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2014年11月15日

新潟平野を行く(2014年11月)

 新潟県の北、山形県境に近い村上市に瀬波温泉がある。海岸線にあって、日本海に沈む夕日が眺められる温泉地として人気がある。新潟県は、南北に長く、穀倉地帯が広がっている。日本の米の一大生産地である。特に、山間部に近い魚沼あたりは、とりわけ品質の良い米が取れる。魚沼産コシヒカリはブランド米になっている。加えて、日本酒が美味しいことでも有名で、人気のある銘柄を醸造する酒蔵がある。久保田、八海山、越の寒梅、吉乃川、景虎などなど。
 職員旅行に加わった。総勢一六名のバスツアーである。新潟へは、関越自動車道を利用する。朝九時に職場を出発し、一二時には新潟市に着いた。水上温泉までは、快晴であったが、全長一一キロもあるトンネルを抜けると天候は一変して曇りから雨になった。新潟と群馬の県境に連なる三国山脈を境に日本海側と太平洋側の気候は極端に変わる、冬の一日を体験した。気温が低ければ、当然に雪になっている。
 

越後湯沢は、リゾートマンションやホテルが立ち並んで、都会のような景観になっている。バブルがあって、マンションを所有する人も減って、ホテルとして経営している所も多くなったと聞く。スキー場もあるからリゾートとしての魅力は残っている。別荘と言う物は、利用したことはあるが、所有するには経費がかかる。ホテルに泊まった方が安上がりに決まっている。しかし、都会の雑踏の中に暮らす人には、静養できる場所になることは、事実である。ただし、家事が苦労に思わない人、特に男性はと言うことになる。私的なことになるが、現在の家が農地の中に建っていて、隣接する場所に、別棟を建てる余地がある。庵のつもりで終の住み家を考えるようになった。最近は、家と庭に関心が向くようになっている。高速道路を走っていると、雪国の家は、どこか違う。特に新築の家に特徴があることに気づいた。三階建てのように見えるが、良く見れば、一階が車庫や、倉庫になっている、そして、屋根の斜度がきつい。冬の雪対策だということがわかる。
 戦国時代、越後を支配した上杉謙信も北条氏の支配する上野の国に兵を冬進めることが困難だったことが容易に想像できる。信濃へは、千曲川に沿って進軍できたであろうが、いずれにしても冬の行軍は、上杉軍には負担が大きかったことには変わりない。新潟県は、上越、中越、下越に分かれている。糸魚川のあたりは、地図の下にあるが上越になる。日本海に面する北陸の昔の国名が、冨山県が越中、福井県が越前というように「後」や「前」は、都のあった京都からの距離である。「上」と「下」の関係も同じである。このあたりのことは、バスのガイドさんが説明してくれる。越の国の一つ、越後は、都までの距離が長く、上杉は有力大名であったにも関わらず、天下を取ることができなかったと言われている。甲斐の武田も同じである。尾張の織田は、その点では地の利があった。
 

新潟平野を流れる大河と言えば、信濃川であるが、その源流は、新潟県と長野県と群馬県である。信濃川に流れる川としては千曲川が最も大きい。千曲川と信濃川合わせた距離は、日本で最も長い。谷川岳あたりを源流とする魚野川と信濃川が合流するあたりから、越後平野が広々としてくる。冬場、雪に閉ざされてもこれだけの田園地帯を有する新潟は、豊かな国とも言えるが、冬労働する環境が少ないことは、やはりハンデになっているかもしれない。古来より、河川の氾濫による洪水にも悩まされている。大正時代になって、新潟市の洪水対策として寺泊の北に分水路が完成した。大河津分水という。
 高速道路から紅葉した山や、田園、大河の流れも見られるのだが、あいにくの天気で視界も悪い。しかし、時折陽がさして、山や里に虹が見られる。そうした虹の歓迎は、一度や二度ではなかった。畜産加工で知られる、阿賀野川に近い安田あたりでは遊園地のある山に虹がかかった。洋風の建物もあってメルヘンチックな眺めになった。俳句でもと思うが、なかなか句にならない。なにせ、虹がどの季節の季語であるか自信がない。条件さえ整えば、いつの季節でも虹は見られそうである。だから、虹を季語にしないで
 虹かかる粧おう山に観覧車
福島県から新潟県に流れ日本海に注ぐ大河である阿賀野川は、周回する河船が運行している。最上川のような川下りではない。元の船着き場に戻る屋形船である。エンジン付きなので船頭さんというわけではないが、ガイドさんが民謡などを歌ってくれる。年齢は八五歳だという。しかし、そんな歳には見えない。「船頭」という童謡がある。歌詞の出だしが面白い。
村の渡しの船頭さんは、今年六〇のお爺さん
昭和一六年の作詞だという。当時は、六〇歳はお爺さんだったのである。でも、体力はあったらしく、「年をとってもお船を漕ぐときは元気いっぱい櫓がしなる」と言っている。
 新潟の旅と言えば、美味しい魚がいただけることである。日本酒も美味しいから呑み助にはたまらない。喉黒という魚は高級魚である。昼食は、新潟市内のお寿司屋さんで喉黒丼ということになった。酢飯の上に、軽くあぶった切り身が沢山乗っている。魚自体は美味しいのだが、願わくば塩を少なめにしてほしかった。値段を見たら一七五〇円と書いてあったのでそれほど高くはない。
 今日の宿は、汐美荘というホテルで、眼の前は海岸である。既に日没に近く、あたりは暗くなっているが、お目当ての日本海に沈む夕日だけは見られなかった。村上市内にある酒蔵に寄ったのだが、案内してくれた人が、生粋の新潟の人らしく、汐美荘のことを「塩味噌」と言っているようで可笑しかった。ちょっとした発音でそのように聞こえたのだろうが、酒蔵での見学だったからそのように連想したのだろう。
 日本海は荒れていて、夜は海に面した窓ガラスに霙のようなものが当たって何度も眠りを妨げた。朝起きて見ると小雨は降っているが、雪交じりではない。沖にも暗雲がかかっていて、風も強い。
 荒海に木枯らし吹いて拉致の国
新潟からも北朝鮮に拉致された人がいる。
 

帰路の観光地は、越後の一宮である弥彦神社である。到着すると青空ものぞくが雨は降りやんではいない。弥彦山には霧が立ち上っている。社殿の背後の山も同じである。神秘的ですらある。お参りの仕方は、二礼四拍手一礼だという。その流儀に従う。
 霧立ちて弥彦の杜の神さびて
参道には菊が飾られている。世界遺産になった富士山を菊で飾ったものは見事であった。以前作った俳句がある。
天地人黄菊白菊出会うとき
結婚式の新郎新婦への花向けに作った句である。
弥彦神社は、これで四回目の参拝になる。好きな神社の一つである。
現在の弥彦神社は、焼失により大正時代に再建されたもので、設計したのは伊藤忠太という建築家である。狛犬も彼の作品である。
 

最後に立ち寄ったのは、魚沼市にある西福寺という曹洞宗の寺院である。開山堂という建物の中に、石川雲蝶という幕末の彫師の作品がある。実に見事なものだということはわかる。石川雲蝶は、日本のミケランジェロと言う人もいるようだし、日光開山堂という建物の別称もあるようだ。日光東照宮の陽明門を連想させるからであろう。弥彦神社を見た後の鑑賞だったからではないが、それほどの感慨が湧いてこない。旅行の車中で読めるように一冊の文庫本を持参していた。建築家であるブルー・ノタウト著『ニッポン』である。タウトは、日本の文化を愛したが、陽明門は評価しなかった。桂離宮や伊勢神宮に日本の美を感じ取った人である。西洋文化を肌身で知っている人だから、教会や宮殿のきらびやかな装飾に類似する彫刻には新鮮さを感じなかったからだろう。加えて、道元が開祖になっている曹洞宗の寺ということだが、道元は哲学的で、彫刻のような偶像的なものとは無縁の人だったと思っている。「是心是仏」という道元の言葉が、寺の廊下に書かれていて、「今を大事に生きる」と解説してあったが、その教えを守るようにすることなのだろう。住職さんは、宮沢賢治の詩もお好きなようで「雨ニモマケズ」の詩を寺に掲げていた。
 

新潟から群馬の県境を抜けると晴れている。山々の紅葉が夕日に映えている。赤城山の雄姿も全容がすっきりと見えた。新潟と群馬の気候の違いを痛感できた二日間の旅行であった。蛇足だが、西福寺は、赤城山(せきじょうざん)西福寺である。


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