塔と焼失後の無残な姿の塔の三枚の写真が展示されている。この写真は、近所に住んでいた朝日新聞の記者が撮影したもので、この人は、いまも九十代で健在だと教えてくれた人がいた。
 

 この塔の前で不思議な人物に遭った。五重の塔の焼失の顛末を教えてくれたのもこの人である。数分話し込むと実に歴史に詳しい。こちらもそれなりの歴史好き、ベンチに移動して歴史談議となった。どこから来たかと尋ねられ
「群馬からです。長谷川等伯展を見に行く途中、谷中の墓地めぐりでもしようとここまで来たのです。著名人の墓が多いと聞いておりましたので。朝倉文夫彫塑館も立ち寄ろうと思ったのですが、工事中で休館中でした。数年先まで、開館とならないようですね。お墓だけは先ほど見てきましたが、りっぱでしたよ」
と話すと
「朝倉文夫の展示会が六月に東京芸大美術館でありますよ。彼のお墓のことですが、大変お金がかかっているでしょうね。なぜかと言うと、文字が浮き彫りになっているからです。万成石という芸術家が好んだ石を使っています。お弟子さんが建立したようです。それから、長谷川等伯展ですが、しばらく並ばないと入れないようですよ。でも八時まで時間延長しているから」
と親切で、芸術分野にも詳しい様子。しばらく、朝倉文夫の話題になると
「私は、文化庁の歴史審議委員の一人でテレビにも出演しているんです。今日は嫌なことがありましてね。『なんでも鑑定団』という番組ご存知でしょ。そこに出演している俳優の石坂浩二に会う約束をしていたんですが、ドタキャンされましてね。講演会の予定があったのをキャンセルして会うことにしていたのにね。ひどい奴だ」
と言って鞄から講演の資料に使う予定だったというコピーを取り出す。徳川家の家系図や、幕末の藩主の名前や石数が書いてあり、その後明治になって華族制度ができ、どのような身分になったかもわかるものらしい。今日国会図書館からコピーしてきたもので、一級の価値のあるものだと解説に熱が入る。
 もし欲しければ譲ってあげてもよいと言う。サインもしてあげるからと筆ペンも取り出す。これだけ、谷中墓地の解説やら、文化庁の審議委員をなされている方からの貴重な歴史に関する講義を聴かせていただき、しかもコピーまでくださるというのである。そして名前まで明かしてくれた。菊池稔とおっしゃった。
「譲ってくださると言ってもコピー代くらいはお支払いしますよ」
というと、一級資料だから一四六〇円だという。A3のコピー用紙四枚なので、丁重にお断りすると鞄に戻し、また歴史談義になる。谷中墓地は東京都の管理になっているが、法的な扱いがどうなっているかも教えてくれた。実に親切な人なのである。東北訛りもあってどことなく親しみがわいてくる人柄である。約一時間も話しただろうか。最後に
「とっても価値のある資料なんだがね」
と残念そうに去って行かれた。
「良いお話ありがとう」
とお礼を言って別れる。不思議な人だなあと思った。帰宅して、インターネットで「菊池稔」を検索してみると記事があるではないか。写真まで載っている。本人のブログではなく、被害(?)に会った人の記事である。場所も上野公園あたりで、話の内容や手口も似ている。記事を載せているのは女性らしい。変なオジサンと書いてあったが同感である。一種の詐欺なのだが憎めないと思った。昼時だったのだから、食事にでも誘ってもう少しご高説を拝聴すべきだったかもしれない。谷中墓地の案内をお願いし、それこそお礼を差し上げてもよかったとも思った。いずれ、お会いできることがあるかもしれない。
 谷中墓地の中には、実に名の知られた人物の墓が多い。歴史ロマンに惹かれ東京の霊園などは観光名所になる可能性もあるだろう。ともかく首都東京の墓地である。偉人探訪にとっては実にコンパクトな場所になっている。そうした行為を否定するつもりはないが、地下に眠る人物がどのような生き方をしたか、そしてその生き方に共鳴するところがあるか、そのことを第一とするべきだろう。著名人ということが、特別な意味を持っているわけでもあるまい。今日では、テレビの映像の力が強く、その画面に露出する人間に関心が向きやすい。自分との関係は、一方通行に近い。これまで歴史上の人物に惹かれ、そのゆかりの地を訪ねたのも、著名人の墓参りに近い行為なのかもしれないが、その時の自分の心境や生き方への煩悶のようなものがあって旅立った必然性を紀行文を読み返しても感じる。旅の中で墓参りをした人物も十本の指を超えている。既にこの世を去っている人間には会えるわけはない。しかし、その人が残した作品や、生き方には触れることができる。長谷川等伯には、絵を通じて会えるわけである。作品の鑑賞はするつもりはないが、絵師としての人生ドラマがあり、精進というものが感じられた。
その余韻のある中、東京国立博物館の出口のあたりで著名人に遭遇した。亀井静香国民新党党首である。相手は、こちらのことは知らない。ふと思ったのは、亀井大臣も我々と同じように、順番待ちするのかなという興味であるが、政治家が芸術に関心があることは何の不思議もない。亀井大臣の趣味に絵画があることは、知っている。


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